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1992年-1996年

1992-1996

さらなる技術革新の時代

オートフォーカスは視線入力AF。レンズはズームレンズの小型化。そして新システムAPS〈 Advanced Photo System 〉や、ムービービデオカメラの発展など、さらなる技術革新が著しい時代。キヤノンは、常にユーザーの欲求を満たす新技術の開発を続け、高機能、高信頼性あふれるカメラづくりをめざす。

プロユースの最高峰「EOS-1」の進化

「EOS-1N」(EF300mm F2.8L USM付き)のカットボディ

1989年(平成元年)に登場した「EOS-1」は、アドバンストアマチュアからプロにいたるユーザーの支持を得て、キヤノンの最高級機としての確固たる地位を築きあげていた。そして、1990年代に入ると、急激に進歩する光学・電子技術により、さらなるレベルアップが期待されるようになる。常に時代の最先端ともいうべきレンズを開発し続けるキヤノンとしても、明るい大口径、あるいは超望遠といったレンズに充分に対応できる機種の必要性を強く感じていた。そして1994年(平成6年)11月、ユーザーの熱い要望に応える新フラッグシップ機「EOS-1N」が発売された。高性能なEFレンズの能力を、余すところなく引き出すことができる機種がここに登場したのである。

「EOS-1N」は、5つの測距ポイントとそれに連動する測光システムとして16分割評価測光を塔載。また、「EOS100」で開発されたサイレント機構ももちろん導入されており、フィルム給送音、駆動系のギア音などの清音化が図られている。さらに操作系の改善、堅牢性といった「EOS-1」にプロカメラマンから寄せられた声を反映し、高い信頼性を誇るプロユース機という目標を実現した。

シャッターレリーズ時に画像消失がないペリクルミラーを使用し、シャッターチャンスを逃さず、10コマ/秒という高速連続撮影を可能にした「EOS-1N RS」もラインアップされており、ユーザーの高い信頼を得たAFプロユース機のひとつの完成形として、「EOS-1N」はおよそ6年に渡ってフラッグシップ機としての役割を担い続けた。

一眼レフのすそ野を広げた「EOS Kiss」

女性にも、その使いやすさで強くアピールした「EOS Kiss」のカタログ

――Kiss=Keep It Smart and Silent――賢く、静かなという意味を含んだネーミングの「EOS Kiss」は、1993年(平成5年)9月に登場。操作の自動化、小型・軽量化など初心者向け、一眼レフカメラ入門用エントリーモデルというカラーを打ち出しつつも、AF機能、露出機構、多彩なAEモードなど上位機種にも劣らぬ性能を有していた。初心者から、作画にこだわりを持つユーザーまで、幅広い層のユーザーに受け入れられた大ヒット機種となった。

1996年(平成8年)9月発売の「New EOS Kiss」は、「EOS Kiss」の機能、使いやすい操作系、リーズナブルな価格などをさらに発展させたモデルだ。軽量コンパクトでありながら、操作が簡単という「EOS Kiss」のコンセプトをしっかり受け継ぎながら、新開発マルチBASISのAFセンサーによる3点測距などの新機能も塔載。3測距点は、カメラが自動選択する他、ユーザーが任意に手動で選択することも可能。動きのある被写体に対しても、動体予測・AIサーボAFが自動的に働き、狙った被写体に瞬時にピントが合うなど、「New EOS Kiss」の機能は高級機の仕様に匹敵するほどであった。

夢の機能を塔載した「EOS 5QD、EOS 55」

様々な層のユーザーが納得する新技術を投入し続けるEOSシリーズ。そんな中で、1992年(平成4年)11月発売の「EOS 5QD」は、1990年代を代表するカメラといえるだろう。特徴は、何といっても視線入力AF機構である。ファインダー内の5測距点のうち、好きなエリアを見つめるだけでAFでピントが合うという、画期的な、夢のような機能をキヤノンは開発した。視線入力AFシステムは、その後1995年(平成7年)9月発売の「EOS 55」に受け継がれる。「EOS 55」は、3点測距、2.5コマ/秒の連続撮影などトータルスペック的には「EOS 5QD」に準じる位置づけだが、縦位置でも機能する視線入力AFや2つのダイアル、2つのレバーによる操作系など、より使いやすさを追及した中堅普及機モデルとなっている。

レンズシャッター機は高級機仕様と簡易撮影タイプの2極化へ

AF機能と全自動・コンパクト化で人気のレンズシャッター機は、高品位な画質を追求する高級機仕様と、簡単・気軽に撮影が楽しめる簡易機能の普及タイプという2極化路線を歩みはじめる。

高級機仕様としては、1992年(平成4年)9月、38-76mmズームとパノラマ切替え機能搭載の「オートボーイエース」が登場。ワイアレスリモコンが標準装備され、5種類の英文メッセージを画面に映し込めるデート機能や、フィルム給送音の静音化機能なども備えていた。翌年9月には、一眼レフ同様に7つのAEモードを設定できるベストショットダイヤルを装備した「オートボーイS(スーパー)」を発売。1995年(平成7年)10月には、世界で初めてタンデム型太陽電池を使用する、環境に優しい省エネタイプの「オートボーイSE」も発売されている。

