インタビュー - Interviews -

村上 大介選手
インタビュー

「日本生まれだから日の丸を背負いたい」
韓国で好演し、平昌五輪へ意欲

文・野口美恵(スポーツライター)

今季はGPシリーズNHK杯優勝、四大陸選手権4位と、トップスケーターへの扉が開かれた村上大介。今季の飛躍と、今後の目標について語った。

ISU主催大会で、日本男子では最高位の4位。見事な演技でしたね。

全日本選手権で7位に落ちて悔しい思いをしました。四大陸選手権というチャンスをもらえた瞬間から、とにかく日本男子として旗を背負って頑張ろうと思っていたので、日本人のなかで一番なのは嬉しいですが、個人的には優勝が目標でした。パーフェクトな演技をしても表彰台に届かなくて、今は悔しい部分が大きいです。まだ表彰台に足りないという評価を頂いたので、もっと練習したいです。

習わなくてもアクセルを成功 米国代表として迷う間もなく世界へ
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村上選手というと、2006年世界ジュニア選手権に米国代表として出場していたのを思い出します。米国時代はどんな選手だったのでしょう?

米国でスケートを始めたのは、9歳の時です。両親がグリーンカードを得て移住し、僕はショッピングモールのアイスリンクでスケートを生まれて初めて見たんです。とにかく楽しそう、僕にも出来る、って思って滑り始めました。

米国では神童と呼ばれていたと聞いています。

小さい頃はやんちゃだったので、あまり苦労することがなく何でも挑戦してました。シングルアクセル(1回転半)も、周りの人を見て「絶対に俺も出来る」って跳んだら跳べちゃったんです。すぐに活躍できたので、米国代表か日本代表かなんて何も考えないうちに、15歳で世界ジュニア選手権に米国代表として出ました。

その頃はまだ国旗の重みも分からないですよね。

まずは楽しく滑っていただけで、今のように選手として真剣に競技を続けていくことは予想していなかったんです。

浅田選手の母が「日本人なら日本代表に」 「真剣に考えて」所属国を転向
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日本代表に転向しようと考えたきっかけは?

2006-2007シーズンは、ラファエル・アルトゥニアンのもとでトレーニングしていたのですが、浅田真央ちゃんも習いに来たのでお友達になったんです。その時にお母様の匡子さんが「日本人なのに、なんで日本代表じゃないの?日本から出た方が良いんじゃないの?」と言って下さって。日本スケート連盟の方から声を掛けられたこともあったけれど、それまでは真剣には考えていなくて、その時初めてじっくり考え、決めました。

代表国を変更すると1年以上は国際試合に出られなくなります。

国際試合に出られないからといって、悔しさも怖さもありませんでした。日本に移って嬉しいという気持ちが強かったですね。日本の大会に参加させてもらえましたし、色んなジャンプを練習する時間が出来ました。

コーチも変更したのですね。

その時ちょうど、ニコライ・モロゾフにコーチを変更しました。当時は青森短大に所属しながら、ニコライが中京大を拠点にしていたので1年のうち8カ月くらいは愛知にいました。日本にいて、安藤美姫さんや髙橋大輔さんなど日本の選手と一緒に練習して、日本代表として行動することが面白かったです。楽しい思い出ばかりです。

社会人になり、米国に練習拠点を移した理由は?

ニコライはすごく可愛がってくれたんですが、多くの選手を抱えているので試合の遠征に行って不在か、合宿が多かったんです。移動が多くて僕は追い付いていけなくなり、拠点を定めたいなと思って、ロサンゼルスのフランク・キャロル先生のところに移りました。その後は精神的にも安定して、毎日同じ環境で、練習の計画も立てられるようになりました。それが今の成長に繋がったと実感しています。

今は日本代表として、米国留学している形になるんですね。

ロサンゼルスでは一人暮らしになりました。食事は自炊ですよ。米国の外食は量が多すぎるので、シーズン中は特に外食はしないです。自分で作った方がダイエットになりますから。サラダとかパスタとかが多いです。

「いるだけで安心する」フランク先生 テン、ゴールドらと練習し実力アップ
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同じチームには、四大陸選手権優勝のデニス・テンや、NHK杯優勝のグレーシー・ゴールドもいますね。

ゴールドちゃんとテンちゃんは僕よりもレベルの高い選手ですが、練習のときは「プログラムを通して最後まで滑りきる」というルールは誰もが一緒。皆で励ましあって練習を重ねてきて、気がついたらスタミナがついていました。

ここ3年くらいで4回転の調子も上がってきました。

4回転ジャンプの改造もしました。アルトゥニアンの所にいた16歳の時に、4回転トウループとサルコウと2種類を跳んだんです。でもクセがあったのでフランク先生に直してもらって、ジャンプを効率良く跳ぶ技術を教わりました。先生は、技術に関して1つの基礎、1つのパターンを教えてくれるので、分かりやすいです。

精神的にも、本番に強くなったのでは?

