PHOTOGRAPHER INTERVIEW

画像:フォトグラファーインタビュー

INTERVIEW08 説田浩之

『光と影、手の表情に魅せられて』

説田浩之氏のベストショット
1/1600 sec F4.0 ISO-4000 ©JRFU,2019
撮影機材

Canon EOS-1D X Mark II,EF400mm f/2.8L IS II USM +1.4x III

2018年6月16日、神戸市のノエビアスタジアム神戸の日本代表×イタリア代表のテストマッチです。日本のゴールラインの後ろから撮影しました。高々と上がったハイパントを、両チームの選手が捕りにいっています。ラグビーってつなぐイメージで撮っているので、さあ、この空中に飛んだボールをどちらが奪い取って、どうつないでいくのかなって。つい、“落とさず捕れよ”と祈りましたが、落としかけてますね。ジャンプ一番、日本の11番(福岡堅樹選手)の躍動感。イタリア選手の必死の手の表情。迫力がある。空中に上がったボールを追うのは楽しいですね。

PROFILE

説田浩之(せつだ・ひろゆき)

説田浩之

1968年11月2日大阪生まれ。大阪芸術大学卒。大学1年生の時に水谷章人氏の写真に出会い、弟子であった築田純氏の写真に魅せられる。その後、ラグビーの写真に没頭するきっかけの雑誌で清水和良氏の写真を見てますますラグビーの写真に魅せられ現在に至る。現在も神戸製鋼を撮り続け、ヴィッセル神戸のオフィシャルフォトグラファーも務めている。

ここは大阪の中之島。堂島川そばの超高層ビルの上層階フロア。大阪生まれ大阪育ちのフォトグラファー、説田浩之さんはひょうひょうとした風情で現れた。「あまり目立たんようにしとるんです」。美空ひばりの歌を好む50歳はそう口にし、小さく笑った。

どんな質問をしても、個性的な言葉が返ってくる。自由でこまやかな人柄を随所に感じさせた。被写体の選手との距離感を大事にし、いつも「光と影」を意識する。「全然、写真の表現が変わってくるから。太陽どこにいるのかなって。空を見上げて」
サッカーも撮るが、昨季ラグビー日本一となった神戸製鋼を25年ほど撮り続けている。ラグビーはワクワクする。楕円球はどこに転がるかわからない。仲間にパスしても、選手はそのボールの軌道を追いかけている。特に手の使い方、動きに魅かれる。「ラグビーって手の表情が面白いので」と言うのだった。

さて、どんな人生だったのでしょうか。写真との出会いは。

「小学校、中学校時代は鉄道好きだったんです。鉄道の写真をよく撮っていました。それは、ただ単に家に電車を持って帰れないから。写真なら持って帰れる。コンパクトカメラで撮っていました。中学3年生の卒業式の前日、卒業祝いでキヤノン「AE-1プログラム」を親に買ってもらった。それで卒業式に友だちを撮りまくった。片思いだった女の子も。ははは。これ、書いたらダメですよ」

いつ、写真家の道を。

「高校に進学した時、僕が入学することになる大阪芸術大学の若い先生が美術の授業中、こう聞いたんです。“芸術系の大学に行きたい人は?”って。手を挙げたのがクラスで僕ひとりでした。スポーツでは高校で野球部に入って、1年生の夏に辞めたんです。あとはボーっとしていました。写真のことは何も知らなかった。将来のことを何も考えていなくて、でもまあ、芸術大学に行けばなんとかなるやろうって」

で、大学では写真を本格的に。

「実は1年の夏、大学を辞めようと思ったんです。でも、幼なじみに言ったら、えらい説教されました。同志社大学でラグビー部だった上田という男です。こう言われた。“俺は、何処に転がっていくか解らない楕円球を追いかけて、この大学に入ったんやぞ。お前はなんだ。結果を出さずに何を考えてんのや。結果を1個ぐらい出してから、辞めるとか、続けるとかだろう”って」

う~ん、いい。青春ドラマですね。

「でしょ。上田の話を父親にしたら、“そんなら、その友達を撮ったらどうだ”って。僕は言ったんですよ。“いや、上田撮んのお金かかんで”って。そして、“えっ、何が必要なんや”。“でっかい白いレンズや”。“いくらすんねん”。“500mmだったら50万ぐらいかな”と会話をした翌日、朝起きたら机の上に50万円が置いてあったんです」

裕福な家庭だったんですね。

「全然、裕福じゃないです。これは何かと聞いたら、“昨日言っていたやろ、これでレンズ買ってこい”って。それで、“上田を1年間撮ってみろ。もし撮らんかったら、そのレンズ、お前の目の前でゴミ箱に捨てたる”って言われました。それで買ったのが、キヤノンの「New FD500mm F4.5L」でした。それから毎週末、リュックサックにカメラとレンズを突っ込んで、原付バイクで花園ラグビー場に通ったんです。家から30分ぐらいかな。スタンドの柵を乗り越えてグラウンド脇で撮っていたら、ある日、おっさんに後ろから首根っこをぐっとつかまれて、“何しとんねん”って。理事長室に連れていかれて、理事長(野々村先生、当時は、大阪経済大学教授)に事情を説明したら、“よっしゃ、じゃ入場券だけ買ってくれ、あとはカメラマン扱いするから”って。そんで4年間、報道の腕章つけて撮り続けたんです」

