インタビュー - Interviews -

友野 一希選手
インタビュー

覚醒のシーズン、世界選手権はショート3位
「世界の表彰台は見えた、でもまだ甘かった」

文・野口美恵(スポーツライター)

今季はGPシリーズ・ロシア杯で表彰台に立つと、四大陸選手権では銀メダルを獲得し、覚醒のシーズンを送った友野一希。エンターテイナーとしての人気に加え、メダルを争う貫禄もついた。成長の止まらない23歳が、これまでの道のりを振り返った。

個性派プログラムで「皆を笑顔にするスケート」
世界ジュニア選手権で「意識が変わった」
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友野選手は大阪でスケートを始めて、最初に習った平池大人先生に師事して17年となります。スケートを始めたときのことは覚えていますか?

本格的に練習を始めたのは小学1年生くらいで、まだ新人コーチだった平池先生を紹介していただき、習い始めました。小さい頃から目立ちたがり屋でしたし、平池先生からは「皆を笑顔にするスケート」ということを小さい頃から教えられてきて、それが僕のスケートの基盤になっています。なぜか僕はノービスのときからレベル1のステップを猛スピードでやるような個性的なプログラムばかりで、「あいつは面白いぞ」と覚えてもらえるようになりました。

ノービス、ジュニア時代から個性的なプログラムが多かったですね。

子供の頃は、杉田由香子先生の振り付けを、平池先生がさらに面白くしてくれる感じでした。ピストルを打ちながらアレクセイ・ヤグディンを真似たステップをするようなものもありました。ジュニア時代後半からは佐藤操先生の振り付けで、さらに僕の個性や滑りを生かしたプログラムで表現の幅を広げてくださいました。『ムトゥ踊るマハラジャ』の曲も『パリのアメリカ人』も『ウエストサイドストーリー』も、皆さんの印象に残るプログラムをたくさん作っていただきました。

人生の最初の転機となったのは、2016年にハンガリー・デブレツェンで行われた世界ジュニアだったと思います。

日本代表組が出発する日に補欠出場の連絡がきました。ジュニアとはいえ初めて「世界一」を争う舞台に友野一希という選手が出て、そして世界のレベルを目の当たりにしたことは本当に大きかったです。山本草太君や宇野昌磨君がなんで強いのかなとずっと思っていたのですが、「彼らはこの世界を見ていたのか、そりゃあ勝てない」と納得がいき、僕の見ている目線が変わりました。僕も世界を基準に練習しようと意識が変わった試合、僕の人生のターニングポイントの一つです。

2018年世界選手権、「ショートで人生を変えた」
ご褒美のフリーで躍進、5位の快挙
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その2シーズン後の2018年の世界選手権も補欠からの出場でしたが、よく準備が整っていましたね。

2016年の世界ジュニア選手権で意識が変わってからは、16−17シーズンに全日本ジュニアで優勝し、17−18シーズンは勢い付いてシニアにあがった時期でした。世界選手権の補欠一番手の無良崇人さんからは事前に「補欠が回ってきたらチャンスを君に回すよ」と言われていたので心の準備はできていました。

ショート11位から、フリーは3位、総合5位という快挙でした。

僕にとってのターニングポイントは、ショートのほうなんです。それまで僕はGPシリーズに呼ばれるほどの選手ではなく、大学4年生までスケートをやったら普通に社会人になると思っていました。でも世界選手権のショート24位以内に入って通過したら翌シーズンのGPシリーズ1枠をもらえる。スケーターとしての人生をつかむかどうかはショートの演技次第。自分の中で「ああ、ここだな」と。だからあのショートは、後にも先にも、人生で一番怖かった試合です。スタート位置に立った時に「ジュニアGPシリーズさえ、選考会で3年連続で落ちて4年かかった。このチャンスは自分で手にするんだ」と思うと、自然と力が湧いてきました。ノーミスで演技を終えた時には、今まで苦しかったことが全部フラッシュバックして「これから僕のスケート人生が変わるんだ」と思うと涙が出ました。明らかに自分の人生がかかっていた演技でした。

あのショート『ツィゴイネルワイゼン』の演技で、自らの力で人生を変えたのですね。フリーはまた違う気持ちでしたか?

