文・野口美恵(スポーツライター)
3度の世界王者に輝き、ソチ五輪では銀メダルを獲得したパトリック・チャン(カナダ)。昨季は1年の休養を経て復帰を果たし、今季はコーチを変更すると新世代の激戦へと打って出た。27歳で平昌五輪を迎えるチャンが目指す、新境地とは。
この映像は、『PowerShot G7 X Mark II』で撮影しました。
GPファイナルのショートでは、自己ベストを更新。今季は進化のシーズンになっていますね。
素直に嬉しいです。今季はすべての試合で進化していきたいと思っています。若くて才能あるトップ選手のなかで戦えるということは本当に嬉しいですし、試合を楽しんでいます。
昨季は、四大陸選手権で優勝、世界選手権は5位となりました。元世界王者としては、少し残念な結果だったのでしょうか?
去年復帰して驚いたのは、若手の4回転競争でした。4回転ルッツや、フリーで3~4本も4回転を跳ぶ時代になっていました。最初は「自分なりの演技をすれば良い」と思って復帰したのですが、やはり試合に出る以上は結果を出さなければ認められません。僕のゴールと、男子シングルの時代にズレがありました。
今季に向けて、どうやって考え方を変えたのでしょう?
まずは環境の変化が必要でした。デトロイトは、本当に素晴らしい練習環境でしたが、刺激がありませんでした。そこでマリナ・ズエワのアイスダンスのチームに加わり、1人でのトレーニングを始めました。
1人でトレーニングしてみて、いかがでしたか?
とても新鮮な時間でした。これまで沢山の情報を手に入れても、自分で調べて追求する時間はありませんでした。とにかく4年間ずっとキャシーコーチと一緒にいましたから。でも自分で技の理論を理解し、ジャンプが成功するかどうかの理由を追及するようになって、スケートが楽しくなったんです。
9月にはアイスダンスの名コーチであるマリナ・ズエワのチームを新コーチとして発表しました。アイスダンス的な要素を取り入れたいと考えたのでしょうか?
いいえ、違うんです。マリナのチームに入った理由は、むしろ逆です。今まで習ってきたキャシーはダンスの専門家で、マリナはアイスダンスのコーチです。2人とも芸術に基礎を置き、世界的な視野があるという点が共通しているからです。マリナの元にいる最大の利点は、すべての芸術面での采配、基礎のブラッシュアップなどを任せられるからです。そして僕はジャンプのことだけに集中して、着氷の精度や、細かい技術の追求に取り組めるからなんです。
かつてない4回転競争の時代に突入しました。バンクーバー五輪、ソチ五輪を経てきた世代としては、どんな戦い方を考えていますか?
僕の場合は、2つのプログラムをしっかりと滑ることが何より大事です。それぞれの選手に自分のゴールがあります。僕が4回転を4本も入れる戦いに参入するのか、というと違います。自分の強みを考えるべきです。男子がたくさんの4回転をやればやるほど、僕はフットワークを疎かにしてはいけないと考えました。今季のオフはスピンやフットワークを徹底的にやりましたし、今のプログラムを完成させられれば満足です。僕には僕以上のことができない。それが今の時代を戦う、僕の戦略です。
そうは言っても、フリーでは4回転サルコウに初めて挑戦していますね。
昨季の試合を観ていて、ハビエル(フェルナンデス)や(羽生)結弦と戦い、世界の表彰台に乗るためには、2種類目の4回転は必要だと感じました。彼らのフリーでの技術点は100点を超えていますから、演技構成点だけでは戦えません。
フリーは、4回転サルコウ1本、トウループ1本、そしてトリプルアクセル2本。とても難度の高いものになりました。
僕にとっては4回転サルコウを試合で入れるのは初めてですし、トリプルアクセルも2本入れています。夏に、マリナのもとにいる技術コーチのオレグ・エプスタインから、4回転サルコウの技術的な知識を聞きました。すでに5本中3~4本の確率で降りています。アクセルも新たなアドバイスをもらい、改善されました。
新チームには、4回転を4種類跳べるネイサン・チェンも参加していますね。
彼はすごく刺激的で、4回転トウループとサルコウの技術的なお手本が目の前にいるのは良いことです。そしてネイサンは新世代の象徴的な4回転ジャンパーです。彼のジャンプを毎日見ているので、新世代の選手の4回転は気にならなくなりました。