説田浩之

花園っぽい、いいストーリーですね。ラグビーの何が面白かったのですか。

「ラグビーそのものがメチャクチャ面白かった。こういうカッコいいものをみんな見たらええちゃうんかなって。人間臭さとか、ぶつかった時の迫力とか音とか。試合前、円陣組んでいるところもよかった。当時、見られなかったロッカールームの中とか写したら、もっともっとラグビー人口増えんちゃうかって思ったもんです」

大学の卒業後は。

「大手印刷会社に入ったんですが、2カ月半で辞めました。物撮り(商品撮影)するのが嫌だった。スポーツを撮れると言われて入ったのに、話がちゃうやんって。梅雨に辞めて、その年は年末までカメラ屋さんでアルバイトしながらフリーの仕事を始めていました。次の年(1993年)にサッカーがプロ化されると言われて、松下電器(現ガンバ大阪)のオフィシャルフォトグラファーになったんです(今はヴィッセル神戸のオフィシャルフォトグラファー)。その後、1996年か1997年に、神戸製鋼ラグビー部の撮影をさせてもらうことになりました」

そこで感じたラグビーの魅力は。

「例えば、ダン・カーターは何をしても絵になります。サッカーのイニエスタも同様ですが、周りの空気感がちょっと違う。ダン・カーターは一瞬で空気がパッとなるんです。何を言わなくても、ボールよこせよといった感じになる。ボールを持つと、すべてのプレーにつながっていく。なんやろな、あの独特な空気感は」

サッカーとラグビーの違いは。あえて、お酒に例えると。

「何やろうなあ。サッカーってビールかな。がばがばいけそうだから。ラグビーって、ちょっと味わいながら飲む感じで。一つ一つのプレーが楽しいから、日本酒かな。とにかく、一番カッコいいところを撮ってあげたいんです。その人の一番いい表情だったり、一番いいシーンだったり。ラグビーは泥まみれでやっているのが一番好きです。歯を食いしばって。だから、今の競技場はキレイになりすぎて、ちょっと…。例えば、ドロドロになった大八木(淳史)さんが叫んでいる写真が撮れたら最高ですね」

ラグビーのベストショットは。

「役員室に写真を飾って頂いた事もあります。もうフォトグラファー冥利に尽きます。自陣からボールを回して、ラストパスを投げた瞬間の写真。投げた選手、ボール、受ける選手が並んでいる。それを大きく延ばして。僕にとって、ラグビーは“つなぐ”イメージなんです」

取材の際、失敗経験は。

「大学生の時ですが、高校大会の撮影でフィルムを入れ忘れたことがありました。今はカメラも進化して、失敗はあまりないですね。雨の日にカッパを忘れたくらいですか」

説田浩之

フォトグラファーとしての成長は。

「それなりに撮ってきたので、ちょっとは先が読めるようになりました。いや、それを言ったら選手に失礼かな。まあ、いい写真を撮れる確率はよくなりました。それは基本ができてなかったら無理なんで」

基本は。

「常に光と影は意識しています。デーゲームなら、太陽はどこにいるんやろうって。じゃ、どこに座ろうかなって考えます。それと、選手との距離感ですかね。もちろん、選手と仲良くなってもいいけど(なりたいと思う反面)、仲良くならんでもいいかなって。他の人にとやかく言われるのが一番嫌なんで。やっぱり被写体とは一線をおいて、写真の中で対話すればいいかなって思うんです」

さて、ラグビーワールドカップは。

「楽しみですね。ただ、まだ日本にはスポーツの文化が根付いていないと思います(感じています)。いま、6歳と4歳の子がいるんです。この子らを外で遊ばす方法ってなんやろうって考えています。子どもにボール遊びやかけっこをやらせてあげれば、日本のスポーツ文化はもっと広がるんじゃないかなって。何を言いたいかと言うと、今の子供たちは、親から言われたスポーツをするのが当たり前と言うか、小さい頃から気楽に色々なスポーツができる環境をつくれないかなと」

ワールドカップではどんな写真を。

「機会があれば、スタンドで子どもが喜んでいるところを撮りたい。目をキラキラさせて、お父さんが子どもと手をつないで笑って帰っているところもいい。そんなシーンが増えれば、日本も捨てたもんじゃない」

夢は。

「子どもたちが、楽しげにスポーツをやっている姿を見るのが夢です。趣味は車。動くものが好きなんですね。動くものは美しい。キレイです。スポーツには喜怒哀楽があり、美を感じます。手の表情もキレイですよね」

最後、説田さんの手を見せてもらえば、少し太めのフッカーのごとき、力強さを感じさせる職人風の指だった。

インタビュアー:松瀬 学