フリーはもう何も怖いことはなく、ショートを通過したご褒美という気分でした。当日は朝から調子もよく、6分間練習のときは「照明がキラキラしていてすごいなあ」なんて思ってニヤニヤしてたくらいです。フリーは気付いたら演技が終わっていて、すごい点数が出て、来季のGPシリーズは1枠どころか2枠もらえて、日本男子の3枠にも貢献して、さらにフリーは3位でスモールメダルまでもらって・・・・・・。すべてが信じられませんでした。

翌シーズンからは北京五輪を目指す4年間が始まったと思います。

そこからは苦しい4年が続きましたが、スケーターとして生きていく人生を自らの力で選んだからこその苦労です。世界選手権で自分のベストを出し尽くしているだけに、翌シーズン以降それを常に出せるわけでもなく、難しい時期もありました。ただ順位には現れなくても、自分のスキルは確実に伸びているという確信はありましたし、ジュニア時代もどんなに失敗しても一つ一つやってきたので、いつかチャンスが来ると信じていました。

「絶対にあきらめへん」2020年全日本選手権で誓う
今季は「史上最高」を宣言し、奮い立たせる
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覚醒のチャンスを予感した瞬間はありましたか?

ありました。2020年の全日本選手権です。五輪前のシーズンということもあり、今までで一番高い意識で練習し、仕上がりも人生最高という状態で臨んだ試合です。なのに本番はボロボロ。今までは、練習でできていることはある程度試合で出せるタイプだったので、初めての体験だったんです。むしろ完全な状態で臨んだからこそ、試合での気持ちのどこが間違っていたのかが明確に分かりました。完璧に練習してきたんだと気負い過ぎていたのですが、むしろ練習を完璧にやってくることを当たり前にして、練習で身体に染みこませているから試合ではリラックスして、自動的に動くくらいが良かったんです。しかもキス&クライで平池先生が「こんなに練習したのに」と呆れていて、逆に火が付きました。「絶対にあきらめへん」って、あの時、僕は言ってるんです。

今季の友野選手の演技は無駄な力が抜けて、余裕のようなものが見えました。18−19シーズンの『ニュー・シネマ・パラダイス』を再演したことも、大人のスケートを感じさせてくれたと思います。

はい、今季は戦い方が変わりました。呼吸を大切にして、力を抜いて演技できるようになったら、表現にも余裕が出てきて、ジャンプの着氷も流れるようになったんです。『ニュー・シネマ・パラダイス』では思い出を振り返るテーマがあるので、僕のスケートへの愛を振り返る気持ちで、この北京五輪シーズンにまた滑りたいと思いました。僕は面白くてテンポの良いプログラムが多かったなかで、シンプルな振り付けで一歩一歩の伸びの美しさで魅せる、力を試されるプログラム。3年たって成長した自分で滑ってみたいと思いました。

今季は「史上最高」と何度も宣言していましたが、友野選手には珍しい強気の言葉を使っているなと思いました。

実際には僕はそんなこと言うようなタイプではないので、初めてメディアで宣言する時は、怖かったです。でも「自分史上最高を必ず出す」と言って、自分を奮い立たせようとしました。今季はそれを心の底からやらないと五輪には届かないと分かっていたので、大口を叩こうと決めたんです。五輪には届きませんでしたが、シーズン全体として結果を出していけたのは、やはり言霊もあったと思います。

ロシア杯は首位発進、四大陸選手権では2位
「初めて1位になりたいという気持ちが残った」

今季は前半から勢いがありました。GPシリーズ・ロシア杯では、ショート首位からの銅メダルを獲得しました。

まずはショート95点以上が目標で、それが達成できました。ただ、ショートを首位で迎えるフリーというのが初めての経験で、予想していない難しさがありました。メダルを獲る準備はしてきたけれど、1位になる準備をしていなかった。やはり僕はいきなり飛躍できるタイプではないので、まだ1位になれる器ではなかったんだな、と。メダル争いを経験できたことは大きかったです。

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四大陸選手権は見事に銀メダル。レベルの高いメンバーが揃うなかで、きっちり演技を揃えました。

初めて2位で嬉しくないという感情が湧いた試合でした。優勝したチャ・ジュンファン(韓国)とは、芸術面でもスケーティングでも差を感じて、彼がスケートに注いでいる気持ちが伝わってきました。彼の滑りの伸びやかさや表現の幅は僕にはないもので、彼の演技を大好きだからこそ彼を圧倒できる強さを身に付けたいと思いました。1位になりたいという気持ちが初めて残った試合で、次のステージが見えたと感じました。

さらに世界選手権は補欠からの出場で、ショート3位となりました。メダルのかかったフリーはどんな気持ちでしたか?

