INTERVIEW

インタビュー|オノデラユキ(写真家・2020年度[第43回公募]審査員)

Yuki Onodera, Architectural Bodies and Events “Guernapur” charcoal, crayon, gelatin silver print,
collage on canvas, 300 x 734cm, 2018

写真新世紀1991年度[第1回公募]において優秀賞を受賞後、
拠点をパリに移し、世界で幅広く活躍されてきたオノデラユキ氏。

フランスで最も権威あるニエプス賞(2006年)の受賞から、
現代写真・アートの領域で躍進され、斬新な作品を数多く発表されてきました。
2020年、コロナウイルスがパンデミック化する中、
オノデラ氏を審査員として招聘、オンラインで作品審査に臨んでいただきました。

今回のインタビューでは、写真新世紀審査会での応募作品に対する気づきをはじめ、
ご自身の活動、アイディアの源について広くお話を伺いました。

— 2020年度[第43回公募]の審査員、どうもありがとうございました。グランプリ選出公開審査会では、リサーチ系の作品の制作には徹底したリサーチが必要だという意見がありましたね。

今回の受賞作品の中にもありましたが、リサーチ系の作品を作る若い作家が増えています。事実に基づくドキュメントを元に、場合によっては架空の世界にまで引き延ばし表現することは面白いし、歴史を調べ、判断し、作品を作り込むのもひとつの手段ですが、本当の研究者のリサーチは、一生をかけてやっていらっしゃるんです。それを少し活用しただけで自己充足してしまい、自分が作っているものが見えにくくなることは残念ですね。椹木さんもおっしゃっていましたが、中途半端な知識のまま、入れ込みもなしに、材料としてしまうスタンス、流行だからやってみたというのは、“その程度で始めたのか”?ということになりかねません。もっと思慮深く取り組んで欲しいし、ドキュメント自身に作家として対峙できるのか、その辺りを知りたくて審査会で質問をしてみたんです。

Yuki Onodera “Muybridge's Twist” No.51 charcoal, crayon, gelatin silver print,
collage on canvas, 289 x 207cm, 2016

— 応募作品をご覧になって、タイトルについて、もう一工夫欲しいといわれていました。作品の最初の取っ掛かりは、タイトルになると思いますが、オノデラさんはどのように付けられていらっしゃいますか?優秀賞受賞作品の「君は走っているのだ、僕はダンボの耳で待つ」(1992)はすごく印象的でしたね。

あれは、凝りすぎちゃいましたね(笑)。ものすごく地味な作品ですから、これくらいのタイトルをつけないと、手を止めて見てもらうことすら難しいだろうなぁと思ったんです。
作品を自立させる、解説など何もない状態で見てもらうには、タイトルはとても重要です。作品の中に入るためのドアみたいな感じでしょうか。ドアがあれば入りやすいですよね。もちろんドアなしでも出入りは自由ですが。“この作品は何を言わんとしているのか?こういうことを言おうとしているのね。”というように、タイトルと作品が直結していたら、そこで興味が薄れてしまいます。タイトルを付けるのは難しいんです。浮かばなくて苦労する困ることもありますし、実制作が始まるの前にタイトルが決まっているケース「真珠の作り方」(2000–01)、「11番目の指」(2006)などもありますし、被写体からずばりシンプルにつける場合もあります。
同じ様な写真が同列に沢山並ぶコンテストの中では、タイトルにこそ訴えかける力があるのではないかと思います。

Yuki Onodera, “君が走っているのだ。僕はダンボの耳で待つ” No.1, gelatin silver
print on fiber base paper, 16.2 x 16.2cm, 1991
Yuki Onodera, 個展、東京都写真美術館、2010

アイディアの源

— 作品のアイディアはどのようにして生み出されますか。

アイディアは、芸術や映画を見てインスパイアされるというようなものではなく、日常の中でふっと湧いてくるような感じかな。これは何だろう?と考えたり、見ているうちに、なにか全然違う要素と結びついたり、頭のなかで醗酵させる時間が必要です。例えば、ステレオ・カメラをジーっと眺めて、レンズが2つあることに改めて目が止まります。このふたつのレンズを1つの場所ではなくそれぞれ2つの場所で露光させたらどうなるだろうとか。それが「Roma—Roma」(2004)のきっかけでした。そんな感じで、アイデアは衝撃的なひらめきから生まれるというようなことではなく、普段から気になることや疑問が頭にあって、それが時間を経てある時、始めよう!とスイッチが入る感じです。
私の場合、頭の中にあるアイディアとは、言葉であったり、イメージであったり、コンセプトであったり、技術であったりとごちゃまぜの状態です。コンセプトだけが浮くような作品が多くみられますが、視覚芸術である限りやはりイメージです。イメージが言葉と結びついたり混沌としたところから始まって徐々に形になって行きます。
思いついて、すぐにそれに取り掛かって、はい、出来ました!という感じでは全くないんですよ。

