東京2020オリンピック・
パラリンピック&55競技

見どころ紹介

スペシャルインタビュー
野口啓代

19歳でボルダリングの世界大会を初優勝し、通算優勝21回、年間総合優勝も4度経験した野口啓代選手が、東京2020の代表内定を勝ち取った。追加競技の招致活動に参加し、スポーツクライミングにとっては初の大舞台実現にも貢献してきた彼女。代表内定を決めた世界選手権2019での戦い、そして自身にとって最初で最後となるオリンピックという舞台に懸ける思いを語ってもらった。

グアム旅行がきっかけで出会ったクライミング

―クライミングを始めたきっかけを教えてください。

私がクライミングを始めたのは小学5年生の頃です。家族旅行でグアムに遊びに行った時、たまたま立ち寄ったゲームセンターにクライミングの壁があり、そこで初めて登ったのがきっかけでした。私の実家は牧場を経営していたので、小さな頃から牧場の牛舎の屋根に登ったり、牛の上に乗って遊んだりと、高いところが好きなわんぱくな子どもでした。
グアムで初めてクライミングをした時も牧場で遊んでいるのと同じ感覚で登っていました。壁には子供用と大人用のルートがあり、子供用は簡単に登れました。しかし大人用はまだ身長が足りなくて登れず、すごく悔しかったのを覚えています。それから日本に帰国して、本格的にクライミングジムに通うようになりました。

―大会に出られるようになったのはいつ頃からですか?

ホームジムなどの小さな大会などは割と早くから出始めていたのですが、初めて出場した公式の大きな大会は小学6年生の時のユース年代の国内最大の大会ですね。リードの大会で、ユース年代では国内最大のコンペです。今では出場選手も多く、年代ごとに細かくカテゴライズされていますが、当時は中学生や高校生なども混在しての大会でした。

―そのユース年代の国内最大の大会では小学6年生ながら、年上の選手が多くいる中で優勝しました。

当時の私は大きな大会に出ているという自覚はなく、絶対に優勝してやるという意気込みもありませんでした。いつも通り、ただ楽しくクライミングをしていたら優勝していたという感覚でした。

大学を中退して歩んだプロクライマーの道

―小学生の頃から数多くの国内外の大会で結果を出されて、日本のクライマーを引っ張る存在として活躍されてきました。プロの道に進もうと思われたきっかけを教えてください。

私は16歳から世界選手権など、世界大会に出場するようになったのですが、19歳の時に初めてボルダリングの世界大会で優勝することができました。2008年7月に行われたフランスのモンタウバン大会です。それが日本人初の同大会の優勝でもありました。その初優勝で私はクライミングだけでやっていきたい、プロとしてやっていきたいと強く思いました。その当時大学に通っていたのですが、帰国したらすぐに大学を辞めようと思いました。

―世界大会での初優勝はどんな心境でした?

その前シーズンから表彰台に上がれていたのですが、2位までしかなれませんでした。誰か一人が強いわけではなく、毎回優勝者が違う中でチャンスがあるのに優勝ができず、ずっとモヤモヤした感じでした。この時は2ヶ月ほどのヨーロッパ遠征中で、ボルダリングはモンタウバン大会を最後に帰国というスケジュールでした。
もうこの大会を優勝しないと日本には帰れないという思いで参加したのを覚えています。というのも、この大会を逃すと次の世界大会まで約4ヶ月も空いてしまうスケジュールでしたので、初優勝をそんなに引っ張りたくない、今すぐ優勝したいという感じでした。
そんな中で初優勝することができ、初めて自分に自信が持てました。そして、自分の中で大学を退学する決心がつき、帰国後すぐに大学を辞めてプロとして歩んでいこうと決心しました。

―実際にプロとして歩み始めた当初はどうでした?