フリーはまだ難しかったです。ショート3位とはいっても、ヴィンセント・ジョウ(アメリカ)やイリヤ・マリニン(同)は既に高い得点を出しているだろうと思って氷に乗りました。そしたら観客の皆さんの反応が予想とちょっと違ったんです。「メダル行けるぞ」のような盛り上がりだったんです。瞬時に「僕がベストを尽くせばメダルに届くのかもしれない、これは自分が一番嫌な声援だ」と(笑)。正直まだ僕は世界選手権でメダルを獲るという心構えも覚悟もできていなかったので、その空気に呑まれました。

終えてみれば6位で、3位との点差は約8点。ちゃんとやればメダルを獲れたのにという悔しさはありましたか?

いえ、悔しさはありますが、獲れたのにとは思いませんでした。終わった瞬間に「まだまだお前じゃダメだ」と言われた気がして「俺はまだまだ甘かったなあ」と苦笑いしました。今の実力ではできないことだったので、表彰台が見えたということが今回達成できたステップです。

2018年の世界選手権ではフリー3位でしたから、スモールメダルが2つ揃ったことになりますね。

世界選手権の舞台で一度でも記者会見に行けたという経験はすごいことでした。スモールメダルがショートとフリーとで揃ったので、次は大きなメダル(最終順位のメダル)をという気持ちになりました。

「宇野昌磨くん、鍵山優真くんがメダルを掛けている姿を目に焼き付けた。
メダルをたくさん獲っている自分をイメージしていきたい」
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改めて、世界でメダルを争ったシーズンを振り返って、どんな成長を感じますか?

僕は日本男子という恵まれた環境にいることが力になっています。ナショナルトレーニングセンターなどで宇野昌磨くんや鍵山優真くんと練習する機会があり、去年、優真くんが出てきた時は衝撃でした。彼のスケートに対する向き合いかたにも私生活にも、そして練習のクオリティの高さにも、すべてに圧倒されて、「ああ、これだけやらないと世界のメダルは獲れないんだ」と。試合だけでなく普段の練習を見たことで、日本男子みんなが引っ張られました。優真くんを見て、目のぎらぎらした昌磨くんが戻ってきたことも嬉しかったですし、佐藤駿くん、三浦佳生くん、三宅星南くん、島田高志郎くんなどみんなにスイッチが入りました。だから来季はすごいことになると思います。全員が280点くらいを狙えるレベルにあるので、GPファイナル6人を日本男子が独占できるくらいの勢いです。

友野選手もその1人ですね。覚醒のシーズンを超え、来季へと夢は広がります。

世界選手権では昌磨くん、優真くんがメダルを掛けている姿を目に焼き付けて、次は僕もと感じました。友野一希がどこまでやれるのか、自分でも見てみたい気持ちです。メダルをたくさん獲っている自分、優勝している自分、それをイメージしながら、高い意識で練習していきたいです。今はスケートが楽しくて仕方がないので、今まで以上に自分らしいスケートができるように準備していきたいです。

平池先生とのタッグも18年目に突入ですね。

平池先生は僕の心の支えで、常に僕を見守ってくれている存在です。僕が行きたい、目指したいと思ったところへ着いてきてくれて、僕以上に僕のことを考えてくれている。ジュニアの頃は生意気になって、文句を言ったり反抗したりしたつもりなのですが、先生は反抗だと思っていなかったというくらい心の広い人。うまく転がされている気もしますが(笑)、一緒に新たなステージに向かっていきたいです。

2022年4月、世界選手権後に都内にて取材

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