歴史館年代から見る

1987年-1991年

1987-1991

EOS誕生の時代

フォーカルプレーンシャッター式の35mm一眼レフカメラも、ついにAFの時代へ突入する。キヤノンはニューコンセプト一眼レフカメラ「EOS 650」を市場に投入し、レンズもAF対応完全電子化マウントのEFレンズシリーズ特化を決断。一方ムービービデオカメラは、VLマウントシステムを発表する。

キヤノンAF35mm一眼レフカメラ「EOS」誕生

1985年(昭和60年)2月、「T80」の発売より2ヵ月ほど前、カメラ業界をゆり動かす出来事が起こった。本格AF35mm一眼レフ「ミノルタα-7000」の発売である。同年9月には「α-9000」、さらに翌年4月には「ニコンF-501」が発売された。これらのAF一眼レフ機は発売とともに圧倒的な支持を得て、国内はもとより北米市場でも需要が集中。一躍35mm一眼レフカメラのスターダムにのし上がった。「F-501」が発売された1986年(昭和61年)4月末の国内市場におけるAF一眼レフカメラのシェアは、早くも50%を越えたという。

キヤノンも「T80」によってAF化を実現していたとはいうものの、その測距性能において、「α-7000」、「F-501」には大きく水を開けられた状態だった。そして、1985年(昭和60年)3月31日、『キヤノンらしい完成度の高いAF一眼レフを市場に投入すべし。発売はキヤノン創立50周年に当たる1987年(昭和62年)3月1日』という決定が下される。

開発計画名はEOS(当初はEntirely Organic System=完全有機体システムの略だったが、後にElectro Optical Systemに変更された)。EOSという言葉は、ギリシャ神話に登場する「曙の神」の名でもあり、キヤノンがめざす新世代カメラの夜明けに、まさに相応しい名称である。

EOS開発には、AF機構導入により価格が上がってはならないこと、「f=300mm F2.8」のレンズを手持ちでインドアスポーツが撮影できること、測光感度と等しい明るさの測距感度を持つことという3つの理念があった。こうした高いクオリティを実現するために、およそ2年間という研究・開発がはじまったのである。これらの理念は、詰まるところカメラの将来性、システムとしての発展性の重視ということを核に据えており、それは、現在のEOSシリーズにも脈々と受け継がれている、カメラ開発におけるキヤノンの変わらぬ基本姿勢といえるだろう。

「EOS650」が発売された、日本カメラショーのキヤノンブース

新システムとしての将来性を大いに期待されたEOS開発計画は、当初の予定通り1987年(昭和62年)3月、「EOS 650」発売によって実を結んだ。その開発には、AF測距センサーに自社開発による高感度測距センサーBASIS(Base Stored Image Sensor)、商品化としては世界初の超音波モーターUSM(Ultra Sonic Motor)、そして超高速な演算と制御を可能にするスーパマイコンの採用という3大技術が惜しみなく投入された。発売より1ヵ月前、日本カメラショー東京会場で一般公開された「EOS 650」は、評判が評判を呼び、発売2ヵ月後の5月には国内、ヨーロッパ市場において早くもナンバー1のシェアを獲得。同年の日本カメラグランプリ他、ヨーロピアンカメラ’87/’88などを受賞した。

「EOS-1」の部品展開図

同年5月には、「EOS 650」の上位機種「EOS 620」を発売。1989年(平成元年)には、「EOS 630」、そして待望のEOSフラッグシップ機「EOS-1」が発売となった。AF機能が登場した当時は他社の後塵を拝したキヤノンだったが、ハイクオリティなAF機能を搭載した「EOS-1」は、スポーツなど動きを追い求めるプロ写真家たちに認められていった。

