東京2020オリンピック・
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スペシャルインタビュー
水谷隼

卓球男子の日本代表として、北京2008、ロンドン2012、リオ2016と3大会連続でオリンピックに出場した水谷隼選手。リオ2016では、シングルスで男女通じて日本人初のメダル(銅メダル)に輝き、男子団体においても初の銀メダル獲得に大きく貢献した。来年の東京2020を最後に、代表からは退くことを公言している。日本の男子卓球界を牽引し続けてきた彼に、オリンピックの過去3大会を振り返ってもらいながら、日の丸をつけて挑む“最後の大舞台”についての想いを訊いた。

―卓球を始めたきっかけを教えてください。

卓球を始めたのは5歳の頃です。両親が卓球のスポーツ少年団を経営しているので、自然とラケットを握るようになりました。

―本格的に卓球選手を目指し始めたのはいつ頃ですか?

僕が8歳の頃に、全日本卓球選手権大会バンビの部(小学校2年生以下)で日本一になったんですけど、それをきっかけにANA(全日本空輸)のジュニアチームの合宿に呼ばれたり、小学生以下の日本代表に選ばれたりして。そのあたりから「これからの人生、ずっと卓球に関わっていくんだな」というのは感じ始めましたね。選手として活動していくことは、もはや当たり前だと思っていました。

―14歳の時には、日本代表の強化選手となったことでドイツ留学をされました。世界トップクラスのリーグでの経験もあるとのことですが、実際に挑戦されていかがでしたか?

最初はレベルが違いすぎて、歯が全く立ちませんでした。日本の同世代の中では強くても、世界のトップ選手が集まるドイツでは、練習でも相手にならなくて…。
練習メニューにも違いがありました。日本では毎日7〜8時間、チーム全体が同じメニューをこなすのに比べて、ドイツでは5時間ほどで、選手一人ひとりに専属コーチがついて個別の練習メニューをこなしていました。それを見て、「だから海外の選手はこんなに強いんだな」と感じました。というのも、やはり卓球のような個人差が出やすいスポーツで、全員で同じメニューをこなしていては、一人ひとりが持つ能力を引き出すことはできません。その選手の得意不得意、体力、技術力など全てを把握した上で練習メニューを考案し、実行する。“個”の力を引き出すこのやり方は、日本にも取り入れるべきだなと感じました。

―そういったドイツでの練習・試合を経て、2005年には当時最年少の15歳10ヶ月という若さで世界選手権に挑みました。初めての世界の舞台は、どのように感じましたか?

すごく憧れていた舞台だったので、本当に嬉しかったですね。監督の推薦で呼んでいただいたので、自分の力で出場できたわけではありませんが、同大会では日本人で一番の成績を残すことができました。このままドイツで修行を積めば、いずれはトップ選手になれる、そう確信できた大会でもありましたね。

―その後もドイツでの活動を継続し、留学最終年となった5年目には1部リーグでご活躍されましたよね。

はい。初めはブンデスリーガの3部リーグからスタートしましたが、5年目でようやく1部リーグのチームでプレーすることができるようになりました。それからは日が経つにつれて自分のレベルが上がっていく感覚があって、すごく楽しかったことを覚えています。それほど1部リーグのレベルは高く、得られるものが多い場所だったんだと思います。

―2008年には北京2008出場を決めましたが、その前の日本代表を決めるアジア予選では苦い思いをされたそうですね。

そうです。当時は日本のレベルは低かったので、日本代表になれてもオリンピックに出られるわけではなかったんですね。その前に行われるアジア予選を通過しないと、本大会に出場することができなかったんです。その中で、勝てばオリンピック出場に王手がかかる試合で、同じく代表を目指す岸川聖也選手と対戦することになってしまって…。岸川さんとはドイツ留学でも一緒に練習をして、ご飯を食べて、卓球を語り合ってきた“戦友”。そんな選手だからこそ、この試合はすごくやりづらかったのを覚えています。「今までどの試合が一番辛かった?」という話になった時には、お互い北京2008のアジア予選での直接対決を必ず挙げますね(笑)。

―実際に初めてのオリンピックを経験されて、どんな印象を抱きましたか?

