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インタビュー|杉浦 邦恵(写真家・2018年度[第41回公募]審査員)

インタビュー|杉浦 邦恵(写真家・2018年度[第41回公募]審査員) インタビュー|杉浦 邦恵(写真家・2018年度[第41回公募]審査員)

写真メディアの特徴を活かした実験的な試みで数多くの先進的な作品を世に送り出してきた杉浦 邦恵氏。 1963年に渡米し、67年からはニューヨークを拠点に制作活動を展開されています。
今回のインタビューは、NYのアートシーンのいま、ご自身の制作、体験を通した写真表現について幅広くお話しいただきました。

審査を終えて

— 写真新世紀[第41回公募]優秀賞選出審査会では、NYで観たい、紹介したい新進作家を発掘したいとおっしゃっていましたね。NYに在住する日本、アジアの若い作家たちについてどのような印象を持たれていますか?

東洋人といえども、中国人と韓国人、そして日本人では違いがありますね。知り合いのキュレーターから聞いた話ですが、中国の方は、1回断っても2回断っても、あきらめずに何回もギャラリーに来るそうです。そうすると7回目くらいには、すっかり顔も覚えてしまいますし、作品も何気に覚えているので、どこかの企画で空きがあれば入れてあげようということにもなるわけです。ところが日本人の若い作家さんは、一回断ったら絶対戻って来ないそうなんですね。インテリで知識も豊かだけど、デリケートで傷つきやすく、粘りや持続に欠けるかな。
日本人の一番の欠点は、見せ方を知らないことだと思うんです。コミュニケーション能力ともいえるかもしれません。それが出来ていない人は、作品にも問題が多いと感じます。アーティストは作品を作るだけではなく、公表までの段階に発想豊かでなければならないんです。

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— 今のNYのアートシーンについて教えてください。

アート界はすごく燃えていると思います。人気のある現存作家の作品が高額で取引されています。また、そのような状況では、成功したアーティストと成功しなかった人の差がすごく開いてしまう一面があると思います。ただし、コレクターたちが値段の上がりそうな作品や作家を探していて、作家の思想の展開ぶりや技術の発展を応援する今までの関係が変わってきている。それが、アートフェア、オークションへの関心と今までの画廊や美術館への繋がりとの変化に現れてきている。
アーティストは世界中から集まって来ていて、ブルックリンやブッシュウィック、ニュージャージーなどで、仲間同士が集まってスタジオを持っているんですよ。みんな戦略的にやっている印象です。大げさにいうと、アートも若い人のベンチャー企業になってきていると見えるかもしれない。でも、アートは、不思議でアトランダムかもしれないです。

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— 自身の内面からあふれ出す思いや感情を目に見える形にし、物質化することがアート表現だと思っていたのですが、それだけではないんですね。
戦略的であるというのが時代を反映しているように思いますが、杉浦さんにとってのアート、表現するとはどのような行為であるのかお話しいただけますか?

アートは趣味人の世界から、ビジネスとして学生からプロになるように変革して来ているのかもしれないですね。もちろん成功するパーセントはすごく低く、長続きするかしないかも、保証なしであるとは思いますが。
ナイーブで無邪気な衝動から生まれるものが、時間や検証に耐えて普遍になれことがあるという、ある種のアメリカン・ドリームというか、それが絵や彫刻だけでなく写真にも起こっている。

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© KUNIE SUGIURA

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写真はトランプのエース

— これから自分の表現やスタイルを見つけていこうとしている方々に、アドバイスをお願いします。

まず、自分が何に興味を持っているかをよく考えてやってほしいです。例えば、視覚表現をやりたいのであれば、どういう方法がとれるのかを模索していくことになるでしょう。そこで重要なのは、長くやり続けることだと思っています。自分のちょっとした知識や理性ではわからないことが、長くやっている間に起こることがある。そこから、また新しい作品に発展することがあるんですよ。

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— ご自身でも、予測しなかった結果を得られた体験をお持ちなんですね。

「猫の書類」(1992)という作品は、暗室の中で子猫2匹を感光紙の上に放して、一晩放っておいて作ったものです。その放した時間分の猫の動きが、体液や体から排泄されるいろんなものが混ざって、物理的な痕跡として記録されています。1週間分の痕跡を残そうと思って、作品としては7点のプリントで構成していますが、実は制作したのは9点になります。つまり作業は9日間に及んで行ったのを、数をとして7点で構成しているんです。
1週間分を作るのであれば、7晩だけやれば良かったのかというと、やはりそうではなかった。作品に我慢強くしがみつくことが大事だということがわかったのは、やってみたからなんです。そのちょっとの差が、良い作家か良くない作家かを決めるのだと思います。100メートル走の選手が、ちょっと突き出した顎の先で勝敗が決まるように、作品の出来不出来、アーティストとしての人生にも差が出て来る。だからそこのところを努力してほしいと思います。

— まず、試みることに価値があるということですね。

写真はすごく魅力的なポテンシャルを持ったメディアでしょう。今は誰でもみんな簡単に写真が撮れる時代になりましたが、やってみるとその難しさもすごくよくわかると思うんです。だから逆に、写真というものに対して興味を持って見てもらえるようにもなっているとも思います。写真はある意味、表現の世界でも日常の社会でも、トランプのエースのようなメディアだと思っているんですよ。

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壮大な自然の時間と姿に惹かれて

— 今後の活動、計画があれば教えていただけますか?
最新作は「DGフォトカンヴァス」シリーズを手がけられていらっしゃいますよね。

これは、東京都写真美術館での個展(「杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年」2018年7月24日~9月24日)でも、数点、出展しましたが、まだどう展開するかが、はっきりしてないので、発表するときを待っていてください。
このシリーズでやりたかったことの一つは、自分がもう60年代から日本を離れて暮らしているので、祖国である日本のことをもっと知ることでした。だから、日本列島の南から北まで、新幹線で縦断しようと計画したんです。
鹿児島県の桜島からからスタートして、熊本、福岡と進んでいきました。始める前は、日本の歴史や戦国時代の史跡を知りたくなるだろうと思っていたのですが、実際に現地に行ってみると、私が興味をそそられたのは日本の自然、もっといえば海とか岩とか、そういったところだったんです。
日本は火山活動が活発だから土地の姿も本当に多様で、イメージとしても面白い。そこで、写真に撮ってフォトカンヴァスにしたいと思ったんです。

— 新しいイメージから新作にチャレンジされていらっしゃるんですね。
今後の活動を楽しみにしています。ありがとうございました。

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PROFILE

杉浦 邦恵KUNIE SUGIURA

名古屋生まれ。1967年シカゴ美術学校写真科 学士課程修了。卒業後、クラスメートと二人でニューヨークへ移り住む。写真のプロセスやコンセプトを軸にして、絵や彫刻と同じく重要な視覚言語として機能するような写真を半世紀にわたって試みている。現在、ニューヨークを拠点に活動中。 1969年「Vision and Expression」ジョージ・イーストマン・ハウス、1972年「Annual Exhibition of Painting 」ホイットニー美術館、1994年「Visualization at the End of the 20th Century」埼玉県立近代美術館、1997年「New Photography 13」ニューヨーク近代美術館、2011年「Morphology of Emptiness」東京国立近代美術館、2015年「来るべき世界の為に:1968 – 1979年における日本美術 写真における実験」ヒューストン美術館、グレイアートギャラリーなど。 個展:1998 年「Dark Matter and light affairs」愛知県美術館、2000年Frances Lehman Loeb Art Center、ヴァッサー大学(ニューヨーク)、2008年「Time Emit」ビジュアルアートセンター(ニュージャージー)など。

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