INTERVIEW
写真を成立させるプロセスや素材そのものに着目し、
独自の表現を展開してきた横田大輔氏。
斬新と思われるその創作手法も本人いわく「日常的な作業から思いついたアイデアばかり」だという。
第45回木村伊兵衛写真賞(2019年度)を受賞するなど、
さらなる活躍が期待される写真家として注目を集める横田氏に、
写真に対する考え方を変えたきっかけや、
小冊子写真集や音楽の制作からの影響、手探りで切り拓いた海外進出等々、
写真家として歩んできたこれまでの道のりについて話をうかがった。
写真新世紀第44回公募
優秀賞選出審査会を終えて
— 優秀賞選出審査、ありがとうございました。審査を終えていかがでしたか?
応募作品の多さに圧倒されました。長い間、自分も応募する側の人間だったので、作品から影響をうけ、また著書も読ませてもらっていたようなすごい方々に混じって審査員をやらせていただくということに、大変緊張しました。
— 総評では、スタンダードな作品が多かったといわれていましたね?
スタンダードという言い方はざっくりとした表現だったかもしれないですね。イメージを加工した作品がもっとあるのではないかと予想していたのですが、スナップでもドキュメントでも、またコンセプチュアルな作品でも、操作を加えずにストレートに写真イメージを使っているものが多いと感じました。
水晶に熱中した子ども時代/写真との出合い
— 幼少期はどのように過ごされましたか?
父の影響もありますが、虫取りや魚釣りなど外遊びが好きな普通の子どもでした。石や化石、水晶なども、よく採りに連れて行ってもらいました。
— 水晶のような鉱物が採れるところがあるんですね。
今は規制されて入れなくなってしまったところも多いのですが、けっこうあるんですよ。
小学生の時は化学部に入っていたんです。いろんな材料を混ぜたり、試験薬で実験したりすることでおこる物質の変化が、泥遊び的に楽しかったんです。あらためて子ども時代を思い返すと、今も似たようなことを写真でやっているんだなと思います。
— 写真をはじめたきっかけを教えていただけますか?
子どもの頃に使い捨てカメラが流行っていて、それで写真を撮るのが好きでした。でも、父親が持っている一眼レフのカメラは特別で、好き勝手に使うことはできなかったから、ちゃんとしたカメラで撮ることは僕にとっては大人びた特別な行為でした。
中学生から高校生時代はスケボーに熱中して過ごしていたのですが、いよいよ進路を考えないといけないというときに、自分は写真が好きだったことを思い出したんです。そんなふうに、本当に簡単な理由で専門学校への進学を決めたわけですが、授業で暗室作業などを実際に学んでいくと、子ども時代に化学部で面白がっていたような興味が掻き立てられて、どんどんハマっていきました。卒業してから就職もせずに、実家に暗室をつくって作品をつくるようになったんです。
— 写真新世紀で佳作に選ばれたのは、その頃ですか?
2008年ですから、僕が25歳ぐらいのときです。当時、写真のコンペに年間4、5件くらい応募していましたが、何の結果も残せないまま時間だけがすぎていきました。専門学校を卒業してから5年ほど経ったとき、その年いっぱいがんばってどこも受からなかったら、写真を続けていくかどうか考え直そうと思ったんです。そして、どうせ最後になるなら好き勝手に自分らしくやろうと、誰にも見せていなかった作品で写真新世紀に応募することにしたんです。
写真新世紀をきっかけに変わったこと
— 誰にも見せていなかったのはなぜなのですか?
