インタビュー - Interviews -

髙橋 大輔選手
インタビュー

自分の人生を作り上げていくための復帰
スケートを好きだと実感する日々

文・野口美恵(スポーツライター)

32歳で5季ぶりの復帰を果たした髙橋大輔選手。長年のファンの応援を受け全日本選手権で銀メダルを獲得すると、世界選手権は辞退し、華やかに復帰1年目を締めくくった。復帰シーズンの嬉しさ、そしてスケートへの思いを語った。

皆に応援され世界と戦った9年
「最後の2年は苦しい気持ちだった」
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復帰、そして全日本選手権での銀メダル獲得おめでとうございます。今季はどの試合も幸せそうにしていたのが印象的でした。

昔の現役時代よりも、今の方がスケートをすることへの喜びを感じています。引退後、色々なことを経験させていただいて、自分は何をしたいのかを感じ取りつつ、自分がやり甲斐を感じられると確信してスケートをしています。昔はただスケートするのが当たり前で、「スケートが好き」という感覚さえわからずにいました。今は自分で選んで復帰しましたし、日々「やっぱりスケートが好きだな」と素直に思えるようになりました。

改めて、昔はどんな気持ちでスケートしていたのか振り返ってみて、いかがでしょう。

トリノ五輪の前年までと、トリノ五輪のシーズンからの9年は、全然違う感覚でした。2002年の世界ジュニア選手権で優勝してから自分では想像もつかなかった環境に変化していき、シニアに上がると世界のトップの壁がすごく厚いことを目の当たりにしました。4回転時代と言われていたのに、僕がなかなか4回転を跳べなかった時期で、「このままダメになるんじゃないか」と、最初の苦しい時期でした。

トリノ五輪シーズンに全日本選手権で初優勝。そこからはエースの時代でしたね。

はい。トリノ五輪のシーズンからは、楽しい100%、しんどい100%。皆に応援されて世界と戦ってきたので、辛いことがたくさんあっても活躍もできて、努力が返ってきて楽しいこともありました。でも最後の2年は、それまでの楽しかったことを相殺するぐらいしんどくて、「ここで頑張らないとダメだ」と思う気持ちはあるのですが、力が出ない。技術面よりも、精神的に辛い面が強くなって、最後は苦しい思い出のまま引退してしまった感じでした。

後輩に追い付かれてきた時期でもありましたね。

それもありました。勝てなくなっていく自分が受け入れられなかったんです。あれを受け入れていたら、もっとスッキリとした気持ちで試合に挑めていたと思います。勝ちたいかどうかより、負けたくない気持ちがどんどん膨らんで、自信を失っていきました。練習しても上手くいかない、勝てない、演技も上手くならない、脚も痛い。もうスケートから逃げたい、と思ってしまったんです。

「スケートをないがしろにしていた自分はダメ
試合に出るくらい追い込まないと演技を取り戻せない」
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復帰という決断は意外でした。復帰には色々な理由があると話していましたが、一番の理由はなんでしょう。

もともとテレビの前で喋るのは得意ではないけれど、やってみないとわからないと思ってやってみたら、やはり向いていなかった。どんどん自信を失う自分に耐えられなくなっていきました。そんな時に、ダンス公演「ラブ・オン・ザ・フロア」やアイスショー「氷艶」で自分の身体を使ってパフォーマンスしてみたら、すごい充実感があったんです。自分に向いていないことと、すごく楽しいこととの両方を経験したことで、スケートが自分に自信を与えてくれていると気づいたんです。やっと「スケートをないがしろにしている自分はダメだな。やっぱりここが自分の場所。スケートを大切にしないといけない」と強く思うことができたんです。

何だか恋人を失って反省しているような感じですね。

そうですね。それで自分のスケートを再び作り上げるためのモチベーションとして、現役復帰を選びました。引退後の4年はスケートをないがしろにして、積み上げてきたものがほとんどなくなってしまいました。ですから試合に出るくらい追い込まないと、自分の納得いく演技は取り戻せない。これからの人生のための現役復帰、自分の人生を作り上げていくための再スタートが現役だったんです。

