PRESENTATION
ソン・ニアン・アン
「Hanging Heavy On My Eyes」
この作品を考えたのは2015年後半でした。当時シンガポールでは、隣国マレーシアとともに停滞するヘイズ(煙霧)に悩まされていました。さまざまな企業が行っていたパーム油プランテーションの森林火災が増えたことによるものです。農家で新しい作物を作るために森林を焼いていたということもありました。
グリーンピースインターナショナルによると、2016年から今までの3年間にパーム油によってシンガポールと同じくらいの数の熱帯雨林が消えたそうです。その広さは1400平方キロメートルほど、まさに東京都と同じくらいの森林が消えてしまっているのです。調べてショックだったのは、シンガポールやマレーシアに来ていた煙霧は1970年代からずっと来ていたということです。シンガポール政府も煙霧の測定を始め、2015年9月からは政府のウェブサイトで毎日汚染指標(PSI)を見ることができるようになりました。
ヘイズの中には何があるのでしょうか。そして大気汚染指標は何を記録しているのでしょうか。シンガポールの環境庁が出している大気汚染指標はオゾン、一酸化炭素、そしてPM10、PM2.5と呼ばれる粒子なども測定対象になっています。
PM10は自然界にもあります。樹木や植物を燃やすことによって生成され、これがヘイズの主な成分になります。ですがPM2.5のほうが汚染物質としては心配な成分です。この汚染物質にさらされると、さまざまな呼吸疾患に悩まされます。PM10はおよそ10ミクロンよりも小さく、PM2.5は2.5ミクロンよりも小さいものです。本当に小さいものです。
私の作品をご覧になった多くの方に「これは空中の煙霧を撮ったものですか?」と聞かれました。制作に携わったスタッフからは「ストーリーがないじゃないか」と暗室の中で言われました。主体はヘイズ、煙霧ですが、これは常に目に見えないものとして扱われてきました。煙霧によって私たちは太陽の光の感じ方も影響を受けます。目の前にあるものの見え方も変わってきます。
イメージはデータ、光、時間の3つによってできます。それぞれのプリントには2つの数字がありますが、これは大気汚染指数の最高値と最低値です。2016年の1年を通して毎日、この数字を露光の時間に換算し、それを灰色に変換しています。366枚の写真は、この暗室での地道な作業によって生まれました。
写真がこの世に生まれてから170年以上が経ち、その間に技術的な大きな進歩がありました。アナログからデジタル、そして近年は動画へと進歩を遂げました。私たちは目に見えないほど速いスピードでいろいろなイメージを作り出し、消費しています。私はあえて制作プロセスをゆっくりさせることにしました。時間をかけて、より細かいところに気をつけて、シンプルに、そして見過ごされがちなものに目を向けることを意図しています。
ヘイズの問題を解決するためにシンガポールとインドネシアの間でいろいろな対話がなされました。インドネシアの副大統領は「隣国は11ヵ月ヘイズがない空気を吸えたことはありがたいと思わなければならない」と言いました。最後にアラン・ムーアさんの言葉で終わりたいと思います。“Knowledge, like air, is vital to life. Like air, no one should be denied it.”
審査員コメントと質疑応答
エミリア・ヴァン・リンデン氏(選者)
よいプレゼンテーションだったと思います。この説明がソン・ニアン・アンさんの作品には必要でした。
今回、1992名の作品を見ていてなぜこれが気になったかというと、ビジュアルと呼べるものがなかったからです。私たちは常に、イメージの海に囲まれて、ものすごい勢いでそれを消化しようとしています。そんなときにあなたの作品を見て、少し落ち着いた気分になりました。特にブックが良かったと思います。
環境問題はすごく大きな問題です。私もある期間マレーシアに行っていたので、ヘイズがいかに大きく影響しているかがわかります。ですが域外の方はその問題に気付いていません。本当に問題が悪化したときに新聞などのメディアがそれを取り上げます。一般的な写真家のアプローチはそれを記録することですが、ソン・ニアン・アンさんのアプローチは真逆をいっていて面白いと思いました。まるごと1年間をこのプロジェクトに捧げたことをいろいろな人に知ってほしいと思いました。素晴らしい作品だと思います。
展示についてですが、シンガポールでの展示方法と今回の展示を変えられた理由は何ですか。また、ブックは素晴らしいものでしたが、今回の展示にブックがなかったのはなぜですか。
(ソン・ニアン・アン)展示方法を変えたのは、スペースの制約によるものです。ブックを置かなかったのは、展示についてのディスカッションで壁のディスプレイについての話に終始してしまったからですが、ブックを一部でも会場に置くことができれば良かったと思っています。
さわ ひらき氏
「本はあったほうが良かったですね。あの本の出来は本当に良かったと思います。可能であれば、今からでも展示の横に置かれると良いと思います。
安村 崇氏
制作意図には「写真の指標的な性格を生かして」とありますが、この作品にはネガがないとのことですが、指標的というのは因果関係のことかと思います。ネガがないのになぜ写真を使おうと思ったのですか。
(ソン・ニアン・アン)私はずっと写真のトレーニングを受けてきました。私の作品の作り方もだんだん変わってきていますが、私はやっぱり写真という媒体にいる人間だと思っています。ネガがないのは、私が使える材料が政府が出す指標の数値だけしかなかったからです。印画紙にその数値を現像するにあたって、光源と印画紙の間には何も邪魔するものはありません。ですからそれぞれはすごく純粋な形でプリントしています。データと、光と、時間だけで最終的な形ができあがるようにしました。