当時クライミングはオリンピック競技ではありませんでしたし、日本では大会に出ながらプロとして生活している人は数えるほどしかいませんでした。だから、初めはプロとしてやっていけるか不安でしたね。
でも小さい頃から家族はすごく応援してくれていて、とくに父のサポートが大きな支えでした。私が大学を辞めると言い出した時も「今しかできないクライミングをやった方がいい」と背中を押してくれました。当初は遠征費などいろんな面でサポートしてもらい、「クライミングに集中しなさい」と言ってもらえたことには本当に感謝しています。

出場するとは想像もしていなかった東京2020オリンピック

―東京2020でスポーツクライミングが初めて追加競技に採用され、野口選手にとっても初めてアスリートとして迎えるオリンピックになります。野口選手にとってオリンピックとはどんな大会ですか?

私にとってオリンピックは観るもの、まさか自分が出場するなんて想像もしていませんでしたね。前回東京で行われたオリンピックは1964年ですよね。当然、私は生まれていませんし、昔のことすぎて周りの人から話を聞くこともないですし、テレビで観たという人もいません。だから東京でオリンピックが開催されるというのも想像がつかないですね。

―観るオリンピックとしてはこれまで注目していた競技はありますか?

私は夏季も冬季も好きなのですが、中学の時に陸上部だったということもあって陸上は観ていました。冬季ではフィギュアスケートが好きで毎回観ています。前回の平昌2018では、羽生結弦選手や小平奈緒選手が印象に残っています。もう少し前だと浅田真央選手ですね。年齢が近いこともあって、共感できる部分が沢山あります。

緊張のプレゼンテーションでのスピーチ

―2013年に東京2020が決まり、野口選手は追加競技の候補に選ばれていたスポーツクライミングの招致活動に参加されていました。どのような経緯で参加されたのですか?

2015年から招致活動に参加していました。日本代表として活躍している女性選手ということで競技団体から推薦を頂きました。東京2020オリンピックの追加競技に決まる前からこうした活動に関わり、だからこそ選手として続けて来られたと思います。

―招致活動で思い出に残っていることはありますか?

2015年に招致活動をしていた頃、私は競技生活の中で初めて大きな怪我をしていました。それもあって、東京2020まで競技を続けるか決めかねており、複雑な思いで活動に参加していました。それでも大役を任されていたので、とにかくスポーツクライミングの魅力を必死に伝えようとしました。プレゼンテーションでは、自分がいかにクライミングを好きか、いかにいろんな方々にクライミングを観てほしいかを語りました。
すごく緊張しましたね。慣れない英語でしたし、上手く話せたかもわかりませんが、それでも一緒に活動してきた方々にお褒めの言葉を頂けて、少しは貢献できたのではと感じています。

―そして2016年8月にスポーツクラミングが追加競技に決定しました。その時はどんな心境でした?

その時はちょうどアジア選手権で中国にいました。採用が決まったのは決勝の日でしたね。周りのみんなはすごく驚いていました。でも私は招致活動でずっと関わってきて手応えを感じていたので、驚き半分、やっぱり決まったという思い半分でした。
決まった時はもちろん嬉しかったのですが、同時にあと4年頑張れるかという不安もありました。2015年に怪我をしてリハビリの期間もあり、あと4年という期間を考えた時に、どれだけ自分が成長できるのかわかりません。ここまでシーズンの1年間というスパンで競技を考えて、とにかく目の前の大会を目標に戦ってきましたから、4年というスパンは想像がつかない未知の領域でした。

手の届くところに感じた金メダル

―不安もあった中で3年間やってきました。そして東京2020の出場を懸けた2019年の世界選手権では、ボルダリングとコンバインドで二つの銀メダルを獲得し、代表内定も決めました。改めて振り返るとどんな大会でした?

昨シーズン、ボルダリング世界大会の年間ランキングが2位で、コンバインドランキングでも2位でした。今シーズンも出場した同大会ですべて2位、年間ランキングも2位と、ずっと2位が続いていました。やはり優勝したヤンヤ・ガンブレット選手と自分とでは差があって、2位が定位置というか、実力的にやっぱりこの成績なのかなと。

写真:日刊スポーツ/アフロ

―“シルバーコレクター”というのは、野口選手の口からもよく聞かれた言葉でした。

でもコンバインドのボルダリングで、初めてヤンヤ選手に勝って1位になり、リードでは最後の一手が止まっていれば優勝というところまでいけました。そこで、自分が思っているよりも実は差がないのではと思えたんです。今まで自分で勝手に金メダルはすごく遠いものだと思い込んでいました。今大会がきっかけで、すぐそこではないものの、案外手の届くところにあるんだなと思うことができました。だから来年の東京2020ですごく優勝したくなりました。

―決勝直後のインタビューでは「ここで代表が取れなかったら引退していたかもしれない」という発言もありました。その言葉にはどんな思いがあったのでしょうか?