ソチ五輪後の世界選手権を棄権したことで、やりきれていない思いもあったのでしょうか。

いえ、あの時は足に無理があって、自分自身ではもう頑張れないと思っての棄権でした。練習する気力も湧かないほどに、疲れ切っていましたし、限界でした。今は、試合で勝ちたいとか、世界でチャンピオンになるとかのモチベーションはありません。

長光歌子先生は、ソチ五輪後に「将来スケートができないほど足を痛めてしまうから、世界選手権は棄権してほしい」と言ったことを4年間後悔していたそうです。「私が、大輔が次の人生にいくきっかけを奪ってしまった」と。

いえいえ、長光先生の影響ではないです。本当に自分自身が限界でした。むしろ先生はその後の4年間、アイスショーに向けた練習で僕の調子が良いと「4回転もできるね」と言って、僕より現役復帰を望んでいました。僕自身は昨季の全日本選手権で決意するまで、戻ろうなんて4年間、一切思っていませんでした。

復帰にあたって、すぐに指導をお願いしたのですか。

実は、コーチとしての依頼はまったくしていないんです。2017年末の年越しで食事をしたときに「現役やろうと思う」とは言いましたが、「現役復帰するのでお願いします」とは言ってないんです。僕がやりたくてスタートしたことなので、自己責任で何でも人に頼らずやろうと最初から思っていました。もちろん、歌子先生も本田武史先生も、リンクサイドに立たないなんて絶対に言わないとは思っていましたが(苦笑)。

「自分で決めたスタート、人に頼らない」
ジャンプから料理まで、自立がコンセプト
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自己責任がコンセプトですね。

そうです。4年前はサポートしてくれるメンバーが多いことで、気持ち的にも人に頼り過ぎていました。もう少し自分1人でやることが大切だと思っていれば精神的に強かったかも、という反省があります。もちろん、あの時は全部のサポートが必要だったのですが。だから今回の復帰は1人で自立するというのも目標です。

具体的にどんなことを1人でやりましたか?

まずジャンプは、復帰したら1回転から作り直そうと決めていました。昨年の世界選手権を見たら、やはり最近の選手は効率的に跳んでいる。だから復帰するからには自分もイマドキのフォームに変えようと決めていました。同じリンクにいる宮原知子さんも、紀平梨花さんも、若い子は皆を参考にしました。

同じ関西大学のリンクでは、濱田美栄コーチのチームも一緒に練習しているのですよね。

はい。しかもチームに関係なく、濱田先生も色々なアドバイスを下さるんです。あと僕が復帰を宣言する前の時期だと、濱田先生はとても研究熱心なので、「こういう跳び方を考えているんだけどちょっとやってみてくれる?」と言われて僕が試してみて、それが勉強になったりしていました。みんなに甘やかしてもらっているのでそれを受け止めて、あとは自分の感覚に落とし込んでジャンプを作るのは自分です。

皆に愛されてスケートしているのですね。他に自立したなと感じることは?

料理も始めました。4年前は栄養士さんにお任せしていましたし、引退後は出前や外食ばかりでしたがそれだと野菜が摂れない。料理のアプリを見ながら3品くらい。スープは必ず作って、野菜をいっぱい摂ってお腹を満たしています。大量に作って残ったらお弁当にして、皆に見せびらかしたり。もともと掃除は好きだし、料理ができないことだけがネックだったんですが、これで結婚しなくても安心して老後を過ごせるって自信がつきました(笑)。

実際に精神的に強くなった実感は?

自立と言っておきながら、試合はやっぱり弱いな、と思いました。でも前よりちょっとだけ余裕はできて、試合前にイライラしたり、先生に八つ当たりすることは減りました。スケートを嫌いになるような精神状態にはなりません。自分はスケートをやりたいんだ、という位置づけをしっかり感じられるようになりました。

「若手に活躍してほしい気持ちが、
自分が活躍したいのと同じくらいある」
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4年間で、技術的に伸びた部分はありますか?

やはりジャンプはやり直したので、ジャンプ力が出てきたと思います。2008年に手術してからは、実際にはジャンプが低くなっていたので、今の方がジャンプに高さがあるな、と。映像を見返してもそう思いました。4回転トウループも、現役最後の時期に跳んでいたものより上手くなっている実感があります。

4年ぶりの試合で新鮮だったことは?