EOSシリーズはその後、1990年(平成2年)3月に「EOS 10」を発売。風景や人物など、作画意図に応じたバーコード情報をカメラに入力するだけで同様の写真が撮影できる、バーコード入力が話題を呼んだ。また、電池込みで500gという軽量コンパクトながら、機能的にはフルスペックモデルの「EOS 1000QD」も、同年10月に発売されている。翌1991年(平成3年)8月には、カメラに静音のコンセプトを世界で初めて導入した「EOS 100QD」が登場。新開発のサイレント(静音)機構により、巻き上げ・巻き戻し時における作動音を、従来比で1/2~1/8にも減少させた機種である。これらEOSのラインナップは、一眼レフの市場を大いに活性化させた。

EOS用EFレンズシリーズ

EOS開発とともにスタートしたEFレンズ開発は、マウントもFDシリーズとはことなるまったく新しいものだった。新たなマウントシステムは「ユーザーが最大の満足を得るために何をすべきか」が第一に考慮され、さらに将来的にもユーザーとともにAF35mm一眼レフカメラを理想の形で共有するための構想が練られた。そうして誕生したのが、高精度でリアルタイムに情報通信・伝達が行なえる完全電子化マウントである。

EOSとEFレンズの完全電子化マウント

その開発に当っては、好評を博していたFDレンズユーザーに対する理解と賛同をいかにして得るか、といった問題点も当然のごとく検討された。ユーザーが納得するリーズナブルな価格での高性能新AF一眼レフカメラシステムの提供、交換レンズに最適なマッチングを持つAF駆動用超音波モーター(USM)の採用、経年変化による作動誤差、精度誤差が生じない完全電子化などの項目がEFレンズの具体化への指針となり、超高速AF、静音作動といった性能を実現した。

EFマウントは、マウント内径54mm(外径65mm)という35mm一眼レフカメラ用では世界最大口径を有している。この大口径EFマウントは、35mm一眼レフカメラ用交換レンズとしては世界最高の明るさを誇る「EF50mm F1.0L USM」実現のベースともなった。

ビデオカメラも着実に技術をステップアップ

EOSの交換レンズも使用できる「LX-1」

ビデオカメラは、8mmの新規格Hi-8フォーマット、ステレオ機能などを搭載して1989年(平成元年)に発売した「キヤノビジョン8 A1」、当時の世界最小・最軽量となった1990年(平成2年)発売の「UC-10」を経て、1991年(平成3年)には、ビデオカメラ開発史上もっともキヤノンらしいといわれた「LX-1」を発売した。統一規格VLマウントシステムを採用することで、交換レンズ方式を可能とした「LX-1」。VLマウントシステムは、マイコン内蔵の交換レンズが本体にレンズ情報を伝達、その情報に基づいて本体側からレンズに制御方法を命令するという機能を持っている。キヤノンほか4社が共同で定めた統一規格だが、結果的に製品化にいたったのはキヤノン1社。「LX-1」は、さらに専用レンズだけではなく、EOS用のEFレンズも使用でき、とくにアメリカで評判となった。

一般ユーザーの手に届き始めたSVカメラ

10万円を切ったSVカメラ「RC-250<Q-PIC>」

現像を必要としないため即時性に優れたSVカメラだったが、「RC-701」が本体だけで38万円、1987年(昭和62年)発売の「RC-760」では60万円を超えるという非常に高い価格設定もあり、その需要は報道関係の業務用に集中していた。そこで、一般ユーザーが手にすることのできる磁気記録カメラの開発が進められることになる。販売価格のボーダーラインは10万円。そうして登場したのが、1988年(昭和63年)12月発売の「RC-250<Q-PIC>」である。価格は99,800円だった。それまでの2機種(「RC-701」「RC-760」)ではプリンターや電送機など多くのシステムを併せて発売してきたが、「RC-250」には再生機能を内蔵。ビデオ端子を利用しテレビに繋げれば、撮影した写真を簡単に見ることができた。そして、ユーザーが一番望む”撮る””見る”機能に徹したSVカメラとして注目を浴びたのである。なお、この「RC-250」は特にヨーロッパでは「ION」の名称でヒット商品となった