最初に東京2020に出たいと思った一番の理由に、日本の観客の前で引退試合をしたいという思いがずっとありました。今回の世界選手権でもしダメだった場合、次の選考会がフランスのトゥールーズになってしまうし、もしそこでもダメだったら自分が思い描いているような引き際ではなくなってしまう。そう考えた時に、もしここでダメならこの世界選手権が最後でも良いかなという思いがありました。

写真:毎日新聞社/アフロ

キャリア最高のパフォーマンスを目指す東京2020

―東京2020で採用されるコンバインドはスピード、ボルダリング、リードという3種目の複合です。野口選手から見てこの種目の魅力や楽しみ方を教えてください。

第一種目のスピードは、一番波乱が起きやすく、予想がつかない種目です。スピードの壁は20手ほどでゴールに到達します。登る時はもちろん速さが必要なのですが、ミスをしないことも同じくらい重要になります。速い選手で7秒台、遅い選手でも10秒台とレースはあっという間に終わるので、一つのミスで逆転されてしまうのがスピードの難しいところです。その迫力と緊張感が魅力ですね。

第二種目のボルダリングもまた不確定要素の大きい種目です。選手たちは初見の課題を登るので、実際に壁を目の前にするまでどんなタイプの課題が来るのかわかりません。課題のタイプによって選手には得意不得意があり、全部を登れることもあれば、一つも登れないということもあり得ます。また決勝は3課題しかないので、一つ登れないだけで順位の変動に大きく影響します。課題一つひとつを選手たちがどう攻略するかが見どころです。

最終種目のリードは一番実力を安定して出しやすい種目です。ただ、ここまでの流れや疲労もあり、前の2種目とはまた違った状況で登らなければいけません。メダルを取るためには何位以上にならなければいけないなど、かなりプレッシャーもかかります。ここまで思い通りにいく選手もいますが、いかない選手の方が多いと思います。そんな中で選手たちが自分の力を最後まで振り絞って登る姿を応援してもらえたら嬉しいですね。

選手によっては前半のスピードとボルダリングで勝負、逆に後半のボルダリングとリードで勝負など、様々なタイプがいます。ただ、得意種目で順位を落としてしまうこともあり、本当に何が起こるかわからないというのがコンバインドの魅力だと思います。

写真:アフロ

―野口選手は東京2020で引退を表明しています。最後となるオリンピックをどんな大会にしたいですか?

代表内定を決めた世界選手権では、良いところをたくさん出せて納得できるクライミングができました。ただ、結果としては銀メダルです。東京2020ではこれを金メダルにしたいというのが一番の思いです。スポーツクライミングにとっては初めてのオリンピックで、私にとっては最初で最後のオリンピックになります。ここまで長く続けてきたキャリアの中で最高のパフォーマンスが出せる、集大成の大会にしたいと思っています。

―東京2020での野口選手の登りを見てクライミングを始める子どもたちはたくさんいると思います。そんな子どもたちにメッセージはありますか?

私が子どもの頃スポーツクライミングに出会い、競技を通じてすごく世界が広がりました。子どもたちには自分が本当に好きで夢中になれるものに出会って、それを続けてほしいですね。私にとってはそれがクライミングでした。子どもたちにとって、そういったものと出会える東京2020であったらいいなと思います。

―最後にファンの方たちにメッセージをお願いします。

スポーツクライミングが東京2020の追加競技となり、その舞台に立ちたいと思ったのが2016年でした。あれから3年間をかけてようやく内定を頂くことができて、今はすごく嬉しいです。ここからの1年間はオリンピックに出場することではなく、金メダルを獲ることにフォーカスしていきます。残り1年、最後まで応援よろしくお願いします。

インタビュアー:篠幸彦