PRESENTATION
山越 めぐみ
「How to hide my Cryptocurrencies」
タイトルにある「Cryptocurrencies」というのは、一般的に仮想通貨と呼ばれているものです。この作品を制作した本質的な理由に、極めて私的なお金にまつわる経験があります。
仮想通貨は、実際に紙幣やコインが存在しないバーチャルなお金です。ウォレットと呼ばれる目に見えないお財布のようなものに保管されます。仮想通貨の一番のポイントは、銀行などと違って基本的に管理者がいないということです。自分で設定したパスワードを無くしてしまうと誰もアクセスできなくなくなってしまいます。ですから仮想通貨は基本的に自己責任、自己管理で成り立っています。
パスワードがわからなくなったときの最後の手段として「復号鍵」があります。私の作品は写真と単語が15ずつありますが、これが復号鍵になっています。復号鍵はランダムに決まるため、単語自体に意味はまったくありません。
私は世界10ヵ国15箇所を撮影して、復号鍵の15の単語を15冊のブックにしました。単語群はパスワードなので、順番が違うと別のウォレットを復元してしまいます。私はこの順番を間違わないようにするため、撮影した場所と自分の記憶を結びつけて今回のブックにしました。
例えば1冊目の「know」は5歳のときにおばにつれられて行ったフィリピンを撮影したもの、6番目の「unhappy」は、行ったことはありませんでしたがアイスランドを撮影しました。16歳のときアイスランド出身の歌手ビョークがとても好きになった記憶があります。このように、撮影した場所は自分が必ず覚えている出来事と結びついた場所です。
本来、復号鍵は決して他人に知られてはならないものですが、この復号鍵を使ってみなさんもウォレットにアクセスすることが可能です。
この作品を制作しようと思った理由には、写真と貨幣には共通点があると考えたこともあります。画像はデータとなってスマホやパソコンで閲覧され、アナログになることがほとんどありません。貨幣も、振り込みや、クレジットカードによる決済など、実際の紙幣を使わずやり取りすることも今では多いかと思います。
もう1つ、日本では貨幣のイメージがあまりにも悪かったからです。私がどこかへ行ったり、写真を撮ることは、企業からすると経済活動ですが、私からすれば、それはアーチストが作品を生み出す行為です。そのような活動の結果として、新たな価値が生まれ、必要とされ、目に見える信用として貨幣になるというのが私の考えです。ですが、今の日本では、お金に何か悪いイメージがつきまとっているように思います。
仮想通貨の本質はキャッシュレスで便利になることではありません。貨幣による国境などの境界線がなくなることによって私たちの生活が大きく変わることです。これまでお金によって成り立っていたものが、何かそれ以外の評価で成り立つ社会が来る、私はそれがとても楽しみです。仮想通貨が最終的にどのような未来をもたらすかはわかっていませんが、この作品が一瞬で風化するような新しい未来に私はとても期待しています。
審査員コメントと質疑応答
椹木 野依氏(選者)
ウォレットにアクセス可能というのは、この作品を見た人が山越さんのお財布にアクセスし、使うことができる、ということでしょうか?
(山越)そうですね。ウォレットは本人確認のしようがないものなので、パスワードを共有した時点で「私のもの」ではないのだと思います。
構想の最初にあったのは、写真で何かコミュニケーションすることでした。私の写真を見た人が「ここにいこう」となるのは難しいと思いますが、ウォレットにアクセスしたり仮想通貨を別のウォレットに移したりといったアクションなら起こせるかもしれません。それは私の意図するところです。
(椹木)展示には、写真や、データを収めたメディア、その他いろいろなものが並べられていますが、ブックに「触らないでください」となっているのは、意図されてのことですか。
(山越)展示の方法はかなり悩みました。1冊ならまだしも15冊を置いたときに、見栄えとして自分の予期しない場所に置かれてしまうことを避けるため、基本的にブックの中身を見られないようにしました。ただ、見せたい気持ちはありますし、見たい側の気持ちも理解しています。
(椹木)お財布の中身は見せてもブックの中は見せないというのも不思議ですね。そこは何か重要なことなのではないかという気がしました。
澤田 知子氏
ブックで応募されて、私たちもそれを見て審査をしたのですが、展示になるとブックが見られなくなっているというのがすごく矛盾していると思うので、もう少しご説明いただけますか。
(山越)15冊のタイトルが付いたブックの中身は、ある意味何でもいいのです。写真が1枚だけだったとしても、何もなかったとしても、私がやりたかったパスワードを隠すというコンセプトにおいては成り立つと思っています。