Rio 2016
写真:長田洋平/アフロスポーツ

東京2020オリンピック・
パラリンピック&55競技

見どころ紹介

スペシャルインタビュー
松田丈志

アテネ2004からリオ2016まで4大会連続でオリンピックに出場。4つのメダルを手にしたオリンピアンの松田丈志氏は身長184cmの恵まれた体格と、ここ一発の集中力で数々の輝かしい成績を残した。決して練習環境に恵まれていたわけではないが、努力を続ける才能と指導者に恵まれた。厚い信頼を寄せるコーチと二人三脚。困難もあった28年の競技人生は常に周囲から応援されオリンピックに愛された歴史でもある。

―水泳を始めたきっかけは何だったのですか?

川遊びが大好きだったのと、9歳上の姉がスイミングクラブに通っていた影響です。宮崎県延岡市にある実家は川に囲まれた三角州にあって、川はとても身近な存在でした。ただ、僕が小学生の時までは大雨が降るとしょっちゅう増水して、実家もいつ沈むかわからないような状況でしたね。それでも不思議と川が嫌いだと思ったことはなくて、逆に水の怖さを知ったおかげで水と親しみながら成長できた部分があります。

―通っていたスイミングクラブは中学校の25mプールをビニールで覆った特殊な環境だったそうですね。

ひとことで言えば、ビニールハウスですよ(笑)。子どもをクラブに通わせている親御さんたちが冬でも練習できるようにと、廃品回収や物品販売などのボランティアで資金を集め、手作業でビニールの屋根を付けてくれたんです。それでも冬は寒いし、夏は気温が50度近くになって、めちゃめちゃ暑い。でも自分にとってはそれが当たり前の環境で、全国大会やジュニア代表候補の合宿などで他県や別のクラブのプールで泳ぐようになってから、「自分は普段、結構タフな環境で練習しているんだな」と気づきました。

―それが松田選手の強さに繋がっていったというのもありますか?

それはありますね。練習環境の整った他のクラブの選手たちと同じレベルで戦えていることに自信を感じましたし、環境のせいにするのではなく、むしろ自分の力でいい練習をしてやるという気持ちでいました。それというのも恩師である久世由美子コーチに出会ったおかげだと思います。久世コーチは僕が水泳を始めた4歳の時から現役を引退する32歳までの28年間にわたり競技生活を支えてくれました。

挑戦に向かわせてくれた恩師の言葉

―久世コーチの指導で最も影響を受けたのはどんなことですか?

28年間、一貫していた「あんたならやれる」という言葉です。例えば日頃の練習でもう1本泳いで自分を追い込もうか、それとも今日はやめておこうかと迷った時や、ロンドン2012男子4×100mメドレーリレーで銀メダル、男子200mバタフライで銅メダルを取った後、現役を引退しようか、それとも次のリオ2016でもう一度オリンピックを目指そうかと迷った時などに、久世コーチはいつも「あんたならやれる」と僕の可能性を信じてくれました。上っ面じゃなく本気で一緒に戦ってくれたんです。そういう人がそばにいたからこそ、チャレンジする道としない道があったら、必ずする方を選んでこられたし、そこに失敗や困難があっても諦めずに挑戦を続けられたのだと思います。

―スポンサーが決まらず、競技生活がピンチに追い込まれた時期もありましたね。

2010年ですね。リーマンショックのあおりでスポンサーを失い、1年ぐらい次のスポンサーが見つかりませんでした。北京2008男子200mバタフライで銅メダルを取った後だったので、「オリンピックのメダルがあってもダメなのか」というやりきれない思いと、同い年の友達が社会人4、5年目で仕事が面白くなってきた頃だったので、それがちょっと気になったりもして。それまで自分が信じて全力で突き進んできた道を否定されたような気持ちになりました。「自分は水泳ばかりやって、何をやってるのだろう」って。

―先の見えない苦しい時期をどう乗り越えたのですか?

その時もやはり久世コーチの「チャンスに備えて準備をしておかないとダメだよ」という言葉に奮い立たされました。僕にとっての準備は練習で、スポンサーがあろうとなかろうと、次のオリンピックまでの時間はどんどん減っていくので、「スポンサーが決まってから練習を頑張ろう」では時間が足りなくなってしまいますから。その間、コーチやスタッフと手分けをして600通程の手紙を企業に送りスポンサー探しに奔走しました。返事が来たのはごくわずかでしたけれども、自分たちで道を切り拓いている感覚があったから、たとえつらい時期でも企業にご挨拶に伺う時には、「どんな出会いがあるのだろう」とわくわくもしました。

ロンドン2012で飛び出した名言の理由

―オリンピックを意識したのはいつですか?