写真イメージを加工していたからです。当時はまだ、写真画像に手を加えて作品とすることがよしとされない風潮があったと思うんです。自分も写真はストレートであるべきだという思い込みがあったから、それまでは35mmのカメラで撮ったスナップ写真、いわばストレート写真でコンペに応募していました。その頃から写真を画像編集ソフトで加工した作品も作っていたんですが、自分個人の趣味みたいなもので、他人に見せようなんて思いもしなかった。写真で撮ったイメージにわざわざ変更を加えるということは、自分の趣味性が出てしまうということでもあるから、そこを見られてしまうのが恥ずかしいという思いもありました。
— 当時、人知れず制作していたのは、どんな作品だったのでしょうか
カメラをフィルムからデジカメに切り替えてから、1、2年ほどのあいだに大量に撮り溜めていたのですが、あらためて見直したら、意図していた以上に余計なものがたくさん写っていることに、とてもがっかりしました。ちゃんと撮っていたつもりなのに、自分はこんなに対象を見てなかったのか、と。しかし、今度は自分が何に反応して写真を撮っているのかということがとても気になり始めました。そこで、余計だと思うものを消してみることにしたんです。
— 写真画面から部分的に消していくということですか?
そうです。人の表情や背景に写り込んでしまった看板など、余計な部分を整理するために画像編集ソフトを使って消していきました。わからないように加工しようという意図はなくて、大雑把にやっていたから、結果的にグラフィック的なとても違和感のあるイメージになってしまった。そこで、写真らしい画像に戻せないかと思い、いろいろな方法を試してみたのですが、フィルムカメラでもう一度複写するという単純なやり方に辿り着きました。荒く現像するとイメージに粒子が現れて、ヌメっとしたデジタルの質感が中和されるのです。
— そのように試行錯誤した作品が、写真新世紀の佳作に入賞されたんですね。
評価していただけるとはまったく思っていなかったので、本当にビックリしました。それまで自分の作品が認められる経験がまったくなかったから、本当に救われたような思いでしたし、写真制作に対する考え方が変わるきっかけになりました。
写真のプロセスそのものをテーマに
— その後、どのように制作の手法を展開させていったのでしょうか?
自分の性格上、もっと過剰にやってみたくなって、現像を熱湯でやってみたらどうなるんだろう?という興味が湧いてきました。実際に試していくと、ある温度を超えたところでフィルムの質感がガラリと変わり、透けない状態になることがわかりました。その現象がすごく面白かった。また、この状態のフィルムでは暗室でのプリント作業はできないので、スキャナーでイメージを取り込み、元の写真画像と合わせていく、という手法が基本になっていきました。2011年にZineの形式で発表した二つの写真集『Back Yard』や『SITE』は、この手法を基本にしながら制作した作品をまとめたものです。
— その2冊は海外でも大きく注目されましたが、その後、横田さんの制作手法は、さらに進化していきましたよね?
しばらく同じ手法で制作を続けていたのですが、コントロールに失敗して溶けてしまったフィルムをあらためて見返していくと、この失敗だと思っていたフィルムそのものに魅力を感じて、作品としてまとめることにしたんです。それが、《MATTER》というシリーズです。
— まさに、科学部で行う実験のような発想ですね。
フィルムという物質自体が面白いと思ったので、素材そのものにフォーカスすることにしました。2012年ころから、撮影の工程も省き、フィルムを未撮影のまま現像するという方法をとるようになり、同時進行でカラーによる作品も作り始めました。いろいろと試していくなかで、多くの発見があり、自分の中では、これだ!という確信がありましたし、何よりも面白かったです。
Zineの制作/音楽との相乗効果
— Zineと呼ばれる簡易な冊子の形態の作品集を、作家として活動しはじめた初期の頃から制作してこられましたよね?
スケボー仲間に配るために作った小冊子がもともとの始まりです。中学、高校時代に熱中していたスケボーの友人たちは多趣味な人が多くて、自分たちで録音してラジオ番組のようなことをやろうということになり、僕は一緒に配るための小冊子を作ることにしたんです。自分の写真と他の人が書いた文章をまとめて、コンビニのコピー機で印刷しました。仲間内だから配りやすいし、そうやって共有するのって楽しいじゃないですか。それをきっかけに、ある程度写真がまとまってきたら小冊子にして周囲の人たちに配るようになりました。
— どのようにしてZineが発表媒体になっていかれたんですか?