Yuki Onodera “Roma-Roma” No.50, oil on gelatin silver print, 49 x 37cm, 2004

— 2020年は、コロナ禍にあり、たいへんな年になりました。そのような状況の中、東京の3ヶ所で個展が開催されました。展覧会についてご紹介いただけますか?

代表作ともいえる「古着のポートレート」(1994)の発表から今年で25年が経ちました。ザ・ギンザスペースのディレクターの樋口昌樹さんから、この四半世紀の節目に合わせてもう一度この作品を一同に展示し、タイムレスな作品の価値を世に問うてみたい、という責任重大な企画をいただきました(笑)。難しいと同時にたいへん嬉しいオファーだったので、特徴ある空間の中での25年後の見せ方を探りました。
YUMIKO CHIBA ASSOCIATESの千葉由美子さんは以前からよく知っていましたし、既にコラボレーションも始めていましたので、今回ザ・ギンザスペースと同時期に“その25年後”を見せることでの相乗効果を狙ったのです。3mあるコラージュ作品や出来立ての新作「Darkside of the Moon」などを発表しました。そして、国立のツァイト・フォトでは故石原悦郎(1941-2016)宅の至るところ、サロンのみならず廊下、階段、浴室などに様々なアプローチの作品を展示しました。写真新世紀の受賞作品のような初期作品から他の二つの会場では見せきれない“間”を見せたかった。石原さんのコレクションと私の所有作品を思いっきり50点近くを展示したんです。何より住宅という空間はギャラリーとは異なる日常空間ですし、作品を見る側の感覚も違ってきます。3カ所が揃うことでこの30年制作してきた作品をそれぞれ違う演出で紹介できるめずらしい機会となりました。当初5月を予定していましたが、コロナで延期になり、最終的には9月になりました。移動が難しい時期ではありましたが25周年のタイミングで開催でき、しかもこの困難な年に皆さんに作品を見て頂けたことは、何より嬉しいです。

Yuki Onodera, “Portrait of Second-hand Clothes” No.4, gelatin silver print on fiber
base paper, 115 x 115cm, 1994
Yuki Onodera, solo show, “FROM Where” The Ginza Space, 2020
Yuki Onodera, “Darkside of the Moon” solo show, Yumiko Chiba Associates, 2020,
photo : Masaru Yanagiba

— 「建築的身体と事件」(2018)、「ACT」(2015)、など8mにも及ぶとてもダイナミックなサイズの作品も手掛けられていらっしゃいますね。現代美術の世界でも広く取り上げられていますが、写真と現代美術の違いを意識したり、感じられたりすることはありますか?

私の活動は、おそらくその二つの領域にまたがった状態で立っているように感じます。現代美術の関係者からみると、「これは、写真ですね。」となりますが、写真関係者からみると「現代美術ですね。」と言われます。その境界線の領域に居るというのが、私にはすごくおもしろいんですよ。逆にいえば、可能性があります。特に写真界は、何かと形骸化してしまうようなところがあるので、スタンスを写真から少し外すことは大事ですし、でも現代美術と言い切ってしまうと、写真をただの素材として扱っているような印象に留まる危険性もあります。現代は、映像、写真、彫刻、油画というように、ただ1つのジャンルをポンと選んで作っていくような短絡的なスタイルでは収まらないというのが、面白いですよね。そんな中で「それでも写真?」となると、写真の歴史、カメラの構造、プリントのテクニック等などや写真に纏わる諸事情を消化した上で、あえて写真です、ということを提示しなくてはならないんです。そうすると現代美術側から写真を学ぶような状況が起きてくる。両者の間を行ったり来たりと、これが長く続いて私のスタイルになっているともいえます。あらゆる意味で、どこにも所属しないというのはとても大事だと思って活動しています。その不安定さがあってこそ表現できるというのでしょうか。それは、私がパリに住んでいるということにも一理あると感じています。30年も外国暮らしが続くと、私はアジア人で、日本人だけれども、そうともいえない。でもフランス人でもない。そういう曖昧さが、価値観や作品制作にもに現れているのでしょうね。

