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インタビュー|中村 智道(アーティスト・2019年度[第42回公募]グランプリ)

アーティスト・2019年度[第42回公募]グランプリ アーティスト・2019年度[第42回公募]グランプリ

2019年度写真新世紀[第42回公募]でグランプリを受賞した中村智道は、
父親の死を契機に受賞作となった「蟻のような」を制作した。

アニメーションを主体とした表現活動で高い評価を得られた中村曰く
“この作品は、静止画を用いて制作した動かない映像作品”である。
審査員で選者の写真家リネケ・ダイクストラ氏からは
「苦しくて切ない複雑な感情を鮮やかに浮かび上がらせている」と評された。

今年の個展では、本シリーズに新作を加え「Ants」を発表。
制作の意図や表現にかける思いをうかがった。

身近な存在である蟻を自分に重ねて

— まずはグランプリ受賞作「蟻のような」についてお話をうかがっていきたいと思います。蟻が重要なモチーフになっていましたね?

幼少期の頃から生き物が好きで、家の外に出るとすぐに見えるところにいた蟻はとても身近な存在でした。よく、一日中ボーっと観察していました。蟻には社会性のあり方が人間に近いところがあってとても興味深いのですが、知らず知らずのうちに踏んでしまっているかもしれないくらい小さくて弱々しい生き物でもある。僕自身、社会的には弱い存在だし、実は他の人たちも一人一人をみれば同じかもしれない。そういった弱い存在である蟻を自分に重ねて制作した、いわばセルフポートレートのような作品です。

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— 中村さんは以前からアニメーション作品を制作され、これまで高い評価を得られていらっしゃいますね。根底のテーマは変えずに表現手法を写真に置き換えて制作されたのでしょうか?

実は、写真新世紀に応募したときから遡って1年ほど前に、体調を崩しました。4年間の闘病の末に父が亡くなった後、今度は僕自身が重度のうつ病になり、体のほうも肝機能障害などいくつもの病気をわずらってしまった。心身ともにそのような状態ではそれまでのやり方で制作することは非常に困難でした。でもなんとか制作を続けたいと、写真を撮ることにしたんです。

— 多数の蟻を配置して人型のシルエットを形づくっているイメージが印象的でした。その1匹1匹は写真に撮った蟻を使っていらっしゃるんですか?

あの人型は、僕自身をかたどったものです。CGは使っていなくて、一つの画面に写真で写した蟻の画像を何枚も重ねています。アニメーションは背景の上にセル画と呼ばれるイメージを複数重ねていく方法がもとになっていますが、今回の僕の作品ではその手法を転用しました。蟻をたくさん撮り、それをセル画のように重ねたあと、今度はいらない部分を消していく。最終的に重ねた画像は、数百枚分になりました。そうやって無数の蟻で形作ることで、煙のように自分が実態なく霧散していく感覚も表したかった。

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レイヤーを重ねて表現する理由とは?

— 今年の写真新世紀展では、新作による個展を実現されました。展示スペースに入ってすぐ壁には、一点だけ二つ並んだ椅子の写真がかけられていましたが、どのような意味が込められていたのですか?

あの写真に写るのは、僕自身とパートナーが座る椅子(或いは鑑賞者と誰かが座っているのかもしれない)で、僕と世界全体をつなげるものという位置付けでした。

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— 展示の写真にたくさん登場されている女性の方ですね?

そうです。僕に一番近い人ですね。展示で彼女をメインしたエリアには、彼女以外にも僕に近しい人々や、家族も登場していますが、彼らは僕の人生の断片であり、彼女の人生の断片でもある。向かいわせの壁に、僕を中心にしたイメージを配置しました。その間をつなぐ壁には、亡くなった父親を写した写真も含まれていますが、実は制作に協力してもらっただけの初対面の方もたくさん登場しています。

— 知り合いではない方たちを登場させているのはなぜですか?

まったく知らない人たちにも、僕と同じようにそれぞれの人生の断片があるということを表したかった。自分には重要な人がいて、その他大勢の人たちもいて、それで社会が成り立っているし、それはすべての人にとっても同じこと。だから作品に登場するのは初対面の人でもいいし、むしろそれが良かった。

— 展示で一番大きなイメージにご自身の姿と一緒に、子供の姿が重ねられていますね?

