PRESENTATION
宮本 博史
「にちじょうとひょうげん—A2サイズで撮り溜めた、大阪府高槻市・寺田家の品々—」
私は様々な人たちが今ここに存立しているということに関心があります。存立とは、存在し成り立っているという意味です。これまで身近な事柄や、誰もが生まれながらに所属するコミュニティである家族などを通して、存立に関する様々な作品を制作してきました。
今回の作品の寺田家の方々は、日常生活で生まれたものを捨てずに保管してきました。なかでも、ご家族の皆さんが作られた様々な作品がたくさんありました。また日記や手紙など暮らしの記録となるものもあり、それらを一時的にお借りして撮影しました。
父・ノリオさんは夏になると玄関先で蚊を退治するのですが、その数を日々カウントし、折れ線グラフにまとめています。メモ用紙には「正」の字がいくつも書かれ、蚊の数が正確にカウントされています。3年間で4,033匹を退治したそうです。
祖父・シンイチさんは何とも形容しがたい置物を作られています。いくつか完成するとご家族に配られるのですが、次女のシュウコさん以外はあまり受け取らなかったそうです。
シンイチさんは、日記に日々の買い物や掃除、趣味の庭いじりやゲートボールなど、具体的なことを細かく書き、心情的なことはあまり書きませんでした。晩年になると文字数は減り、筆圧が弱まっていきました。「1日中テレビを見ていた」と書く日が増えていき、日記は2006年12月14日(木)で止まっています。
このような品々を撮影し、アーカイブ化することを試みました。そのためにまずフォーマット、写真のサイズを統一しました。写真の短編である「高さ」をA2サイズの短編である420mmにすることで、大きいものは大きく、小さいものは小さく写ります。撮影する写真の数はできるだけ増やしました。被写体となる物品を中央に置き、ブロワーでホコリを飛ばして三段階露光で撮影。これを繰り返し、10,518枚の写真を撮りました。それから、1秒間に30フレームの動画の1フレームに対して写真を1枚ずつ割り当てました。
このアーカイブには、ある家族—大阪府高槻市・寺田家—の記憶のようなものが保管されています。それらは鑑賞者自身の経験や記憶へと通じるトリガーとなり、鑑賞者それぞれの追憶が始まります。追憶とはそれぞれの自由な解釈から生まれるもので、個人差があります。私は多様な解釈を鑑賞者に求めました。様々な存立について考えるには、その方法が適していると思ったからです。
審査員コメントと質疑応答
椹木 野衣氏(選者)
家族というのは不思議な集団です。寺田家は細かな記録などを付けていて面白いと感じますが、実際は、どの家族にも多かれ少なかれそういうものが眠っているのだろうと思います。それらはあまりにも私(わたくし)的な、ほとんど意味を成さないようなものなので、表に出てくることはないし、むしろ出ることを厭う性質のものだと思います。個人情報よりもっと私的なものだから。宮本さんは、それらを作品にしてもいいという寺田家との関係をどのように築いたのですか?
(宮本 博史)次女のシュウコさんは美術作家をされていて、ギャラリーで知り合いました。その打ち上げの際にシュウコさんの話から「寺田家は面白い」となり、寺田家の展覧会をやってみたらどうかという話になりました。2015年に寺田家の作品を並べた展覧会をやって、お客さんだけでなく寺田家の方々にも喜んでいただけた、その経験があったからここまでご協力いただけたのかもしれません。ご家族の皆さんが美術やアートが好きという下地があったことも関係していると思います。
(椹木 野衣)美術に関心のある娘さんが入口になったということですが、家族の出来事を作品にするとき、「やっぱりあれは出さないでおこう」、「ここまでにしてほしい」などということはあったのですか。
(宮本 博史)公開の可否の境界線はご家族内でバラバラでした。1か月に1度、物品を借りに行って撮ったものを返すという行き来をしていたのですが、次はこういうものを貸してほしいとお願いをしたときに、すぐに出してくれる方もいれば、話をそらしてしまう方もいました。撮ったものはすべてお見せするという約束をしていたので、写真を見たときに「これはだめ」と言われることもありました。私の方から「これはどうかな」と思うものはお伺いを立てて相談することも。画面の一部を消せばOKというものもあり、いろいろなパターンがありました。
安村 崇氏
1秒間に30フレームというのは速いなと感じます。もう少し「もの」を見たいと思ってしまいました。スピードについてはどのように考えて設定されたのですか?
(宮本 博史)一般的なアーカイブのように、鑑賞者が意図的にタグから該当するものを見るのとは違い、一定の時間、今回の作品では6分間を強制的に見せることによって、アーカイブでありながらもアーカイブでないような鑑賞方法ができるのではないかと考えました。映像と共有させられる時間の中で鑑賞者が自分のことを思い出す、それも狙ってのことでした。