PRESENTATION
幸田 大地
「background」
本作品のテーマは、亡くなった母について語るというものです。私はこれまでにも、なくなってしまったものを糸口にして作品をつくってきました。当初は、母の他に別の関心もあり、二つのテーマが存在していました。最終的には母というテーマと、もう一つのテーマが収れんしていく形で完成に至りました。
そのもう一つのテーマとは「純粋に対象を見る」ということです。「冷静に見る」と言い換えられるかもしれません。社会生活において人は肩書きや経歴などの背景となる情報をもとに判断されます。それは合理的であり、うまくいっているように思えます。しかし、時にはその背景情報に欺かれたり、見ているようできちんと見ておらず、誤った判断をしてしまうこともあります。私はそんな状況に関心がありました。私たちは何をどう見ているのか、それを写真的に検証することで、より深く写真を理解することにつながるのではないかと考えました。
どのようにすれば純粋に見ることができるか。それは、優先順位や目的などによって情報を整理することです。今回の作品では背景を消すという情報整理を行いました。主たる被写体である木の背後に白いボードを置いて撮影しています。画面上の情報の一部を変更することで、画面から伝わる総合的な印象が変化します。情報整理によって、よりしっかりと対象を見つめることができるようになったのではないでしょうか。細部まで見渡すことができるようになったのではないかとも思います。
ただ、同時に違和感も感じさせるものであると思います。その違和感が制作過程で私に作用し、一つの体験を引き起こしました。それは亡くなった母のイメージを見せるというものでした。この作品よりも以前、長期にわたり母についての作品を作ることを試みていました。このことが大きく影響しているのではないかと思います。特定のイメージの体験というのは非常に個人的なものですが、とても示唆に富んでいると思っています。この写真は、私の記憶や関心によってつくられた、そんな印象でした。
作品の完成形のビジョンがここで明確になります。画面と、鑑賞者の関心や記憶の関係が作り出す体験、それを成立させるための「トリガー」が必要だと思いました。そこで私はこの作品を「亡くなった母のポートレートである」と明示し、これをトリガーとすることにしました。ご覧の通り、画面には母に関係するようなものは写っていません。その上で、あえて亡くなった母のポートレートであると告げることは、逆説的には不在の母について通知することになります。植物という被写体は、母のイメージや存在を暗喩的に立ち上がらせることに役に立つかもしれません。今ここにない存在に関する通知、それは今、目視している世界の外部を私たちに知らせるものです。鑑賞者はこの作品に対峙して自分自身の態度を体験することになります。好き、嫌い、共感、拒絶、いずれの体験も鑑賞者自身、つまり私たち自身に知らせるものです。
作品は、和紙にプリントしています。薄い和紙を用いることで画面の背景に、さらに後ろにあるものの姿が透けて見えます。偶発的に生じたものですが、鑑賞体験にプラスに働くとして好ましく感じました。見えるもの、見えないもの、あるものとないもの、さらに時間についてなど、この形態によって表象されるものは作品を通じて期待される体験を補強してくれると感じています。
見ること、そして亡き母を糸口にして何かを語ろうとすること、この二つの関心が合流して作品の完成に至りました。亡くなった母をテーマとして扱うことは自分自身の中で少し抵抗もありましたが、具体的に存在していたものや自分がよく知っているものから語るべきことを抽出して写真を用いて語ることで、より強い作品を作っていけるのではないかと考えています。
審査員コメントと質疑応答
瀧本 幹也氏(選者)
木を撮っているのですが、風景ではなく、感情、悲しみ、さみしさなどがすごく入ってきました。ブックの審査のときは薄い和紙でした。サイズのこともありますが、展示とはずいぶん印象が違って、また少し違う広がりを感じました。撮影対象の木の選定に基準はあったのですか。
(幸田 大地)物理的にボードで背景を覆えるサイズの木であることと、地面がわりとフラットであることが条件としてありました。木の大きさと、木が生えている地面の条件から被写体が規定されていったというのが実際です。
椹木 野衣氏
生前のお母様が好きだった公園とか、好きだった木といったつながりは何かあるのでしょうか?
(幸田 大地)今回の作品の前身に取り組んでいるときに、母に関する記憶の中からその被写体が自然に選択されたことからスタートしています。前の作品は未完成で、今回は「見ること」から入って二つが合流したことで今回の作品につながりました。