1997優秀賞
ARTIST STATEMENT
それはあった。それは二度とないだろう。
1994年4月~1996年2月の間に、私が見たものの記録。父は、94年夏、筋萎縮性側索硬化症に冒され入院した。その夏、姉は、女の子を産んだ。本当に暑い夏だった。96年2月15日、人工呼吸器がはずされた病室の静かさが、父の死を、実感させた。「やっと家に帰れるね。パパ」と母が言った。この日々が、遠い過去になっても、私はきちんと順番に思い出したいと思った。父は、私を「ノンちゃん」と呼んだ。闘病中は、思い出さないようにしていた元気だった頃の父を、このごろはたくさん思い出す。この写真は、全て、父が私に撮らせてくれたものだ。ありがとう。パパ。
“生きる”ということについて、頼りない自分をさらけだしながら、動揺しながら、写真を撮っていきたい。私は時間が経たないと、自分の撮った写真がわからない。というか、自分の写真のことがよくわからない。だから、自分の中で、“終わり”にしてしまえるものなど、何もない。今回、敬愛する荒木さんに選んでもらえて、積極的に過去を見続ける、勇気が湧いた。これからも、自分の目が出会う“ささいなこと”にいちいち驚き、“いい!”と思っては撮る。その繰り返しを丁寧にしていきたい。
審査評 選:荒木 経惟
自分の気持ちを優先させる撮り方をしている。こういう方法論はいいね。これから「こんなに主観的でいいのか」、「客観的な要素を入れなくちゃいけないか」とか、いろいろ迷う時期が来るはずだけれども、一番面白いのは、主観的な方へ行ったり、客観的な方へ行ったり、揺れている時が写真というのは大変面白い。写真というのは、鏡であり、窓である。要するに鏡で向こう側が見えてしまうくらいの鏡という感じが、一番写真で面白い。それから、自分が見ている鏡だけではなくて、向こうからも見られる鏡というのがあって、そういう鏡だよ、写真は。その辺に写真のおもしろさと恐ろしいところがある。いろんな出来事に合わされちゃう。だから、身をさらさなくちゃ。誰にさらすのか?一番近いボーイフレンドでもいいし、何でもいい。それと時代にさらさせておくといいよ。
PROFILE