INTERVIEW

インタビュー|ダヤニータ・シン(アーティスト・2017年度 第40回公募審査員)

ヴェネチア・ビエンナーレへの2回に及ぶ招聘(2011年、2013年)や、
各国の主要美術館における個展の開催など、
現在のアートシーンにおいて最も活躍の著しいアーティスト、ダヤニータ・シン氏。

写真を主要な要素として使用しながらも、
既成の枠組みや考え方を超え、独自の表現方法を提示する氏の作品は、
多くの人々を刺激し続けている。

この度、写真新世紀第40回公募の審査員を務められたシン氏に、審査会の感想や日本との深い関わり、
そしてアーティストとしての覚悟についてお話をうかがいました。

— 優秀賞審査会の会場では、応募作品を見ながら、ダミー本を制作してほしいと言われていましたが、それは自分で編集した本を提出するべきであるということを強く言われていらっしゃったんですか?

おっしゃる通りです。応募者の皆さんには、ぜひご自分で編集を手がけていただきたいと思いました。応募作品にはポートフォリオのような形態のものが多く見られましたが、それではダメですね。編集や配列、そしてサイズなども考えて提出してほしいと思いました。

— ダヤニータさんの写真との出会いについて教えてください。

私は写真とともに育てられました。常に母が家族の写真を撮っていたからです。カメラや写真は決して特別なものではなかったんです。

18歳の時、写真家になろうと思いました。なぜなら、写真家になることで、社会的に期待されるさまざまななことから解放されると思ったからです。1980年代当時のインドでは、女性は結婚して子供を産み育てなければならないという考え方が主流でした。私にとっては写真家になることが、そういう制約から解放され、誰とでも旅行にでかけることができるといったような自由を得ることができる、唯一の手段だったのです。

〈ミュージアム・オブ・チャンス〉2013年 より © DAYANITA SINGH

— 日本に対して大変な親愛の情をお持ちだと伺いました。

初めて日本に来た時、日本のガイドブックは読みませんでした。その代わり、川端康成がノーベル文学賞を受賞した時のスピーチ原稿「美しい日本の私―その序説」を読みました。そして、そのスピーチに出てくる枯山水の庭を訪れました。

Charles, Vasa, MN, 2002 © ALEC 〈リトル・レディース・ミュージアム-1961年から現在まで〉2013年 より
撮影:ノニー・シン 上はモナ・アハメド、下はダヤニータ・シン © DAYANITA SINGH

— その時、日本にどのような印象を持たれたのでしょうか?

なぜ、あと20年早く日本に来なかったのかと、自分に腹がたちました!そして、インドに戻った時には、日本に行くまでアーティストにはならない方がよいとまで、周りの人々に助言したくらいです。一方で、日本人がインドに来ると非常にクレイジーになる理由が理解できたような気がしました(笑)。

日本での経験が私の作品に深い影響を与えています。日本に来て帰るたびに、より豊かになっていきます。日本文化に触れることは私の作品が進化していく上で非常に重要なのです。

〈私としての私〉1999年 より
京都国立近代美術館蔵 © DAYANITA SINGH

— ほかに影響を受けた日本の作家やアーティストはいますか?

写真表現に関わる者にとって一番重要だと思うのは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』です。世間ではスーザン・ソンタグやロラン・バルトの写真論が重要と言われていますが、私はそれらよりも先に『陰翳礼讃』を読むべきだと思います。それから、リルケの「若い詩人への手紙」を勧めています。特に、第一書簡がとても重要です。

〈ミュージアム・オブ・チャンス〉2013年 より © DAYANITA SINGH

— これまで度々、写真は言葉であると発言されてきましたね?

今回、審査のために来日して、写真に関する会話をもっと解放していくべきだと感じました。20枚のプリントがあったとして、50冊の写真集があったとして、そして2000点の作品があったとして、それが何の意味があるのでしょう?私は今日、この場所で2000枚の写真を撮ることができます。しかし、本当にやらなければならないのは、もっと会話を広げて行くことなんです。写真とは言葉です。その言葉を使って何をするのか?ということが大切なんです。

〈ミュージアム・オブ・シェディング〉2016年 より © DAYANITA SINGH

— その考えに至ったのはいつ頃のことですか?

