PHOTOGRAPHER INTERVIEW

画像:フォトグラファーインタビュー

INTERVIEW07 築田純

『スポーツ写真は光と影、人間ドラマ』

築田純氏のベストショット
1/1250sec F5.6 ISO8000 ©JRFU,2019
撮影機材

EOS-1D X Mark II, EF600mm F4L IS II USM + EXTENDER EF1.4x III

2018年6月23日の日本代表×ジョージア代表の一枚です。雨の豊田スタジアムでした。若手の姫野(和樹)選手が将来のジャパンを背負っていくんじゃないかという予感があり、彼を狙っていました。日本人離れした大きな体で外国人選手に向かって突進していく。弾けんばかりの力強さ、迫力、パワー、もうフォトジェニックなんです。特に良いのが顔ですね、目です。腕っぷしの強そうな体付き、筋肉、みなぎる闘志、そういったものが写真から感じてもらえれば嬉しいですね。

PROFILE

築田純(つきだ・じゅん)

築田純

1962年埼玉県生まれ。東京綜合写真専門学校卒。その後、写真家の水谷 章人氏に師事し。1988年にフリーのスポーツ写真家として活動をはじめる。1997年からスポーツ写真家集団アフロスポーツに参加し、オリンピックや各種世界選手権など、国内外のスポーツ競技を幅広く撮影。2013年に再びフリーで活動をはじめる。トップリーグ NECグリーンロケッツのオフィシャルカメラマンを務めている。「サンディスクエクストリームチームメンバー」1989年第5回東川賞新人作家賞受賞。JSPA(日本スポーツ写真協会)会員。写真展、個展・グループ展多数。

4月某日。葉山マリーナそばのレストラン3Fで人気選手、五郎丸歩さんを撮影する時だった。インタビュー開始まで約1時間。繊細な神経をもつフォトグラファーの築田純さんは準備に没頭していた。光を反射させるレフ版を置き、何度もカメラのファインダーをのぞく。

「たしか海とか外の風景が見える位置取りもあれこれ考えていました」。その3日後のインタビューで、56歳の築田さんはそう、振り返った。やさしい語り口。少しはにかむ。
「ただ、五郎ちゃんはカッコいいですから。顔がインパクトあるし、みんな知っている人だし、笑顔が爽やかだし…。そういうところを狙いつつ、ちょっと広角で背景も写り込むような、その2つのパターンをイメージしていました」

“光と影”を大事にする。フリーのスポーツ写真家となって、ざっと30年。過去の作品を拝見したら、被写体の微妙な陰影に魅かれる。1989年の東川賞新人作家賞を受賞した際のラグビーのモノクロ写真からは、泥んこのプロップの人間ドラマまで伝わってきた。

あえて光と影は意識を。

「スポーツに限らず、写真という大きなくくりの中で、光と影は永遠のテーマだと思っています。非常に大事なもので、写真の命といえば命、幹になるものですね。光の加減を表現できるときは、それもプラスしようと思っています。だから、正直、雨の日はつまらない。外の試合で、太陽が出ている日はワクワクというか、テンションが上がります」

なぜ、ラグビーを。

「子どもの頃、スポーツは苦手でしたけど、見るのは好きだったんです。父親が同志社大学OBで、全国大学選手権に同大が出場すると、秩父宮ラグビー場に連れて行ってもらった。小学校低学年からで、プロ野球が人気の時代です。当時、ラグビーは知る人ぞ知るスポーツで、ルールはよく分からなかったですけど、オモシロいスポーツだなって思っていました」

どの点がオモシロかったのですか。

「楕円という不思議な形をしたボールを、1チーム15人、トータル30人が奪い合って、敵陣のインゴールにトライする。ぶつかる。選手の力強さ、迫力というか、僕から見たら30人みんなが大きく見えていたんです。スクラムの押し合いへし合いも絵になっていたし。ラグビーって、カッコいい競技だなって思っていました」

築田純

いつから写真を。

「中学で写真部に入ったんです。小学校1年生から絵画教室に通って絵が好きだったので、中学では絵画部に入ろうと思ったんですが、男の子がいませんでした。それは恥ずかしいと思っていたら、友だちから写真部に行こうって誘われて。最初の頃は、飼い猫とか、電車や航空ショーとかを撮っていた。スポーツも好きだった。学校の文化祭でラグビーの写真を展示した思い出があります。中学3年間は、アトリエで絵も勉強していました」