きっかけは8歳の時に見たバルセロナ1992です。当時まだ14歳だった岩崎恭子さんが女子200m平泳ぎで金メダルを取ったのと、その大会に同じスイミングクラブの先輩も男子平泳ぎに出場していて、自分とあまり歳の変わらない選手たちが一大旋風を巻き起こすのを見て、それまで知らなかったオリンピックが一気に身近になりました。それ以降の僕の目標は岩崎さんの記録を超えること。「自分が12歳になる次のアトランタ1996に出て金メダルを取るんだ!」と本気で燃えていました。そこからオリンピック出場まで、実際は12年かかりましたけど。

―オリンピック初出場がアテネ2004で、そこからリオ2016まで4大会連続出場を果たし、銀と銅を合わせて4個のメダルを獲得しました。一番印象深い大会はどれですか?

どの大会もそれぞれに思い出はありますが、アテネ2004は調整不足や経験不足がもろに出てメダルに届かなかった悔しい大会でした。僕は当時19歳で日本代表チームの新入りみたいな立場でしたが、シドニー2000に次ぐ2度目のオリンピック挑戦だった北島康介さんがアテネ2004男子100m平泳ぎで自身初の金メダルを獲得。その瞬間、スタンドにいる代表チームのスタッフや選手たちが皆、涙を流し抱き合って喜んでいたんです。その光景を目の当たりにして、「こうやって仲間に愛され応援される人が勝つんだな」と痛感しました。そして自分も「あの選手には結果を出してほしい」と思われるようになろうと、次のオリンピックまでの4年間は分析スタッフやトレーナー、コーチの皆さんと連携し、周りの人たちの経験や知恵をお借りしながら準備を進めていきました。その結果、北京2008男子200mバタフライで銅メダルを取れたことは大きかったと思います。

Beijing 2008
写真:新華社/アフロ

―ロンドン2012男子4×100mメドレーリレーで飛び出した松田さんの男気あふれる名言が話題となりました。

「北島さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」ですね。あの大会で北島さんが男子200m平泳ぎ4着に終わり、立石諒選手が銅メダルを取るのを僕は選手村で見ていました。その後、同部屋だった男子4×100mメドレーリレーのメンバーである入江陵介選手と藤井拓郎選手と、「康介さん、メダルなしで日本に帰せないよな」という話をしたんです。さらに翌日、プールへ行くと今度は上野広治監督が「康介を手ぶらで帰すんじゃないぞ」と言ってきた。大きなプレッシャーを感じながらも、僕たち3人も全く同じ思いだったので、康介さんと4人でメダルを獲得できた時には、みんなの思いが自然に口から出たという感じでした。

London 2012
写真:YUTAKA/アフロスポーツ

オリンピックは特別。だから面白い

―リオ2016の翌月、岩手国体を最後に現役を引退されましたが、引退後の道は決めていたのですか?

考えてはいましたけど明確ではありませんでした。大学に通っていたので教員になる道もイメージしていましたが、まさかメディアで活動をするとは。ただやってみてわかったことは、スポーツは自分が一番好きで大事にしているものだし、選手に近い立場や目線で彼らの頑張りや活躍を伝えていける価値のある仕事だということです。これなら現役時代に培ってきたキャリアやバリューを最大限活用できると思いました。

―テレビのスポーツキャスターのお仕事以外に、選手を取材して文章もお書きになるんですよね。喋りと執筆の両方ができるアスリートはそういないと思います。

文章を書くのは自分の頭の中を整理するためでもあるんです。テレビでも講演会でもそうですけれども、人に何かを伝えるには、ただ漠然と考えたことをふわっと話しても響かなくて、ある一定量、物事を突き詰めて考える時間が必要だと思います。そうしないと言葉に説得力が生まれない。文章を書く時には考えて言葉を選び、表現を揉む作業を何度も繰り返しますから、言葉の力が上がってくるんです。よく「書くのは苦にならないの?」と聞かれますけど、現役時代も毎日練習ノートをつけていたので、書くことに対するハードルはあまりありません。

―東京2020ではどんな点に注目していますか?

水泳ではリレーに注目しています。全部で7種目あって、これまで日本人には難しいといわれてきたフリースタイルリレー※でも、男子4×200mリレーなどは金メダルを狙えるタレントが揃ってきています。また他の競技でも自分の趣味であるサーフィンや、クロスフィットネスジムを開いてウエイトトレーニングを教えているので、ウエイトリフティングにも注目しています。あともう一つ、現在、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)のアスリート委員も務めているので、スポーツの価値やルールがしっかりと守られるフェアなフィールドを選手たちに作ってあげなければという思いも強いです。

※「男子4×100mリレー、男子4×200mリレー、女子4×100mリレー、女子4×200mリレー」の4種目を指しています。

―松田さんにとって、オリンピックの魅力とは何でしょう?

かかわる誰もが本気になるところじゃないでしょうか。みんなの共通認識に「オリンピックは特別」というのがあって、選手も目の色が変わるし、オリンピックを見る人も支える人も他の大会とは熱量が違う。だからこそいろいろなドラマが生まれるし、それが人々を感動させるのだと思います。オリンピックって、全部が面白いですよ。

※メダルについての言及箇所は全て「競技:水泳-種別:競泳」となります。

インタビュアー:高樹ミナ