そんな活動をしばらく続けていたら、2009〜2010年くらいに、TOKYO ART BOOK FAIRの前身のZine's Mateに参加することになったParapera(現Newfave)という出版社が、Zineを作ってみないかと誘ってくださいました。そのとき初めて、販売するためのZineという形態を意識して制作したんです。
— 荒木経惟さんがアマチュア時代に、勤めていた会社のコピー機で制作したという『ゼロックス写真帖』を思い出しますね。
めちゃくちゃ影響を受けています。制作されていたときのノリの良い感じとか、当時のエピソードなども含めて。
今では、本を作る作業は、自分にとってとても大切な過程となりました。プリントするときは指紋などをつけないようにと神経質にならざるを負えないし、些細なほこりなどの異物も気になってしまって疲れてしまう。でも、コピー機での出力だったら、紙の扱いを気にせずにできます。それに、一枚一枚、出力にムラがあったり、コピー台の盤面についている傷が出力のイメージに影響したりという違いも面白みのひとつになるのが良かったんですよね。コンビニをまわっていろいろなコピー機を試しました。また、写真の作成に、手で触れながらつくる工程を入れたいという欲求が無意識のところであったのかなと思います。
— 『横田さんの創作手法は、どこか音楽制作と感覚が近いところがあるように思いましたが、影響は受けているのでしょうか??
一番音楽にハマっていたのは20代前半から半ばくらい。写真制作がなかなか思うようにいかなかった時期でもあり、異常な量の音楽を聴いていましたね。高円寺や神保町にあるマニアックなレンタルCD屋、頻繁に通っていました。
その頃、自分の部屋で音楽を録音して制作する宅録が流行っていて、自分もやってみたくなったんです。といっても、楽器を買う金もないから、配線を触ると発する、ジー、という音などをサンプリングして使ったり……本当に遊びのレベルでしかありませんでしたが、実際に自分でやってみていろいろな発見がありました。音楽はさまざまな組み立ての段階があるんです。音の要素を一つ一つ用意して、それらをどう繋いでいくのか、どう全体像をまとめるのか、といったように。それが自分の中でヒントになって、デジカメで撮った写真イメージをフォトショップで加工するといった方法につながっていきました。
海外へ、手探りの挑戦
— 横田さんは早くから海外で作品を発表されてきて、2012年にはオランダで開催されてきた写真イベント「Unseen」も出品され、翌年の2013年には「Unseen Photo Fair」で「The Outset I Unseen Exhibition Fund」初の受賞者に、また2014年にはオランダ、アムステルダムにある写真美術館Foamで個展を開催するなど、活躍の場を広げていかれました。日本国内よりも先に、海外での活動が先行したように思いますが、何かきっかけはあったのでしょうか?
そんな風に説明していただくとまるで順調に進んできたかのように聞こえる方もいるかもしれないですが、全くそんなことはなくて、とにかく暇だったんですよ。2008年に写真新世紀で佳作に選んでいただき、その後に他のコンペでグランプリを受賞させていただきましたが、それですぐに環境が変わるわけでもなく、活動の場も思うように広がらなかった。国内にはもう自分の入り込める隙間はないように感じて、海外の情報を探し始めたんです。本屋やギャラリーだけでなく、当時、海外で影響力のあったブロガーなど、気になるところをみつけては写真の画像を送っていました。
— ご自身からアプローチしていったのですね。
今よりももっと英語ができなかったから、本当に2、3行だけの簡単な文章をつけて送っていました。「写真を見てください。ダイスケ・ヨコタ」みたいな感じで(笑)。
たくさん送っていくなかで、Tim BaberがやっていたTiny Vicesというウェブ上のギャラリーが、写真を送った2ヶ月後くらいに載せてくれたことがありました。ちゃんと作品を見てくれているのだと感じて、それがとても嬉しかったのをよく覚えています。
— オランダの「Unseen」には、どういった経緯で出品されたんですか?