新4回転時代になっても、焦りはないのですね。
今季の僕がやるべきことは、とにかくケガをしないようにコンディションを整え、一つひとつの試合で少しずつ進化していくことです。僕としてはもっともっと練習したいと思ってしまうのですが、でもちゃんと休養をとり、過度なトレーニングをしないことが、結局は近道になるはずです。「たくさん練習する」という考えではなく、「理解しながら練習をする」と考えています。
今季のプログラムについて教えてください。まずショートの『ビートルズメドレー』は、昨季のエキシビションの曲でしたね。
エキシビ曲をショートに選んだのは、今まで以上にリラックスした気持ちで演技できるだろうという思いがありました。どうしても試合となると、ジャンプの部分は曲を聞かずに技術に集中してしまいますが、ビートルズなら、またすぐに気持ちが曲に戻って楽しめる、というのも利点です。
フリーは、ペアの世界王者でもあるエリック・ラドフォード選手が作曲したと伺いました。
彼はスケーターであるだけでなく、作曲を専門的に勉強しているプロで、本当に素晴らしい才能があるんです。彼が以前ピアノを弾いてくれた時に、自分の滑る姿が思い浮かんで、いつか彼の曲で滑りたいなと話し合ってきました。とうとう滑る機会に恵まれたという感じです。
とても素敵なプログラムで、ただスケーティングしていても観客を引きこむ滑りになっています。
エリックが作曲したメロディはスケートの呼吸と自然に合うんです。だからデイビット・ウィルソンと振り付けをした時も、最初から運命的に振り付けができ上がっている曲という印象でした。まさにスケーターのための曲なんです。
今季の試合について振り返りたいと思います。まずフィンランディア杯に出場しました。
今季は世界選手権がヘルシンキなので、フィンランドに行っておこうと考えてフィンランディア杯に出ました。またカナダ杯に向けて調整もできると思いました。
カナダ杯では、羽生結弦選手をおさえての優勝でした。
優勝は目指していませんでした。今季の目標は、4回転サルコウの成功です。カナダ杯ではまず、「転倒したとしても回りきる」ことが目標で、それができて満足でした。新しい4回転を入れるということは、今までよりも体力を消耗します。演技中かなり脚に疲れが来て、呼吸が苦しくなり、心拍数が上がりましたが、そういう体験をするための試合でした。
GPファイナルのフリーでは、4回転サルコウを成功させました。
沢山のことを学ぶフリーでした。最初のジャンプ2つをミスした後で、4回転サルコウを降りたのは、驚くべきことです。練習でもそんなケースは無かったので、1つの進化と捉えたいです。とにかく2種類の4回転をたずさえて試合に臨めるようになった、というのが大きな事です。
4回転サルコウの現在の手応えは?
練習ではその日次第といったところで、成功率7割には持っていきたいです。とにかく今は、自分の限界がどこなのかを見極めたいです。次のステップに上がること、新しい挑戦をすること、そして進化することが、今の僕には必要だと感じています。
次のステップとして、ショートで4回転2本という計画も現実的なのでは?
ショートでの4回転2本については、まだ来季と考えています。少なくともGPシリーズの間は、試合と試合の間が短いので変更を加える時間がありませんでした。でもショートのジャンプ構成は以前から同じなので、新しい挑戦をするならば、4回転サルコウを加えることだとは思っています。
とにかく進化のシーズンですね。
今季の世界選手権では、4回転サルコウと4回転トウループ、そしてトリプルアクセルのすべてをフリーで降りることが目標です。今季改めて感じたのは、スケートというのはどんな時代になっても、自分の長所を探しそれを自分自身で示していくことの繰り返しだ、ということです。宇野昌磨のような若い世代が出てきたことで、新たな時代を楽しんでいます。昌磨はシャイなので話しかけてコミュニケーションを取るようにしているんですよ。まだまだ進化を続け、若手と戦っていきたいです。
2016年10月カナダ杯、12月GPファイナルにて取材
パトリック・チャン選手の