INTERVIEW

インタビュー|金サジ「満月の夜、男は墓を建て、女はぼっくりを食べる」

2016年、第39回公募で「物語」を応募し、グランプリを受賞した金サジ氏。
ご自身のルーツを手繰り寄せ、
作品で紐どいていくようなパワフルなスタイルで制作されている。

新作個展「満月の夜、男は墓を建て、女はぼっくりを食べる」はどのようにして生れ出たのか?
謎めくタイトルからコンセプト、そして作品の行方についてお話をうかがいました。

最初に出来上がった作品
“熊の頭をした少女”で
イメージを掴んだ。

— グランプリ受賞後、どのように過ごされましたか?

この一年は、新作をどう作るか、個展の会場をどう構成するか、そればかりを考えて頭が一杯でした。

— 2016年度グランプリ受賞作「物語」は、10年かけて完成したと伺いました。新作にプレッシャーはありませんでしたか?

「物語」は、構想を含めると10年かかりました。例えば、“熊の頭をした少女”と言葉でいうのは簡単ですが、写真に撮るには時間がかかります。スケッチを起こして、どういう顔の熊なのか、少女といってもどんな容姿なのかなど実際に具現化するのは大変な作業です。そして、出来上がったプリントを見て自分との関わりを改めて考えては見直す、を繰り返していく。自分が実際に思い描いていたものなのかということを確認することを含めて、作品にしていくには時間がかかりました。

新作は、「物語」の延長で、ずっと温めてきたものです。作品を作る順番は、どのシーンのイメージが先にでてくるのかは私にもわからなくて、いきなりラストのシーンかもしれないし、逆に、最初かもしれません。ファンタジー、空想の世界というとそれまでですが、写真を撮るには個人で出来る範囲の限界もあって、どこまでやれるのかというプレッシャーはありました。

作品が、国を超えて繋がる瞬間になった。

“熊の頭をした少女”のイメージは、最初に出来上がった作品です。形にするまで確信が持てない部分はありましたが、プリントを見たときに、「これだ」という掴みがあって、この作品を実現しないといけないと思ったんです。アミニズムとかシャーマニズムでは、動物が神格化されています。私はその考えに親近感をもっています。自分自身と動物とが、何か深い関係を持っているように感じることがあって、先祖もそうではないかと考えました。そして“熊の頭をした少女”を作品化したときに、韓国に熊の変身タンの神話があることを知りました。

日本にイザナギ・イザナミの神話があるように、同じように韓国にもタングン神話という創世記の物語があります。虎と熊が人間になりたいと神様に願い出て、出された試練に打ち勝てば人間になれるという話です。最終的には、熊が成し遂げ、女性になります。そして熊は人間となった神と結婚し、タングンという王様が生まれました。この話を知らずに制作しましたが、作った作品が、私の祖父母の出身である韓国の神話と繋がった時は、興奮しました。

人間の遺伝子は代々蓄積されていくそうですが、自分の先祖をたどっていくと思いもよらないところに繋がるかもしれないと、この写真を通じて感じました。作品を作っていくことでまた何か発見があるのではないかと考えています。国境というか、何か縛られている紐がほどけるのではないかと思っています。

“少女” 「物語」(写真新世紀 2016年度[第39回公募] グランプリ受賞作品)より © KIM SAJIK

— シリーズとして発表されてきた「物語」、これからどうなっていくのでしょうか?

「物語」は、私自身の話になります。新作に赤と青の服を着た双子の女の子が登場しますが、それは主人公となる私です。親に「お前は韓国籍だ、在日韓国人だ」と告げられた時、私に日韓二つの名前があることを知りました。それって、私が生まれた時に、同じ親から違う名前を持ったもう一人の私が生まれてきたみたいじゃないですか?双子はその時のエピソードを反映させています。物語の中で双子は現実と向き合い、世界でどう生きていくのか葛藤していきます。

現実世界では、日韓の関係がもしも悪くなったら、韓国人は、日本に居られなくなります。韓国へ行っても、親族も住所もなにもない。ある意味、私は放り出された存在です。そうなったときには自分で帰る場所を作るしかないんです。「物語」シリーズは、自分の故郷を探る思いで作品を制作しています。双子の「私」が辿り着くべき場所を見つけられるのか。このシリーズが完成したら、「物語」を通じて私が見つけられたものを、次は作っていくのではないかと考えています。

「満月の夜、男は墓を建て、女はぼっくりを食べる」

— タイトルについて教えていただけますか?

女性にとっての大きなイベントのひとつに妊娠、出産があります。男の人が戦にいくのも、昔からある時代のうねりです。そういう男女、人間の歴史的背景に、満月の夜という象徴的なイメージを持ってきています。満月の夜は、生き物本来が持つ能力を1番発揮する時になると思っていて、サンゴが出産したり、犯罪が増えたり、隠喩もありますがオオカミ男も出現します。地震が起こりやすいというデータもあるらしく、科学的に証明はされていませんが、記録として残っています。

ぼっくりは、“松ぼっくり”のことです。以前、大きな松が夢に出てきて、私に話しかけてきました。あまりにも巨大幹の松だったので、“松”を調べてみたところ、いろんなモチーフになっていました。日本ではめでたいものの象徴とされ、神木にもなっています。東日本大震災では一本松といわれる松もありました。生命力の強いイメージです。また、松の実は栄養が高くて、精力をつけるとか、妊娠・出産後の女の人の滋養にいいとされてます。シャーマニズムでも神様に奉納する品(モノ)としてでてきます。

