PRESENTATION
江口 那津子
「Dialogue」
私の母はアルツハイマー型認知症と診断され8年が経過した頃から、家族のことも認識できなくなりました。母を見ていると、自分もいつか記憶をなくしてしまうのかもしれないと思いました。そして忘れないために大切な記憶を残したいと考えるようになりました。その一つに、幼少期、母と祖父母の家に行った記憶があります。祖父母の家までの道を母と歩いた、ただそれだけなのに、祖父母に会えるワクワクした気持ち、母との会話や寄り道したことなどが私の中に大切な記憶として残っています。
現在、祖父母の家はありません。その場所に40年ぶりに行ってみようと思いました。何度か通り過ぎてしまったその道を撮影していきました。モノクロームで撮影した写真は、現在撮ったものなのに、過去に撮ったもののようで、何かを語りかけてくるようでした。おぼろげに幼少期の記憶が蘇ってきました。毎年、家族で行った海。一人でよく遊びに行った公園。当時住んでいた古い家。海や公園は、実際に現在の家族と行き、娘を当時の自分と重ねて撮影しました。
写真集では、古いアルバムの自分の写真を一緒に載せています。当初、この町と道、幼少期の記憶とで、タイトルを「記憶の地図」としてまとめました。その後も作業を継続して行っていると、ふとあることに気がつきました。「ここに住んでいた人、今はどうしてるんかな?」「商店街はずいぶんとお店が少なくなったね」「あそこにお母さんの好きなアジサイが咲いているね」など、現在は言葉を理解できず話すことができない母と対話していることに気がつきました。
実家にあった母の持ち物を整理しながら撮影していると、認知症と診断される以前から習っていた母のパステル画を見つけました。スケッチブックの後ろに日付が記されていました。認知症の障がいには逆行性の喪失という法則があります。母の描いた絵を見ていると、病気が進行するにつれ子供が描いたような絵となり、現在からどんどん過去へ、幼少期へと戻ったかのようです。母は、私とは時間軸の違う世界で楽しく暮らしているのかもしれないと思いました。しかし、本当の母の頭の中の様子は判りません。もしかすると色のない暗闇の世界にいるのかもしれないと考えて、このように表現しました。
写真集では道の写真を半透明にして、歩きながら寄り道した場所や幼少期の記憶の写真がうっすらと透けて見えるようにしました。道が柱となってさまざまな意味を持つようになりました。これまでの足跡のようでもあり、母と私をつなぐ道のようでもあり、これから先の道しるべのようでもあると思っています。道の写真を半透明にすることで、ページをめくったときに道がうっすら透けて見えます。左側がこれまで歩いてきた道、右側はこれから進む道というふうに表現しました。この作業を通して、私は静かに老いていく準備をしているのかもしれないと思うようになりました。
展示について説明します。右側の2m四方の木製パネルは、かすかな記憶、あいまいな記憶、はっきりした記憶、というように、記憶がどんどん上書きされている様子を表現しました。記憶が蘇るときは、目の前のすべての光景から蘇ってくるときと、ある一部分の建物の影や柱などから蘇ってくるときがあり、そういったことも展示で表現したいと思いました。
左側のパネルは、その光景を見たときの心の変化を表現しています。記憶が蘇ってきてはっきり思い出すときもありますが、再び遠のいて捕まえられない、そういった記憶をパネルの厚さと写真の濃度で表現しました。
審査員コメントと質疑応答
ポール・グラハム氏(選者)
とても美しい、繊細な作品だと思います。特にブックの形で見たときにページをめくりながら素晴らしいと思いました。記憶が薄れたり、重なったり、残るものがあったり。お母様の絵も作品に取り入れ、実際に撮影された写真と過去のスナップショットも組み合わせた、個人の歴史を紡いだ作品ですね。とても賢い手法で、玉ねぎの皮を何層も剥いて核心に迫るような作品だと思いました。それぞれの皮は中心にたどり着く前に全部剥いてしまうのですが、その1枚1枚が無くしてはならない大切な記憶ということ、たとえばお母様との関係や、子供の頃の記憶、これが大切なのだということを強く感じました。
安村 崇氏
丁寧に作り込まれていて完成度の高い作品だと思いました。自分の母親という身近な人の記憶が無くなっていく、これは自分が無くなっていくのと同じような切実さをこの作品から感じます。江口さんは記憶のために写真を撮ると仰っていますが、写真は夾雑物(きょうざつぶつ)が写り込んでしまう、記憶が強ければ強いほど邪魔なものが写り込んでしまうと感じられるのですが、それに対してはどう思われますか。また今後はどんなことを計画されていますか。
(江口 那津子)まだそこまで深く理解できていないと思います。現在は母の持ち物を撮っていて、それと自分のものとで何か組み合わせることができればと考えています。