先生からは「とにかく練習がそのまま試合に出る」と言われています。今までは試合会場に入ると周りが気になって、ネガディブなことを考えたりしていました。今季は先生から、「公式練習」「6分練習」「本番」でどんな風にものごとを考えるのかを習ったので、かなり試合に繋げられるようになっています。先生からは「まだ今年はジャッジを見なくていいし、ジャッジアピールもしなくていいから、練習通りにやれ」と言われています。

全日本選手権だけが、実力を発揮できなかった感じですね。

結局、フランク先生がいると安心するというのが分かりました。全日本選手権の時だけ、先生がいなかったので。四大陸選手権でも、6分練習のあと先生はテンちゃんの所に行っていたけど、同じ建物の中に先生がいると思うだけでホッとしました。先生は試合1週間前からひどい風邪をひいていたのに頑張ってソウルまで来てくれたので、飛行機の中でビタミン剤をたくさんあげて、僕も励ましてました。

キャロル先生のチームは仲が良いですよね。

やはり先生は経験豊富なので、とにかく先生の言うことを聞いて、先生が示してくれる道を通っていけば良いと感じています。テンちゃんやゴールドちゃんが、今はお手本ですが、練習から争う気持ちで滑りたいです。

スピン、ステップでレベル4をマーク 今後は4回転2種類と連続ジャンプへ
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改めて四大陸選手権ですが、4位という成績だけでなく、スピン、ステップのすべてでレベル4だったことが、快挙といえると思います。

これは先生のお陰です。自分自身はジャンプのことしか考えないタチなのですが、先生はずっとスピンのレベルのことを注意していました。その点数差で順位が変わるんだから、と。試合中にスピンの回転数を「1、2、3」と数えている先生の声が聞こえて、最後まで頑張れました。普段の練習でも、NHK杯でも声を掛けてくれたのですが、やはり先生の怒鳴り声が力になりますね(笑)全部レベル4は、スケート人生で初めてなのですごく嬉しいです。

フリーは最終滑走という重圧も乗り越えました。

最終滑走はあまり経験がなく、全日本選手権ではすごく緊張してしまいました。その悔しさがあって、また四大陸選手権で最終滑走だったので、厳しい順番だけど最後まで諦めないで滑ろうと決めていました。廊下にいると、選手みんなが良い演技をしているのが聞こえてきて、僕もノーミスしないと表彰台は厳しいと分かりました。それに6分間練習から最終滑走まで45分もあるので、ずっと身体が冷めないよう(軽いランニングの)アップをしてから4分半滑ったので、とにかく苦しかったです。喜びとヘトヘトの両方で、氷に倒れちゃいました。

ノーミスでも4位というと、実のところ複雑な悔しさはあるでしょう。

4回転を計3回成功出来たことがレベルアップですが、パーフェクトに出来た分、課題がいろいろと見つかりました。セカンドマークをもっと上げていくことが一番大事。あとジャンプの種類も増やしたいです。

セカンドマーク、つまりプログラムコンポーネンツが第一の課題ですね。

先生からは「とにかくコンポーネンツは大事」と言われています。四大陸選手権フリーの前夜の練習でも、最後の10分は振付けのチェックだけやりました。コンポーネンツで10をいつかは出してみたいし、頑張れば可能だと思っています。

ジャンプの種類を増やすという課題もありますが、具体的には?

来季はフリーで4回転を2種類、計3本入れて争っていきたいです。

せっかくショートで4回転を跳んでも、「4回転+2回転」の連続ジャンプなのはもったいない部分なのでは?

そうなんです。「ショートの4回転+3回転」と「フリー演技後半に3回転+3回転」が必要です。でも全日本選手権後から2月の四大陸選手権までには間に合いませんでした。3月末に予定している大会までには、せめて「3回転+3回転」は練習したいです。

改めて、日本代表として日の丸を背負う気持ちは?

本当に幸せです。日本代表として。アメリカ育ちだけど、日本で生まれたし国籍も日本人。日の丸を背負って試合にでるのは、大きな舞台だと感じています。四大陸選手権は、韓国ですごく良い演技ができたので、2018年の平昌五輪に向けて良い思い出となり、すごく参加したいという気持ちが出てきました。まずは来季、GPシリーズに出場してファイナル進出を争っていきたいです。

(2015年2月、四大陸選手権の会場にて取材)

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