Yuki Onodera, Architectural Bodies and Events ”Guernapur” charcoal, crayon, gelatin silver print,
collage on canvas, 300 x 734cm, 2018
Yuki Onodera, 建築的身体と事件 Guernapurの制作風景, 2018

— 現代アートと写真の間のような、おもしろい立ち位置にいらっしゃるんですね。

ずっと続けてきました。これは、大事なことだと思っています。小説家であれ、なんであれ、自分のやっていることに対してある意味距離を保ち批判的な目を持ち続け、制作するべきと思っています。母国との距離を置き、住んでいる国に対しても距離を持ち、すべての事を批判的に見て吟味するということが重要なのかもしれません。でも、そうしていてもやっぱり全部が確かに繋がっているんです。バタフライ理論ですね。

Yuki Onodera “The World Is Not Small–1826” No.20, archival pigment print on fiber
base paper, 148 x 190cm, 2012

— ご自身の好きなことを職業にできたことは、応募者、受賞者の憧れであると思います。続ける上でご苦労はありましたか?

今の若い世代の方が、職業としての“アーティスト”を意識して考えているかもしれないですね。彼らは“これで食べていけるのか?”とシビアに考えているようです。私の場合、最初からお金にならないと思ってやっていました。お金になるわけないと思って作っていたものが、少しずつでも売れ始め、生活の糧となったのです。しかし売れるまでは随分と時間がかかりました。苦労といえばこれかな。最初から売ることばかりを考えているとアートから離れて行くでしょう。厳しい状況があっても続けることは大事ですが、アーティストの仕事のほとんどが報酬のないボランティアといえますから続けるのはそう簡単でないのも事実です。今の時代は、美術のマーケットがはっきりと露出していますから、それを意識して制作する人は美大在学中でもいるでしょうし、また純粋にやりたい制作を続けるためにアーティストをしながらアルバイトをするというような手段を必要とする人がほとんどでしょう。でも、就職してからアーティストをやろうというのはNGです。それでは趣味の日曜画家となってしまう。今の日本ではどんな専門でも大学生は就職のことばかり考えているようです。何の為にやりたい研究をしているのか自身に問い直して未来を建設的に築いてほしいですね。

Yuki Onodera, “How to make a Pearl” No.10, gelatin silver print on fiber base paper,
218 x 155cm, 2000

— 今後の予定を教えてください。

今春は、スイスのギャラリーで個展を予定しています。またフランスのカンヌに近いムジャンという町に新しく公立写真センターがオープンします。開館は2021年の春だったのが、オープンは9月になりました。そこで秋に個展を頼まれています。最新作を展示する予定です。

— 新たな作品が生み出されていきますね。とても楽しみです。ありがとうございました。

Yuki Onodera, “12 Speed” No.1 & No.9, archival pigment print on fiber base paper,
121 x 170cm, 2008

PROFILE

オノデラユキYUKI ONODERA

東京生まれ。1993年よりパリにアトリエを構え世界各地で活動を続ける。
カメラの中にビー玉を入れて写真を撮影したり、事件や伝説からストーリーを組上げ、それに従って地球の裏側にまで撮影に行ったり、あらゆる手法で「写真とは何か」「写真で何ができるのか」という実験的な作品を数多く制作し、写真という枠組みに収まらないユニークなシリーズを発表。さらに自分自身で2m大の銀塩写真をプリントし、油絵の具を使ってモノクロ写真に着彩するなど、数々の独特な手仕事の技法でも知られる。
その作品はポンピドゥ・センターを始め、サンフランシスコ近代美術館、ポール・ゲッティ美術館、上海美術館、東京都写真美術館など世界各地の美術館にコレクションされている。主な個展に国立国際美術館(2005)、国立上海美術館(2006)、東京都写真美術館(2010)、ソウル写真美術館(2010)、フランス国立ニエプス美術館(2011)、ヨーロッパ写真美術館、パリ(2015)などがある。

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