PRESENTATION
溝渕 亜依
「ID」
私はかわいい女の子が好きで、たくさん集めてタイポロジー作品を作りました。同じ構図・同じ露出で、個性の出る要素をできるだけ無くし、表情も作らないよう指示をして撮っています。タイポロジーで有名なベッヒャーのように、また、澤田知子さんの作品『ID 400』のように、彼女たちの表面に潜む社会性を検証できればと思いました。
被写体は「かわいい女の子」に限定しました。男性を含めたり年齢の幅を広げたりすると、対象となる社会が大きくなりすぎるからです。また、モデルをインスタグラムから探したのですが、フォロワーやタグの数が多い子を選びました。そうすることで「かわいさ」がより客観的になると思ったからです。
インスタグラムには、いわゆる「インスタ映え」する写真が溢れています。フォロワーやタグの多い、たくさんの人に支持されている女の子たちの写真は、まるでタイポロジーのように似通っています。どの子も流行りのファッションで、似たメイクをして、同じような場所で、同じようなものを食べるのです。当初は写真の隣にその子のインスタグラムの画像を貼ろうと思ったのですが、どれもあまりに似ていたのでやめ、その代わりに本人を識別するIDを置きました。
ところが実際に会うとインスタグラムで見た近似性はなく、彼女たちはとても個性的でした。「インスタ映え」と呼ばれる価値観にみんなが倣う、これはアイデンティティの欠如でしょうか? どの子も私がリクエストした自然さをうまく表現できています。インスタ映えを狙うのも、彼女らにとってはただの演出に過ぎないのではないでしょうか。
モデルをしていたという子は「就職するから(モデルを)やめる」と言いました。この見切りの良さと冷静な自己分析、ここにアイデンティティがないとは思えません。インスタグラムを理解し、現実社会でどう振る舞えばいいかを熟知しています。彼女たちは巨大なネット社会で迷子になるでもなく、どこに所属しているか不安になるでもなく、自分の世界はこうなんだと自在に生きています。その根底には、デジタルネイティブ世代の明るく前向きなグローバル感覚があると感じました。
審査員コメント
澤田 知子氏
SNSを使った作品は増えてきていますが、アカウント名が名札のようになっているところが面白い作り方だなと思いました。
プレゼンテーションを聞いて、期待していたのとは違う感じがしました。インスタグラムのシステムや社会の中での在り方を引用しているのかなと思って、それなら面白いと思っていたのです。現代社会の人間関係の希薄さ、ネット上ではコミュニケーションがとれても実際に会うととれない、そういう現代社会のシステムとして利用しているのかなと思ったのです。
タイポロジーを意識しすぎている感じも気になりました。タイポロジーはあくまで手法です。タイポロジーにこだわりすぎて、ご自身の中でフワフワしているような印象を受けました。作品というのは「私はこう考えます」という表明に共感する人が増えたり、反応する人たちが出てきたりして、広がり、できあがっていくものと思っています。
社会が広くなりすぎるからかわいい女の子に限定したということでしたが、社会を女の子に限定したところで「広い」ことに変わりはなく、限定する必要を感じませんでした。改めてコンセプトを一言でまとめるとしたらどのようになりますか。
(溝渕)私は最初、SNSと実社会にはギャップがあると考えていたのですが、実際はそうではなく、ネットの世界と現実世界をしっかりと行き来している彼女たちがいることを発見できました。そこに、写真に表現する理由があると思いました。
上田 義彦氏
僕はインスタグラムをよく知らないのですが、平面的、近似性、類似性を狙って撮っているのですか。僕にはそのように思えて、ますますわからなくなってきます。写真の撮り方でいえば、もっと個人のポートレートが浮き出てくる撮り方もあると思うのですが、狙ってそうしているのですか。
(溝渕)彼女たちから得た印象を写したくなかったので、無表情さやポーズを意図的に指示して撮影しました。