高校を卒業して、東京綜合写真専門学校に進みます。卒業後、その専門学校の卒業生でスポーツ写真として活躍していた水谷章人さんの弟子となります。どんな勉強を。

「水谷さんのもとには5年ほどいました。まずは挨拶や礼儀など、社会人として鍛えられました。今のカメラはオートフォーカスだから自動でカメラとレンズでピントを合わせてくれるけど、当時は手動で合わせていました。事務所が始まる30分前には近くの歩道橋の上に来て、望遠レンズを構えて走ってくる車やオートバイにピントを合わせて撮影するなど、ずっと練習していました。36枚撮りのフィルムを現像して、今日は成功確率が36分のいくつとか。そういう基礎トレーニングを毎日やっていました」

現在はオートフォーカスです。カメラは格段に進歩しました。現在はキヤノンのどれを。

「このEOS-1D X Mark Ⅱが最高です。動いているものにピントを合わせる能力、スピードが抜群。高速で1秒間に14回シャッターが切れてチャンスを逃さない。スポーツの現場で一番威力を発揮してくれる機種として、現在最強のカメラです」

1988年にフリーのスポーツ写真家として独立した。冒頭の新人賞を撮ったラグビー写真は、あの新日鉄釜石の故洞口孝治さんらフロントロー陣がスクラムを組む前のシーンでした。泥んこで。

「あの時代、ラグビー場に芝生は生えていなかった。天気が悪い中、泥んこになりながら、本当にひたむきにプレーしていた。泥んこの中の写真って、絵になるんです。当然、写すところも泥んこでした。あの頃は試合の日、いい写真が撮りたいから“雨になれ”と念じたこともあります。ははは。今は嫌ですけど」

フロントロー陣の悲哀を感じますね。

「スクラムを組む一列目って、本当に苦しいと思うんです。縁の下の力持ちのフォワードの役どころを表現したかった。洞口さんは、あの時代のフォワードを象徴するような選手だった。いぶし銀のオーラを放っていました。オーラを感じる選手ってカッコいいし、どこを切り取っても惚れ惚れします」

築田純

オーラを感じたラグビー選手って、ほかに誰でしたか。あえて3人挙げるとすれば。

「まず故平尾 誠二さん。立っている風貌だけでも絵になっていました。チームの指令塔で、球さばきもボールを持っていく姿も、すべてにおいて絵になった。キレイだし、もう男から見てもセクシーさを感じるような選手でした。金色の輝きです。次に関東学院大からNECに進んだ箕内 拓郎さん。ボールを持たなくても、こうグッと目つきに迫力があった。存在感がありました。そして、五郎ちゃんでしょ。あの大きな体で、一番後ろの要として仁王立ちしている。色に例えると、箕内さんはNECグリーンロケッツだったから渋い緑色かな。五郎ちゃんはヤマハ発動機ジュビロだから、爽やかな海のイメージということで、キラキラの青色ですか」

さてラグビーワールドカップの印象はどうでしょうか。たしか1999年には行っていますよね。

「開幕戦がすごかった。英国カーディフのミレニアム・スタジアムだったけれど、スタジアムが大きくて、観客の声援が屋根にこだましていました。上から降り注いでくる観客の声援を聞いただけで鳥肌が立ってきました。こんなにお客さんが来て、こんなにも盛り上がるものなのか、ラグビーって。カードは日本戦ではなく、外国人同士の試合(ウェールズ23-18アルゼンチン)だったけれど、とにかく両チームともでかかった。誰かのトライシーン、次の日に近くの現像所に走っていったのが思い出ですね」

今年のワールドカップへの期待は。

「たくさんのスーパープレーヤーが日本に来るんだから、迫力あるダイナミックなプレーを是非、撮ってみたいですね。せっかくの日本開催、ラグビーファンの人たちには日本戦に限らず、是非会場に足を運んでもらいたい。観客の声援とか叫び声とか、喜びとか落胆とか、スタンドで体感してもらいたいものです。スタジアムに行けなくても、近くのパブリック・ビューイングでも体感できるし、海外からのファンとも交流してもらいたいですね」

プロのフリー写真家として30年。変わったことは。

「体力かな。まあ、経験値は増えてきているから、技量はともかく、この選手を撮るならこっちいこうとか、ある程度の読みはできるようになりました」

最後にモットーは。

「座右の銘はないけど、スポーツ写真は、光と影、人間ドラマです。その辺はスポーツ写真の醍醐味だから、これからも常に大事にしていきたい。だから僕は死ぬまで、自分の写真集のタイトル、『スポーツ・シアター』というテーマにはこだわりたい」

インタビュアー:松瀬 学