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2019年度(第42回公募)グランプリ選出公開審査会報告

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PRESENTATION

𠮷田 多麻希
「Sympathetic Resonance」

この作品のテーマは「世界とエネルギー」です。世界とは私たちが住む地球です。エネルギーを辞書で調べると、「力、活力。光や熱が他のものに対して仕事を行う力」とありますが、ここで私が伝えたいエネルギーとは、もっと感覚的な、何かから受け取るもの、力強さ、パワー、存在感というような、感覚的に受け取るものと捉え、そもそもそれは何なのかを含めテーマとしています。

私は、僧侶の祖父と、建築設計士の父の影響を強く受けて育ちました。祖父と父は無類の生きもの好きで、私に「見えない人には見えないけれど、見える人には見えてくる存在」を教えてくれました。それは幽霊とか妖精の類ではなく、もっと現実的な、小さな季節の変化とか、生きものの息吹、光の反射が生み出す不思議な造形など、ありふれているけれど見落としがちな、小さな存在のかけらとでもいうべきものです。

私は写真を撮り始めてからそのことを強く意識しました。日々、私の目にとまるものは、動物の動きだったり、植物が揺れたり、風が吹いて空が変わったりといった些細な現象や、光や熱が作り出す面白い形でした。それらを日々観察して写真に収めているうちに、私がずっと「なんだろう?」と思っていたエネルギーは、その被写体が持つ存在力や生命力なのではないかと考えるようになりました。

このプロジェクトでは被写体の行動や、起こった現象をそのまま写真にしています。オオカミが吠え、走り、鳥が空を飛ぶ、決してそこに私の意図は入っていません。オオカミは自らの意思で走り、雨は自然にしずくを垂れています。ただ、その現象をなるべく私なりの表現で写真に落とし込む挑戦をしました。

動物が走る写真一つをとっても世の中にあふれている今、私なりの動物の生命力を、なるべく見たことのないような姿、新しい形で発信することが重要だと思いました。そこで今回は、熱を感知して像を結ぶサーモグラフィーカメラを使いました。熱は、そのときの行動や感情によって変化します。熱の画像は私たちが普段見ている生きものの姿ではなく、もっと純粋な生命の姿を見せられるのではないかと考えたからです。また、サーモグラフィーの画像はどこか記号的で奇妙です。それに合わせて、生命ではない物質も記号的に見えるように撮影しました。長時間露光やストロボを使い、フォトグラムのような表現を採用しています。なぜなら、動物のサーモグラフィーと同じように、そのものの状態や姿に惑わされることなくそこに純粋なエネルギーを感じられると思ったからです。

二次元に落とし込まれた光と影の効果から、普段私たちが見えていないけれど存在する空間、物質同士の関係性などが見えてくるのではないかと思っています。例えば宇宙のように見える物質や、ガラスと空気が細胞のように見える、などです。

この世界はインタレスティングでワンダーな素晴らしい場所だと思っています。この素晴らしい世界は、私自身が存在しないとこの世に存在しません。自分自身がいてこそ世界を認識できます。それゆえ私は自分の手を作品の中に写しました。手というのは文化・文明のスタート地点だと思っています。
動物が見せてくれる「動のなかの動」と、物質が見せてくれる「静のなかの動」、まったく違う被写体たちが響き合いながらこの世界を構築しています。その面白さ、ものの見え方もこの作品を通じて伝えられたらと思っています。

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審査員コメントと質疑応答

椹木 野衣氏(選者)

動物を単に被写体としてではなく、地球という天体との関係でダイナミックに捉えているところに関心を持ちました。
「見える人には見えるけれど、見えない人には見えない」というおじいさんとお父さんのお話がありました。その世界は微妙なもので、本当に「見える人には見える、見えない人には見えない」としか言いようのないものなのでしょうが、そうした感覚をサーモグラフィーという科学の産物、誰が見ても熱の在処がわかる客観的な記録方法によって伝達可能なものに置き換えていますね。「見える人には見える、見えない人には見えない」という独自の存在感と、誰が見ても明白に共有できる熱量という客観的な記号性の間に矛盾はないのでしょうか。

(𠮷田 多麻希)「見える人には見えるけれども見えない人には見えない」、その存在を私は伝えたかったので、まずはすべて可視化することを試みました。みんなにわかりやすく伝える方法として、サーモグラフィーや記号的な表現を選びました。実験的でもありますが、可視化することにトライしてみたということです。

(椹木 野衣)地球にエネルギーを与えている源泉は太陽ですが、実際に太陽の熱で紙に穴を空けてみたり、天体的な球形などが随所に出てきます。天体的なものと私たちがいる地球、かけ離れた世界と地面的なものは、どのように動物の中で交錯していると思いますか。今回のインスタレーションでは円や球といった幾何学的・抽象的なものと、熱量を持って行動する動物という極めて具体的なものが共存していますが、両者の関係はどうなっているのでしょうか。

(𠮷田 多麻希)この作品で球体は天体を表すものではありません。たとえば時計皿を流し台に置いていたら空気を含んで細胞のように見えたので、その空気を撮影したいと思ってガラスを用いた、そのことで偶然そのような画像が生まれました。また、金属のプレート上で重力によって転がったビー玉は、プレートがたまたま円だったのでそのような形になったということです。作品上に球体と動物が存在するということについては、私の中では天体と生きものという認識ではなく、この世界を構築するもののパーツがここにあると思っています。

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ユーリン・リー氏

あなたの作品には詩的なものを感じてとても惹かれました。椹木先生から論理的な“関係性”についての質問がありましたが、私はあなたの作品にロジックのつながりがあるとは思っていません。自然と超自然の間というのは魅力的なテーマで、それを効果的に表現できているのではないかと思います。特に𠮷田さんの言う「感覚的にエネルギーを表現したい」というのがよく伝わってきたと思います。写真はそもそも世界を記録するために発明されましたが、芸術家には見ている世界の記録だけでなく、見方を変えたいという目的もあると思います。それを今回のあなたの作品から強く感じます。

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PRESENTATION

  • 田島 顯

    「空を見ているものたち」

  • 中村 智道

    「蟻のような」

  • 幸田 大地

    background」

  • 江口 那津子

    「Dialogue」

  • 𠮷田 多麻希

    「Sympathetic Resonance」

  • 遠藤 祐輔

    「Formerly Known As Photography」

  • 小林 寿

    「エリートなゴミ達へ」

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