Zineの『Back Yard』というのを見たと海外の作家から連絡があったんです。AM Projectsというアーティストのチームを組んで活動をしていくから、お前も一緒にやらないかと。言葉も全然わからなかったけど、ぜひ参加したいと思いました。その第一弾として、ドバイにあるEast Wingというギャラリーが「Unseen」に出展するスペースの一角を借りて、そのアーティストチームで展示しようということになりました。はじめは作品だけ送るつもりだったのですが、税関で引っかかってしまって届かなかった。それで急遽、自分の手で運んで持っていくことになったのです。
— 海外での展示は、はじめての経験ですよね?
海外に行くのも初めてだったから、震えながら行きました(笑)。チームで集まるミーティングに出ていても、英語がまったくわからず、理解することも話すこともできないから、4〜5時間、無言で座っているだけでした。
— 大冒険ですね。
海外に行くのも、あのような規模の場所で展示するのも、初めてでした。ワクワクする気持ちもあり、怖くもあって、終始、夢心地のような感じでした。
素材や工程を含めたすべてが写真である
— 写真を成立させているマテリアルそのものに着目する制作手法は、展示にも表れていますね。たとえば、2016年あいちトリエンナーレに参加した展示「Matter / Vomit」では、壮大なインスタレーションを展開されていました。
日常的にやっている作業から思いついたアイデアばかりで、何も特別なことではないのです。あいちトリエンナーレでは、それまで発表することのなかった写真を巨大なロール紙に出力したのですが、プリンターでずっと排出して印刷を続けていると、ロール紙が波うって束になっていきますよね。その紙の状態がすごく良いと感じました。また、銀塩写真の印画紙にゼラチンが塗ってあるところが、まるでコーティングされているよう見えて好きなんですよ。そこで、写真の物質的な素材のあり方を抽出して展示にできないかと考えたのが、プリントした巨大なロール紙をワックスで塗り固めるという方法でした。実際にやってみると、ワックスを塗ったところがグチャッとなって傷がついてしまうんですが、それがまた良かった。だから、今度はわざと傷をつけるために、ワックスを塗ったロール紙をモップでゴシゴシとこすることにしたのです。
— 気になったことを徹底的に突き詰めていった結果なのですね。
写真が成立するためには、素材や工程があるわけですが、その作業工程を含めて全てが写真の面白さだと思っています。自分の存在は、ただ写真が生成していく過程に携わる一人間であるという意識が強い。だから、自分の作業部屋には監視カメラをつけて、写真をつくる工程も記録しています。
— 監視カメラで常時、ご自身が制作しているところを撮影しているんですか?
面倒臭い時はやっていないですけどね(笑)。
— その撮った映像を使って、作品のイメージに落とし込むのですか?
そうです。とにかく、写真そのものが面白いんですよ。
— 写真という媒体そのものに興味が向かっているんですね?
写真がおもしろい。だだもう、それだけです。最近では自分で自分を枠付けしてしまっているところがあるような気がして、息苦しく感じるときもあるのですが、新しいアイデアは出そうと思って出てくるものでもないですし、継続して活動していく中から見つけて行くしかないのかなと感じています。
— ありがとうございました。
PROFILE
横田 大輔DAISUKE YOKOTA
1983年、埼玉県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業。 2008年、写真新世紀第31回公募佳作(大森克己選)、2010年 「第2回写真1_WALL 展」グランプリを受賞。 2016年、Foam Paul Huf Award、第45回(2019年度)「木村伊兵衛写真賞」を受賞。
これまでに『垂乳根』(Session Press、2015)や『VERTIGO』(Newfave、2014)、『MATTER/BURN OUT』(artbeat Publisher、2016)など数多くの写真集を国内外で発表している。
主な個展・グループ展に、Foam写真美術館「Site / Cloud」(2014)、「Matter」(2017)、「SHAPE OF LIGHT」(Tate Modern、2018)、「Painting the Night」(Centre Pompidou-Metz, 2018-2019)、「Photographs」(rin art association, 2021.4/4〜6/6)など。