もう“別次元”でしたね。オリンピックって、すごくセキュリティがしっかりしていますし、試合開始40分前には集合して、待合室で準備を始めます。今はそれが主流ですけど、当時の卓球の大会って、試合の5分前にコートに入って、そのまま戦う感じだったんですよ。だから40分も前に集まって準備をするというのが初めての経験だったので、「これがオリンピックなのか…」という驚きがありました。
加えて、選手村で他競技の方々をたくさん見かけて「おぉ!すごいな〜」みたいな(笑)。そういう、いろんな競技のトップ選手に会えるワクワク感もあったと思います。僕はテニスの錦織圭選手と同じ部屋だったのですが、正直、当時はあまり知らなくて(笑)。でもその後、彼は一気にブレイクを果たしたので、今ではすごく印象深い出来事です。

―北京2008では団体戦で5位でしたが、この結果についてはどのように感じていましたか?

すごく悔やまれます。僕ら日本代表は準決勝まで勝ち進んだのですが、そこでドイツに負けてしまって。勝てば銀メダル以上が確定だったので本当に悔しかったです。当時は大会のシステムが複雑で、3位決定戦ではなく、敗者復活戦で勝ち上がったチームが銅メダルという方式で試合が行われました。でも日本は初戦のオーストリア戦で負けてしまい、メダルには手が届きませんでした。その試合で僕は同国に帰化した中国出身の選手と戦ったのですが、半年前には簡単に勝てた相手だったにも関わらず、ストレートで負けてしまったんです。勝つチャンスはあったので、本当に残念な結果でしたね。

―2度目のオリンピックとなったロンドン2012は、どんな気持ちで臨みましたか?

大会前は世界ランキングが自己最高の4位まで上がっていて、自分自身も「メダルの可能性はあるな」と思っていましたし、ロンドン2012直前のツアーでも優勝していたので、コンディション的にも「いけそうだな」という気持ちはありました。しかし、フタを開けてみれば個人戦は4回戦敗退という結果に終わってしまい、本番での勝負弱さ、自分の実力のなさを痛感しました…。その相手も前大会同様、2ヶ月前の試合では簡単に勝っていたのにロンドン2012では完敗。団体戦でも香港に敗戦してメダルを逃したのですが、最後に戦った相手も、それまでずっと勝ち続けていた選手なのに負けてしまった。結果的に全く自分の力を発揮できず、不完全燃焼で終わってしまった大会でしたね。

―北京2008、ロンドン2012共に対戦成績では分がある相手に負けてしまった。やはりオリンピックの重圧に打ち勝つことの大変さは感じていましたか?

そうですね。4年に一度ということもあって、僕だけじゃなく、どの国の選手も平常心では臨めないというか、“別次元”で戦っているような感覚なんですよね。過去の対戦成績というのは全く参考にならないと感じました。

―ロンドン2012後は、どのように卓球と向き合いながら、4年後のリオ2016を目指されたのでしょう?

2014年からロシアへの留学を決めて、同時に日本の卓球男子では初のプライベートコーチをつけて練習・試合を重ねました。今までやってこなかったことに挑戦して、それでも結果が出なければ「自分はもうダメだ」と。そのぐらいの覚悟でリオ2016までは過ごしていましたね。
ロシアリーグはそこまでレベルは高くありませんが、常に優勝を争い、ヨーロッパチャンピオンズリーグにも出場できていたので、多くの世界ランカーと戦うことができました。また、ロシアの地で一人で生活することによって食事について考えるようになり、すごくストイックな生活スタイルを手に入れられたことも、選手としての成長につながったなと感じています。

―14歳にはドイツ、そして今回はロシアに留学し、未知の世界で自分を磨いていく。それほど自分を突き動かす卓球というのは、水谷選手にとってどのような存在なのですか?

卓球という競技においては、常に新しい道を切り開いて挑戦していきたい。そういう気持ちが強いんですよね。それがドイツやロシアへの留学につながっていて、その間には中国リーグにも3年間チャレンジしています。そういう形で、誰もやったことがないことに挑戦し、自分を磨いていきたい。そして、さらに強くなって上の景色を見てみたい。そういう思いは卓球を始めてからずっと持っています。

―2016年には自身3度目のオリンピックとなったリオ2016に出場しましたが、どのような気持ちで臨まれたのですか? 

すごく自信を持って臨むことができました。というのも、本大会前にはオリンピックのシード権を獲得するために、さまざまな国際大会に出ていたんです。正直辛かったんですけどね(笑)。でも、どの大会でも本当に良いプレーができて、しっかりと結果を残すことができたんです。それもあって、すごく良い状態でリオ2016に出場することができました。加えて、組み合わせも悪くはなかったので、「おっ、これはいけるんじゃないか」と。そういういろんな要素が合わさったことで、自信を持ってプレーすることが出来ました。

Rio 2016
写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ

―過去2大会ではオリンピックの重圧に苦しんでいましたが、リオ2016では打ち勝つことができたのでしょうか? 