僕自身の子供的な部分を表しています。

— その上に、さらに蟻のイメージが上から散りばめられていましたね。

制作の段階を追って説明すると、心理的、精神的な部分を中核部分としてまず絵を描き、それをフィルムのカメラで撮ります。さらに、そこに多重露光で自分自身を撮影して重ね、それで1回目のイメージが出来上がります。それを現像してプリントをつくり、そのプリントの上に蟻を誘き寄せて、集まってきたところで撮影を開始するんです。それを数百枚は撮りました。そこからは去年の審査に応募したイメージと一緒で、いらない部分を消していきます。このようにレイヤーにを重ねることで、自分と心の中の自分を表しました。

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— 顔の周りに手のようなものが写っていますが、これはなぜですか?

僕自身が世の中に警戒していながらも、無力感を感じている様を表したかったのかもしれません。それとは対照的に、反対側にあるパートナーのイメージでは、手は開かれているんです。

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— 映像の作品も出展されていましたが、そこには写真のネガフィルムが映されていました。どのような意図があったのでしょうか?

映像では、フィルムカメラで撮影したネガをさらにデジタルカメラで撮影し、そのイメージを取り込んで映像作品に落とし込みました。
ずっと映像で作品を作ってきましたが、昨年に写真新世紀のグランプリをいただいてから写真というメディアの特性について考えるようになり、フィルムを使った制作の工程に興味を持ちました。ネガを現像してからプリントするということが、自分の考え方と重なるところがあった。
僕はレイヤーの重なり、階層に興味があります。そもそも根本的に、世界の階層を奥底まで突き詰めていくと、そこに意味などはなく、その核の部分を隠してレイヤーを重ねていくことで、表現も豊かになっていくんじゃないかと考えているんです。

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— 中村さんにとって、表現とはなんなのでしょう?

そう訊かれたときにいつも答えているのは、自分にとって表現は逃げる手段だということです。世界と同じように、自分の内奥のところまでさぐって核の部分まで突き詰めて行っても、何の価値も見いだせなった。でも、価値が見いだせないところから逃げ出し、漂流して行った先で、自己価値があるように思えたのが、表現というものだったんですね。そういってしまうと、良くないことのように聞こえるかもしれませんが、草食動物は逃げる力を失ったら全部食べられてしまう。逃げることも生きるための闘いであると思っています。

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— 逃げるということで、このような大変な作業、制作を行っていらっしゃるとは思えません。これは非常に主体的な行為だと思います。

逃げるということに関して僕自身はすごく考えています。逃げる力と追う力が拮抗していないと、世の中は維持できない。社会の都合上、勝ち取るという言葉を言わないといけないところがある。逃げで仕方がないからそっちをやったという人はいますし、死という自分に対する恐怖なのかもしれません。

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— お話を聞きながら、今回の個展のメインビジュアルになった、蟻の集団が、指の矢印の形になっている作品を思いだしました。矢印のその先には、中村さんとパートナーの方のお二人が、蟻と同じようなサイズ感で、どこかに向かって歩いていらっしゃいますね。

僕たちがどこにいくか、僕自身も分かっていません。どこかには行くでしょう、ということです。漠然と、目標が全然ない状態で作っているというところが、まず変ですよね。目標なんか、どこか行き着く先にあるはずだという感じで作っているんです。

— 中村さんの冒険は、これからも続いていきそうですね。ありがとうございました。

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PROFILE

中村 智道TOMOMICHI NAKAMURA
 
1972年 岡山県生まれ
2007年 (作品:ぼくのまち)イメージフォーラム・フェスティバル 奨励賞 バンクーバー国際映画祭 正式招待
2009年~ (作品:蟻)オーバーハウゼン国際短編映画祭 インターナショナルコンペティション ポンピドゥーセンター、ソフィア王妃芸術センター等で発表
2015年~(作品:天使モドキ)タンペレ映画祭 インターナショナルコンペティション 岡山芸術文化賞準グランプリ
2017年 福武文化奨励賞

他、国内外受賞発表多数

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