PRESENTATION
吉村 泰英
「馬の蹄」
僕は、自分と自分の周囲にいる人たちを撮っています。後は時々身のまわりのものを撮ります。知らない人は撮りません。飛躍するほど関係のないものも撮りません。
僕は、自分がどうあるべきか、自分の周りにいる人がどんな人で、自分が見ているものは皆が見ているとおりに写っているのか気になるから写真を撮ります。
セルフポートレートを撮るとき服を脱ぐ必要があるのは、男性性を写真にちゃんと写すためであり、真正面を向いた写真を撮るのは、自分は真正面にこそアイデンティティがあると考えるからです。カメラというのはシャッターボタンを押すことでレンズの先にあるものが写ります。写すのではなく向こうからやって来るものなので、僕もカメラをセットしたらレンズの中に飛び込みます。カメラを三脚に据えて構図を作り、自動でシャッターが切れるよう設定して画面の中に飛び込むのです。
デジタルカメラは何もかも自分のイメージの通りに写せる便利な道具です。撮り終わると、すぐモニターに表示もされます。たとえば、笑顔で映るだけでこの僕が朗らかな人になれる。いろいろな笑顔を試しているうちに、だんだんと、自分ではない、ただの朗らかな人がそこに映るようになります。軽く微笑んだり、笑ったりして、設定した数のシャッターが切り終わるのを待ち、どう映っているのかモニターを確認します。それを続けるうちに「朗らかなる人間」がだんだんと輪郭を帯びてくるのです。そこに至るまではウソ笑いや硬い表情もあるのですが、そうしたぎこちなさを生む自意識は、やがて希薄になっていきます。
シャッターが切られるたび、だんだんと僕は「カメラの中の人」になります。そして、僕の理想とする完璧な人がモニターに映し出されていきます。同じように、深刻な顔を装うだけでシリアスな雰囲気を醸し出すことができるし、寂しそうな顔をすれば寂しそうな自分が映ってくる。僕が僕を撮るにあたって、自分がイメージする写真がちゃんと写ることで納得できるのです。これは演じているようで、そうではありません。写真を撮っているのです。
僕は、写真を通じて自分がどう実在しているか、そんなことは求めていないのです。僕が誰であるか、そういうことはどうでもいい。僕には、僕の彼女と呼ばれている人がいて、それを写すことで僕には彼女がいることがはっきりとするのです。この明示性こそ僕が最も大切にしていることです。
審査員コメントと質疑応答
清水 穣氏(選者)
(ビデオメッセージ)「馬の蹄」というタイトルのブックで吉村さんを優秀賞に選びました。「対」とか「ペア」は今回の応募作品に顕著な傾向でしたが、「対」「分身」「ダブル」という概念は写真の本質にあるわけです。だから、どこかそういうものを考慮した、写真というものを見るときの見方そのものがテーマになっている作品が今回は多く見られました。吉村さんの作品もその1つとすることができると思います。
主人公が2人というのは面白いですね。家族ゲーム、夫婦ゲーム、あるいはドラマゲームのようなものを演じていて、人が写真を見るときの「引力」をうまく操作して、ブックを最初から最後まで引っ張っていく力を感じました。これには形式だけでなく、被写体や全体のスタイルの作り方が求められるところで、写真を見ることについて自覚的な人でないとできないと思います。
そのような洗練はタイトルにもうかがえます。タイトルと写真との関わりはよくわかりませんが、蹄というのはアクセサリーにも使われる魔除けや幸運のシンボルですね。なぜ馬の蹄がそうなのかについては諸説ありますが、もしかしたらこのブックは幸運を探す「青い鳥」的なストーリーになっているのか、あるいは魔除けで解釈すると、写真の「魔」というものをめぐる放浪譚になっているのか。確定はできませんが、なんとなくヒントを与えて人を動かしていく、写真との間に知的な距離があるところに、この先の展開が楽しみだと感じました。
どのようなプレゼンテーションをされるのか、また作品の実物をぜひ見たかったのですが、ブックを見た限りの感想を申し上げました。
椹木 野衣氏
タイトルの意図を聞くというのは少し無粋ではありますが、あえてお聞きしたいと思います。
(吉村 泰英)蹄鉄は、社会では何かのテンプレートだったり形式的なものであると思います。僕は今、福祉の仕事をしており、福祉の分野ではあまり人をカテゴリーなどによって分けることをしませんが、社会に出るためには蹄に蹄鉄をはめなければいけない。世の中から見れば僕と彼女にも彼氏・彼女というレッテルを貼ってくれていますが、今回はこのカップルという「型」にあえて自分からはめ込んでみて、セルフポートレートを撮ることにしました。
(椹木 野衣)本来は自然に属している馬が、人との関係を結ぶために蹄鉄を付けられる。そういう「型」に、自分と他者との関係を作るための形式的な意味を付けたということでしょうか。
もう1つ、2人で写るときには2人を写すカメラという存在をどのように考えていましたか。
(吉村 泰英)彼女は実は写真が苦手で、僕は一緒に撮りたいから一緒に写るんですけれど、何か別の眼差しで自分たちの関係を見つめたかったという思いがありました。