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2019年度(第42回公募)グランプリ選出公開審査会報告

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PRESENTATION

遠藤 祐輔
「Formerly Known As Photography」

私は1日に約1,000枚のストリートスナップを撮る生活を15年続けています。しかし近年、街で写真を撮るということは二つの困難に直面していると思っています。

一つ目は肖像権の問題。二つ目は決定的瞬間が無価値になる問題です。
スマートフォンやSNSによって肖像権に対する意識が大きく変化しました。顔を写すことが嫌悪されるようになったのです。街で写真を撮り、それを展示することは困難になりました。ストリートスナップによる表現が搾取や暴力となったのです。そうした状況のなか私が取り組んだプロジェクトは、顔がない写真を撮ることでした。その撮影は、私にとって思いがけないプラスの影響を与えました。顔を写さないよう強引にフレーミングすることによって、人物が写っていないカットにも影響を及ぼしたのです。フレーミングが大胆になり、躍動感や疾走感を生み出すようになりました。人物が写っていないカットへの作用を追求できたことは非常に大きな点でした。

肖像権への意識の変化はテクノロジーの変化によってもたらされましたが、決定的瞬間の無価値化という問題はもっと直接的にテクノロジーと結びついています。街のあらゆる所に設置されている監視カメラが象徴していることは、すべての空間がカメラによって記録されているということです。それは撮っている私自身が撮られているということでもあります。まるでSF映画のような世界が間近に迫っています。わざわざ外に出かけなくても、インターネットにアクセスすればドローン、人工衛星、監視カメラ、誰かのスマートフォンから決定的瞬間をキャプチャーできるようになるのです。我々の目にカメラが埋め込まれる日も近いのではないでしょうか。これまで典型的な英雄のモチーフであった高い山に登ったり、戦場へ行ったりする必要もなくなってしまうのです。

もっと身近な話をすると、今は動画から高精細な静止画をキャプチャーすることも可能になりました。今や写真を撮ることに意味はあるのでしょうか。ストリートスナップは、もはや怠惰な表現になってしまったのでしょうか。決定的瞬間は価値のないものになってしまったのでしょうか。

私は、スマートフォンで撮影すると前後数秒の画像も記録されるという機能に着目しました。決定的瞬間を後から決定するのです。カメラの連写機能を使い、撮影する前からシャッターを押し、撮ろうとした瞬間の後も指を離さないようにします。それをつなげたものが今回の動画作品です。こうした撮影によって、予想を超えたイメージが生まれていることに気づきました。たとえば、意図して撮ったカットの次のカットもまた印象的なものだったのです。一つずつコマに分解したものは、エドワード・マイブリッジの馬の連続写真を想起させるかもしれません。しかし行動としては逆になります。マイブリッジの連続写真から映画、動画は始まりましたが、今回のプロジェクトは動画から再び写真を思考しています。予想外の手の写り込みが魅力的だった、撮ろうとした瞬間の前段階の写真が興味深いものだった、隙間を覗くように被写体に近づくと別の被写体がいた……。1枚だけで撮ることをやめていたら、こうした写真を撮ることはできませんでした。

連写撮影は新しい手法ではありません。しかしこのきっかけは、テクノロジーの発達がもたらしたものです。社会の認識の変化によるものなのです。今回の展示では、こうして得られた決定的瞬間と、その前後を連続した映像にして配置しました。このプロジェクトを始めるとき、私は希望的な仮説を立てていました。写真を撮るというのは動画を撮ることとは違うのではないか。写真を撮ろうとする身体が被写体に影響を及ぼすのではないか。人物はもちろん人物が写っていないカットに対しても力学的な影響を及ぼすのではないか。

このプロジェクトによって結果的に予想外の魅力的なカットを撮ることができたのは確かな収穫です。これは非常に大きなことでした。なぜなら、ストリートスナップの決定的瞬間の重要な要素の一つは、予想しない瞬間が写り込んでいることだと思うからです。

撮影行為が搾取や暴力になる可能性がある、またテクノロジーによってその価値を脅かされているストリートスナップに、何故あえて今取り組んだのか。それは単にストリートスナップが好きだというロマンチシズムのようなものかもしれません。街で撮ることに固執しているのかもしれません。しかし、先人の残した偉大な路上写真たちは今もなお私を強く魅了し続けています。同時に、テクノロジーの進化によって既存のスナップショットを更新していける時代に私は生きているとも感じます。同時代的な困難を、作家として取り組むべきある種の幸福な問題として捉えています。

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審査員コメントと質疑応答

安村 崇氏(選者)

僕が遠藤さんの作品を面白いと思ったのは、自分の中にある何かを表出するのではなく、自分がまだ知らないものや、面白いと思える領域を広げるために検証しようという態度が貴重だと思ったからです。それは大事にしなければならないと思ったし、ぜひこの作品を会場で見たいと思って選びました。
実際に拝見すると、思っていたのとは違うことも少しありました。最初、トランスペアレンシーを使うと書かれていたのですが、それをやめたのは何か理由があるのですか。

(遠藤 祐輔)あれは、ポートフォリオレビューといったものを少しシニカルに捉えて、合成によってプロジェクターで投影したようにプロセスが反映されるという動画でした。今回は美術館で飾るので、写真に物質性を持たせたくて、しかも、数枚が推移することにシニカルさ、面白さを求めました。ファイル自体は写真に見えますが、すべて動画です。

(安村 崇)そうですね。話を聞いていると僕が思っていたよりもずいぶん先に行かれているようですが、数点を除くと他はあっさりしているというか、わざとピークをはずしたような選ばれ方をしています。それには何か理由があるのですか。

(遠藤 祐輔)ピークをはずしているのは、決定的瞬間に対して私がアップデートできた成果をお見せしようと考えたからです。今までは撮れなかった決定的瞬間が、こういった手法を用いることで撮れたということです。

(安村 崇)正直、答え合わせになってしまっている感じがしました。この写真は動画のどこなのか、というように。でも、動画のスピードを変えたり尺を変えたりすることで、もっと自分の知らないことを知ることができるのではという期待を持ちました。

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PRESENTATION

  • 田島 顯

    「空を見ているものたち」

  • 中村 智道

    「蟻のような」

  • 幸田 大地

    background」

  • 江口 那津子

    「Dialogue」

  • 𠮷田 多麻希

    「Sympathetic Resonance」

  • 遠藤 祐輔

    「Formerly Known As Photography」

  • 小林 寿

    「エリートなゴミ達へ」

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