PRESENTATION
澤田 華
「Gesture of Rally #1705」
この作品は、正体不明の物体を巡って繰り広げられる不毛なラリーです。このゲームに決着が付くことはありません。答えは宙づりのまま、イメージの誤読だけが繰り返されます。
作品のタイトルは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『欲望』から着想を得ました。映画のラストシーンで、若者たちがパントマイムでテニスの試合を繰り広げるのを、写真家である主人公が眺めているシーンから「Gesture of Rally=ラリーの身振り」という言葉の着想を得ました。映画の中で主人公が、自分の撮った写真に死体のようなものが写り込んでいるのを見つけたのと同じように、私も写真の中に勝手に事件を見出しました。それが何かを言い当てることのできない正体不明の物体です。
今回引用した古本の中の写真は、編集され、読み方が示されているわかりやすい写真です。その中に写り込んだ正体不明の物体はノイズのようなもので、「無いもの」として処理されたり、無視されたりします。誰も気に留めないそれを取り上げて救出することを私は試みています。
この物体をよく観察しようとして写真を拡大しても、網点の塊に姿を変えてしまいます。写真から得られる情報は極めて限られていて、すぐに底をついてしまう、そこで私は自ら情報を補完しながらメディアを横断させることで分析・推理しました。推理の支えとなっているのは、事物がそこにあったことを証明する写真固有の特性です。この特性は、デジタル写真の加工や修正が当たり前になった今では古いと思われるかもしれませんが、私はあえてこの特性を全面的に信頼する態度をとってゲームを進めています。
このような正体不明のもの、すぐに判別がつかないもの、理解できないものというのは、人を不快にさせたり不安にさせたりすることもあると思いますが、すぐに白黒つけたり排除したくないと私は考えています。一端きちんと受けとめ、想像して、考えたいと思っています。決定的な答えが導き出されないまま、曖昧なまま、無理に答えを出さないという態度について考えたいと思っています。
こうした考えをもとに、正体不明の物体について分析と検証を重ね、写真に写されたものの認識を問うています。この作品において写真は、そのときそこにその物体があったことを証明するものとして機能すると同時に、近似値を際限なく生み出す装置としても機能しています。この作品は過去のものを現在に接続し、現在をさらにその先の未来へとつなぐ装置なのです。
審査員コメントと質疑応答
サンドラ・フィリップス氏
プレゼンテーションを大変興味深く聞かせていただきました。作品に現れている野心、チャレンジ、素晴らしいと思います。従来の考え方に対するチャレンジをされていることが素晴らしいと思います。これは写真であると同時にコンセプチュアルアートだと思います。またそこにはアントニオーニ映画のアイディアも入っています。一方では謙虚、でも一方では野心的なチャレンジを表している作品だと思います。
細かいところに注意を払っていることも素晴らしいと思います。細かいものが見えてくる一方で曖昧さがあるということ、自分の作品に対する広い視点、これは大変チャレンジングだと思います。
清水 穣氏
すごく整理され、考え抜かれた仕事で、見かけは地味ですがインスタレーションとして成功していると思いました。ただ、見る人が一歩こちら側に来てくれないと、伝わりにくいかもしれません。例えば図鑑にあるような、はっきりと「これは何々です」というクリアな写真の中に変なものが写っている、というのをゲームのスタート地点にしたとして、そこに人が来てくれれば面白さは伝わると思いますが、最初の一歩が少し弱い気がします。とはいえ、インスタレーションは成功していると思いました。 ファウンド・フォトを使う作家は結構いると思いますが、澤田さんはそういう作家の系統の中に自分を位置づけますか。
(澤田)木村友紀さんなどのファウンド・フォトとは少し違うと思っています。私は基本的に流通している本に載っている写真、説明がされていて読み方がすでに分かっているものを使おうと思っています。