それは最初からわかっていたことでした。しかし、独自の《形式》を見い出すためには長い時間がかかりました。常に私が言ってきたのは、写真に入り込んで行くためには、世界に入り込んでいかなければならないということなんです。

日本には素晴らしい写真の伝統があります。世界で最も素晴らしいと言ってもよいかもしれません。でもそれが逆に、若い写真家にとってはかえって状況を難しくしているようにも感じています。

独自の声を見い出すことが重要です。良い悪いは関係ありません。自分自身の声でなければならないのです。そのためには写真の外に出ていかなければならない。メディアとしての写真を理解することや、写真が何をするかを理解するといったような知識を持つことも必要ですけれども、それにあえて挑戦をして、押し広げていかなければならないのです。

〈ミュージアム・オブ・チャンス〉2013年 より © DAYANITA SINGH

— 簡単ではありませんね?

ぜひ肝に命じていただきたいのは、アートは決してたやすくないということです。なぜなら、自分自身の声を見い出さないといけないから。他人から借りた声で歌を歌うことはできません。もちろん、たとえ自分自身の声を見い出したとしても、周りの人が自分の声を気に入ってくれるという保証はありません。

私は自分の家に置くために「インドの大きな家の美術館」シリーズを作りましたが、その時、世の美術館が収蔵してくれるとは想像もしていませんでした。これを気に入る人がいるかどうかなんてまったく考えなかったのです。実際、この移動式美術館という形態をとった作品に、最初は誰も関心を持ってくれませんでした。「素晴らしい写真ですね。でも、こういう風にしないで、壁に飾ったらどうですか?」なんて言われたりもしました。ですから、アーティストになるというのは非常に孤独を伴う苦しい経験であり、プロセスなんです。自分にとって新しいと思える方向に進んで行くわけですから、たやすいことでは決してありません。

写真の表現者は、写真の外に出て行って、そしてまた戻ってくるということの大切さを理解すべきです。文学や映画、建築といった視点を経験して学び、それをまた写真に取り込んでいくことが重要なのです。

非常に複雑なことをお話ししていますが、複雑なら複雑なまま、みなさんに向けて申し上げたいのです。なぜなら、アートはシンプルではないんですから。

〈ミュージアム・オブ・チャンス〉2013年 より © DAYANITA SINGH

— 確かに、シンプルではないことに、いかに向き合っていくかということが、アーティストの仕事の一つかもしれませんね。

もちろん!また、社会がもっとわかりやすいものをつくれと自分に言ってきても、その圧力には絶対に屈してはいけないのです。

— ありがとうございました。

〈ミュージアム・オブ・チャンス〉2013年 © DAYANITA SINGH

総合開館20周年記念「ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」展(2017年5月20日—7月17日、東京都写真美術館)展示風景より © DAYANITA SINGH

PROFILE

ダヤニータ・シンDAYANITA SINGH

1961年、ニューデリー生まれ。1980年から86年までアーメダバードの国立デザイン大学に学び、1987年から88年までニューヨークの 国際写真センター(ICP)でドキュメンタリー写真を学んだ。その後8年間にわたり、ボンベイのセックスワーカーや児童労働、貧困などのインドの社会問題を追いかけ、欧米の雑誌に掲載された。『ロンドン・タイムズ』で13年にわたりオールド・デリーを撮り続け、『マイセルフ・モナ・アハメド』(2001年) として出版。1990年代後半にフォトジャーナリストとしての仕事を完全に辞め、インドの富裕層やミドル・クラスへとテーマを転じた。ヴェネチア・ビエンナーレ(2011年、2013年)やシドニー・ビエンナーレ(2016年)などの数々の国際展に招聘されている。京都国立近代美術館と東京国立近代美術館の「映画をめぐる美術-マルセル・ブロータースから始まる」展(2013年~14年)に出品した。

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