私は、その松の実をサンゴの卵のような生命の粒とイメージしました。満月の夜、松が大量に落とした生命の粒を女性が食べる、それは精子を受精し命を宿すこととして表しています。

“動物の頭骨の男”が登場する作品は、戦争で亡くなった男たちのイメージです。“熊の頭をした少女”のように、人間と獣がもともと一緒だったというイメージがあって、様々な動物の頭骨をつけて登場させました。戦争には体格や職業など関係なく様々な人が駆り出されます。この写真には草食もいれば肉食の動物もいます。 今回の展示は女性が生命を産み、男性は死に向かっていくような写真が中心だったので、そのことを連想できるタイトルをつけました。

— さまざまなアイディアはリサーチと体験から生まれくるのですね。

史実の本を読むことも重要ですが、実際に本人に会ったり、その場所に行くことの方がリアリティがあります。例えば、あるおばあさんから、戦争を体験し、旦那さんが亡くなり、子どもを一人で産み育てたという話を聞きます。その時にその大きくなった子どもが目の前にいたり、おばあさんの過ごしてきた部屋にいると五感を通じて様々な想像ができます。そういう体験が大きいですね。

— 出会いや経験を通して作品が進化していきそうですね。

鶴見俊輔さんの本で、旧約聖書を語り伝えていた昔と分刻みで動く現代とは時間感覚が全く異なると書かれてます。これを「神話的時間」と鶴見さんは言っています。現代の私たちは神話的時間を知らないのかというと、実は体験していて、文字を知らない子どもの頃に親や大人と会話をしていた時がそうなんです。

母親が「秋は葉っぱが赤くなるんだよ」と言うと、子供はその現象を知らないのに昔から知っていたかのように「秋って葉っぱが赤くなるんだよ」と言ってしまう。話の出発点は、お母さんの発言であるのに、それを飛び越えて自分のものになってしまう。話がだれのものとも考えられずに共有されていって、これは文字が無い頃の特有の伝わり方です。旧約聖書の時代もそうやって話が伝わっていったのではないかと書かれています。体験を通じて自分の中に語りや歌、仕草などを取り入れて、自分の物語として外に出す。私の制作のなかで体験が重要なのは、「神話的時間」のような感覚が大事ではないかと思っているからなんです。

— イメージを取り入れ実写化していく、どんな作品が制作されるのかと思うと期待が高まります。金さんにとっての写真表現とは?

「物語」のシリーズは、ライティングにも凝って作り込んで撮影しています。でも原点はスナップショットです。写真は、両極端なところを併せ持っているメディアだと思っています。写真について意見を求められると未だに分からなくて答えられないところはあるのですが、分からないからこそずっとやっているのかもしれません。写真は、写ったものを見て、見たことがない写真だと感じることがある。でも写真には、これまで見たことのあるモノが具体的に写真として写ります。すごく感覚的な話になりますが、写真というメディアがおもしろいと思うところは、そういう部分でしょうか。本当に正体不明なものが写った時に人は写真として認めるのかは気になるところです。

— 影響を受けたものはありますか?

私は、美術や写真、映画などよりも、日常生活のくらしに影響を受けています。人がお地蔵さんに手をあわせることをいいなと思ったり、母親のおっぱいを吸う赤ちゃんの本能に感動したりとか、すごく些細なことです。ほとんどの人が日々生きていくことに一生懸命です。特に戦後直後は、余裕のない人たちばかりでした。でもそういう人たちが暮らしの中で発した言葉やどう考えて行動してきたのかということが、今現在にも繋がってきているような気がして、私にはとても重要です。

— 写真新世紀に応募したきっかけ、受賞して変わったことはありますか?

応募のきっかけは、東京で展示ができるというのが大きかったです。長い期間、お客さんがたくさん来てくれる場所で展示をしたいと思っていました。海外から審査員が来られて、作品をどう見てくださるのかというのも気になりました。
受賞して自分が変わったところは、プレゼンテーションをしたことです。普段は作品を作るだけですが、プレゼンテーションというのはどういうことなのかをすごく考える良い機会になりました。自分と写真の関係を言語化する、それは自分の中ですごく大きかったです。

— 写真新世紀を通してバージョンアップされた部分もあったようですね。

すごくあります。グランプリをとる、とらないということではなく、自分の作ったものを人にどうやったら言葉で伝えられるのか、真剣に考えました。

— これから写真新世紀を目指す応募者の方々へメッセージをお願いできますか?

世界の見え方や感じ方が世代によって違ってきているのを感じています。こういう考え方があるんだ、ということを発見させてくれる作品に出会いたいです。写真が下手でも「これめっちゃいいねん」みたいなもの、その人が信じているものを見てみたいです。

— 今後のご活躍を楽しみにしています。ありがとうございました。

PROFILE

金 サジKIM SAJIK

1981年京都生まれ
展覧会:個展「STORY」(2015年~2017、アートスペース虹/京都)、釜山ビエンナーレ 特別展示 アジアンキュレイトリアル展(2014年、韓国/釜山)
グループ展:「showcase#6 “引用の物語 storytelling”curated by minoru shimizu(2017年、eN arts/京都)、Ascending Art Annual Vol.1「すがたかたち」(2017年、spiral/東京・ワコールスタディーホール京都/京都)など。
2018年にはでグループ展「京都府新鋭選抜展2018 - Kyoto Art for Tomorrow -」(京都)、亀岡のみずのき美術館での「アーカイブをアーカイブする」展(京都)、「ARTISTS' FAIR KYOTO」(京都)に参加。
2016年度写真新世紀(第39回公募)グランプリ受賞。

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