はい。リオ2016までは日本卓球協会のもとで1年に1回行われるメンタルトレーナーの講義に参加し、「今こういう状況ですけど、どうすればいいですか?」と積極的に聞いたりして、メンタルコントロールについて勉強していたんです。大会前から調子が良かったこともそうですが、試合に平常心で臨むための勉強・トレーニングを積んだことも、全く緊張せずにプレーできたことにつながったんだと思います。

―個人戦で日本人初の銅メダルを獲得された瞬間は、自然と大きなガッツポーズが出ていましたね。

そうですね。基本的に僕は試合に勝った時にはガッツポーズをするタイプなので、そこまで特別なパフォーマンスではないんですけど(笑)。当時はすごく取り上げていただきましたね。ただ、それぐらい嬉しかったんです。

―団体戦でも男子初の銀メダルを獲得されましたが、その時の心境をお聞かせください。

まず、大会前から個人戦より団体戦の方がメダル獲得の可能性は高いと思っていました。でも、1回戦はギリギリで勝てましたが、危うく負けるところだったんです。なんか雰囲気があまり良くなかったというか、みんなフワフワしている感じがしていて。メダルを獲れるチャンスなのに、「足元をすくわれちゃうんじゃないか」という危機感を持ち始めてしまいました。
僕が先輩として「オリンピックってこういう感じだよ」とアドバイスできたら良かったんですけど、それが最初はできていなくて。吉村真晴選手はオリンピックという大舞台は初めての経験でしたし、丹羽孝希選手は団体戦向きのプレイヤーではないので、チームに溶け込め切れていない感じがあった。それを察知できていなかった僕の責任だなと、そう感じています。でも1回戦を終えた後にみんなとしっかり話をしたことで、すごく引き締まった状態で以降の試合に臨めるようになりました。

Rio 2016
写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ

―そして銀メダルという結果につながった、と。

はい。決勝戦では中国に負けてしまいましたが、準決勝でドイツに勝てたことは本当に嬉しかったですね。ドイツには、北京2008や世界選手権でも負け続けていましたから。僕個人としても、第2戦でティモ・ボルという世界のトップ選手にストレートで勝つことができましたし、それまでは過去1勝15敗と全くと言っていいほど勝てなかった相手に、この大舞台で勝利できたというのは本当に大きかったですね。
勝てた要因としては、技術云々というより、本当にノリに乗っていたからだと思います(笑)。個人戦で銅メダルを獲っていた勢いもあって、「ボルでも全然いける!」と思えるぐらいの自信がありましたし。言い方としては良くないですが、「負けても別にいいや」と思えるぐらいプレッシャーがなく、リラックスして臨めていましたから。なぜなら、僕らは王者ではなく挑戦者ですから、失うものは何もありません。とにかく自分の全てをぶつけるぐらいの気持ちで戦ったからこそ、強豪相手でも打ち勝つことができたんだと思います。

Rio 2016
写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ

―3大会に出場し、念願だったメダルを獲得された。それでもなお、金メダルを目指して来年の東京2020に挑戦することを公言されています。それほど挑戦し続けるオリンピックという舞台は、水谷選手にとってどのような存在なのですか。

オリンピックって、アスリートを惹きつける魅力があるんですよね。小さい頃から夢に描いていて、大人になってもそれは変わらない。ずっと「オリンピックに出たい」「メダルを獲りたい」その一心で挑戦し続けられる。夢を持ち続けられる。そういう魅力が、“あの場所”にはあるんです。そうやって、僕のように目指してきた選手たちが4年に1度、1つの舞台に集結する。そこで自分の力を全て出し切って、どれだけ通用するのか。ただそれが知りたいという、その思いだけです。

―東京2020に向けた意気込みと、ファンに期待してほしいことを教えてください。

僕は東京2020が最後のオリンピックだと決めているので、自分が満足するプレーをして、満足する結果を残す。それで終わりたいなっていう気持ちが強いですね。悔いてその後の人生を送りたくないですから。なので、その時に持っている自分の力を全て発揮して、頂点からの景色を見たいなと思っています。
また、東京2020で卓球という競技を観戦する方々には、とにかく選手たちのラリーに注目して見ていただきたいです。男子は後陣からの迫力あるラリーを、女子は前陣で速いピッチで行われる目にも留まらぬ高速ラリーを見てください。卓球はラリーが醍醐味ですから、その凄さを、迫力を、ぜひ楽しんでいただけたらと思います。

インタビュアー:佐藤主祥