何もかもです。まず近畿選手権で、キス&クライがなかったので得点を見るのを忘れてロッカーに帰ろうとしたこと(笑)。そもそも公式練習の前にCDを渡すとか、演技直後にCDを返してもらうとかも忘れていましたし、全日本選手権のあと、会見があるのも忘れていました。あと、6分間練習の時に、1人ずつ名前を呼ばれて手を振るのが新鮮でした。どうやって手を上げたら普通かな、なんて、そこで緊張してしまったくらい。前は6人が順番に入っていってそのまま練習だったけど、今は一斉にスタートだからフェアで良いと思いました。

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全日本選手権のフリー演技後、いくつかミスはありながらも苦笑い。あの表情が今季を物語っていたのかなと思います。

あの苦笑いは「やってしまった!自分はこんなもんやったか」という感じです。4回転トウループが3回転になって、得意の3回転フリップで手を突いたり、サルコウで転んだり、さらには最後のスピンでまさかの止まれない・・・。「最悪や、どんだけメンタル弱いねん」と自分に突っ込んでいました。ただ今季はできなくても当たり前だし、自分がやりたくてスタートしていたので、ヘコみませんでした。そのあたりの苦笑いですね。

そうはいっても2位ですから素晴らしいです。世界選手権は、選考資格は満たしたものの辞退とのことでした。

もちろん迷いはありました。でも世界と戦う覚悟が持ちきれなかったのが大きな理由です。これからの若手が、世界の舞台を経験することのほうが必要だろうなと。若手がどんどん成長していってほしい気持ちが、自分が活躍したい気持ちと同じくらいあるんです。

「生涯現役。最高のパフォーマンスを
いつでもできることが目標」
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来季も続行とのことですが、目標は?

色々な方に目標を聞かれるのですが、どの試合を目指すかとか順位とかの目標は全くないんです。自分の中では、「最高のパフォーマンスがいつでもできるよう準備しておきたい」というのが本音のモチベーションなので、世界を目指したいわけでもない。あえて言えば、自分が滑れなくなる日まで全力でスケートできればいい、それが目標です。

現役復帰会見のときに、「将来的にパフォーマーとして生きていく」という言葉が印象的でした。なぜプロスケーター、と言わなかったのでしょう?

プロスケーターというのがなぜか恥ずかしいんですよね。僕は喋るよりも自分の身体を使って表現したい。それなら、「ラブ・オン・ザ・フロア」のようにスケート靴を履かないで表現するという道もある。スケートは自分に自信を与えてくれるものですが、身体で表現することは好きなので、そういった意味で幅を持たせたくてパフォーマーという言葉を使いました。

復帰してみて、ファンの存在は変わりましたか?

今は自分の勝手をさせてもらっているので以前とは違う感覚です。以前は「ファンの方がどんな演技見たいかな、喜んでくれるかな」と考えて曲を決めたり、演技したりしていました。4年前まではファンが減ることへの恐怖もありました。でも今は、4年間ついてきてくれた人たちへの感謝や信頼感が僕を支え、つながっている感覚があります。

でも、ファンの応援を力に変えるタイプですよね。

もちろん、応援は力になります。でも今は、僕がスケートに集中することでファンの方々が喜んでくれるのかな、と感じています。だからファンを意識して増やそうとは思わずに、自分のスケートをしっかりとすることが大事。それ以外に恩返しできることはないですしね。

改めてファンの方にメッセージを。

皆さんからは、来季の曲や試合について聞かれますが、まだ具体的な計画は考えていません。「一生現役」ではないですが、アイスショーにも出てスケートを良い状態でキープしておきながら、いつでも切り替えて試合もできる、というようにしておきたいと思っています。僕の人生の中で、去年の復帰は一番大きな決断でした。引退の決断はいつかすることでしたが、復帰は自分でも想像してなかったサプライズ。だからこの大きな決断を応援してくれて、本当にありがとうという気持ちです。

こちらこそ復帰してくれてありがとうという気持ちです。来季も期待しています。

2019年1月、都内にて取材

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