普及タイプも、1992年(平成4年)3月に発売された大きなファインダーと簡単操作の「BF35<ビッグファインダー>」が大ヒット。さらに1992年(平成4年)9月登場の、シャッタースピード1/125秒固定、固定焦点の「CB35」など、簡単操作が売り物のコンパクトカメラが数多く登場している。

新システムAPS(Advanced Photo System)と「IXY」

1996年(平成8年)2月1日、アメリカのイーストマン・コダック社、キヤノン株式会社、富士フイルム写真株式会社、ミノルタカメラ株式会社、株式会社ニコンの5社によって、新たな写真システムAPS(アドバンスト・フォト・システム)が発表された。IX240と呼ばれる幅24mmの新規格フィルムのカセットをカメラ内に落とし込むAPSのフィルム装填は、フィルム装填時の煩わしさと装填ミスの解消のみならず、カメラのコンパクト化にも貢献するシステムである。さらに、フィルムにはカメラからの情報を記録するための磁気記録層と光学情報記録領域が備えられており、この情報が写真画質の向上にも利用されている。まさに新時代に相応しいシステムといえるだろう。

キヤノン初のAPS対応機種「IXY=イクシ」は、1996年(平成8年)4月に発売された。縦60mm×横90mmと、従来のコンパクトカメラと比較しておよそ30%も小型化に成功しており、ボディにはあえてステンレス合金SUS316を使用することで、適度の重みが加わり撮影時の安定性だけではなく高級感も味わうことのできるカメラとなった。「小型・簡単・高品位」というコンセプトに違わず、操作面も極めてシンプル。発売と同時に話題となり、他メーカーのAPS対応機種から一歩抜きんでた存在として評価を得、APS=IXYというイメージを生み出した。

APSを採用した一眼レフ「EOS IX E」は、1996年(平成8年)10月に発売。EFレンズに対応し、豊かな写真表現が可能なAF小型一眼レフとして好評を博す。3点測距の視線入力機能や6分割測光センサーなど、EOSシリーズの高品位+多機能なスペックを受継ぎながら、同時にAPS独特のコンパクト化も相まって、従来にはない新しいスタイルの一眼レフカメラとなっている。

10円玉に収まる「IXY」の非球面レンズ

10円玉にスッポリ入るほど小さい、「IXY」のレンズの断面図

―APSによって、かつてないコンパクト化に成功した「IXY」。しかし、そこには並々ならぬ開発の苦労も存在した。カメラ本体を小型化するには、様々な機構も、そしてレンズも小さくなければならない。なかなかGOサインが出ない「IXY」のデザイン段階で、デザイン担当者たちは自分たちのデザインがいかにコンパクトかを示すために、10円玉を利用することを思いついた。「IXY」で採用される6群6枚の非球面レンズの断面は、偶然にも10円玉がスッポリと収まるサイズだったのだ。そのデモンストレーションは効を奏し、開発進行のサインが出たという。

デジタル時代に入るビデオカメラ

ビデオカメラの世界は、ベータ、VHS、8mmと、10年ごとにフォーマットが変わるといわれているが、DVフォーマット(デジタルビデオの世界規格)が発表された1990年代半ばは、まさにデジタルフォーマットへの変化を迎える時代だった。キヤノンは、1994年(平成6年)、デジタル動画開発を目的としたDVプロジェクトを組織。それこそ、DVフォーマットに則った、磁気テープへのデジタル記録再生技術の開発を行おうというものであった。1994年(平成6年)に登場した視線入力、光学式手ぶれ補正機構搭載の「ムービーボーイE1」、1995年(平成7年)登場の視線入力機構を塔載した「ムービーボーイE2」などHi-8のビデオカメラを次々と発表しながら、キヤノンはDVフォーマットによるデジタルビデオカメラ開発を行なっていた。

アナログSVカメラからデジタルカメラへ

専用のフロッピーディスクに画像を記録し、テレビなどで鑑賞できるSVカメラにもデジタル化の波が押し寄せてきた。世の中には急激にパソコンが普及し、ユーザーのみならず開発陣においても、画像をパソコンに取り込みたいという要求が沸き上がり、これに最適なデジタル記録が注目されつつあった。しかし90年代初めは、高品位な画像を実現する撮像素子(CCD)の画素数も十分ではなく、さらに記録メディアも、現在主流となったCF(コンパクト・フラッシュ)などのような半導体メディアもあまりに高価であったため、画像をデジタル信号として記録するデジタルカメラが本当に普及するかどうかの見極めが難しい時代でもあった。

初のキヤノン製デジタルカメラ「PowerShot 600」

キヤノンは、SVカメラの高級機「RC-570」を1992年(平成4年)4月に発売したのを最後に、SVカメラの開発を止め、デジタルカメラの開発を進める。そして、1995年(平成5年)にイーストマン・コダック社と共同で業務用デジタルカメラ「EOS DCS」シリーズを発売し、1996年(平成8年)7月に、普及型デジタルカメラ「PowerShot 600」が発売するに至った。このCF、PCカードを記録メディアとして使用する「PowerShot 600」から、キヤノンのデジタルカメラは本格的なスタートを切ったのである。