PRESENTATION
賀来 庭辰
「THE LAKE」
僕にとって作品を創ることは自分の居場所を確認することです。なぜ自分の居場所を確認するのか。僕は台湾人の両親のもと日本で生まれ育ちました。日本語だけを覚えたため父と母の会話や、台湾にいる親戚の話す言葉がわかりません。日本語をほとんど話さない父と、ちゃんと会話をした記憶がありません。常に自分が何者なのか、どこに居場所があるのか、そんな気持ちで生きてきました。
自分が抱える思いや家族と向き合うため、カメラを手に取りました。写真と映像を使って、自分と家族の歴史を遡る作品を初めて創りました。その作品は泣きながら創っていました。そのときの感情は今でもうまく言葉にできませんが、父と母にカメラを向けたとき、撮ることが僕にとっての言語となることを実感しました。
作品を展示したとき、たまたま来てくれた人が、作品を見て泣いていました。僕とその人を作品が結びつけて、それが何か居場所を与えられたような感覚でした。写真や映像にはこのような力があるんだ、と思ったことを強く覚えています。
本作「THE LAKE」も同じ意味を持っています。コロナ禍により多くの分断が生まれ、さまざまな関係性が断ち切られてしまいました。僕自身も人との交流が絶たれたことや制作の不自由さから、居場所を見失っていたように思います。コロナによって失われてしまったものを取り戻すような思いで、未だ見ぬ土地へ他者として入っていきました。
本作のファーストショットは僕がバスに乗って湖と対面するまでの道程を写しています。それから冬の3ヵ月間、湖を眺める部屋に滞在し、湖が凍ってから解けるまでを記録しました。今年1月から3月、緊急事態宣言中の滞在です。ただその場所は、コロナで区切られた時間ではなく、自然の移ろいを中心に生活が回っています。湖が凍ると船をしまい、解けると船を出す。雨が降ると霧が舞い、雪が降ると除雪をする。春が来ると売店や食堂が開店していきます。そんな独自の時間が流れる場所に身を委ねながら、自然の変化を見続けました。
写真を1枚1枚つなげて意味を付けるように、僕は撮影することで他者である自分とその場所の関係性を強めていきます。作品の冒頭に霧に包まれる湖を眺めるショットがありますが、終盤では船でその霧の中に入っていきます。父母にカメラを向けたときのようにカメラを通してその場所へ触れていきました。たった3ヵ月の滞在でしたが、確かにこの場所は僕にとって帰ることのできる場所になったように思います。僕が他者であることは変わりませんが、それでも、旅立ちのとき手を振ってくれる人、「おかえり」と言ってくれる人ができて、今日も写真と映像を通して出会った友人が見守ってくれています。そんな関係性を築くこと、それが僕にとっての写真や映像でできることです。僕が撮ったものが、その人たちや誰かにとっての拠り所になるようにこれからも撮り続けたいと思います。
審査員コメントと質疑応答
椹木 野衣氏(選者)
コロナによって季節感が後退し、四季の感覚に置き換わって感染者数の増減の推移によって人の行動が変わるなど、独特の時間感覚が生まれるようになりました。賀来さんの作品は、湖の氷が張って解けるまでといった人間が介入できない時の動き、通常の時間の流れとは異なる時間が映像に表れていて共感できました。今はこうした時の流れをしているのかもしれないと思わせるところがありました。
いくつかお伺いします。まず榛名湖という他のどこでもない場所で、そこにしかない景色を撮った作品に、「THE LAKE」というタイトルを付けて湖一般で象徴的に括った理由は何ですか。湖一般でこのような動きがあるようにもとれるので、僕は括りが大きすぎると感じました。
次に、人間が介入できない時の推移を淡々と撮り続けたということなのでしょうが、場面によっては早送りされて時間が操作されています。そこは実時間と同じ流れで編集したほうがよかったのではないかと思います。人の手が入った自然というふうに見えてしまった。退屈でも手を入れずに、淡々と物理的に流したほうがよかったと思いました。
最後に、全体として人影のない景色のなか、一度だけおばあさんが写ってフレームアウトしていくのですが、どうしてそこだけ人をはっきり写したのですか。
(賀来 庭辰)タイトルを「THE LAKE」としたのは、榛名湖の紹介をしたかったわけではなく、こういった変化がある場所を見せたかったからです。榛名湖であると見られることより、どこかにある場所として想像してもらいたかったということです。
早送りなどの編集については、自分でも気になっていたところでした。編集時に前後の流れに注意し、リズムを作っていく上で時間を流すということをしたところはあります。
人が写っている場面については、「人を写した」という感覚ではなく、カメラを置いたときにおばあさんが歩いてきて通り過ぎていった。榛名湖の風景の中におばあさんが写ったので、そのまま作品の中に組み込みました。
安村 崇氏
自然の中に入っていき、自然との心の交換を丁寧に撮られていると思いました。気になるのは25分という作品の時間です。僕は3時間あってもいいと思うんです。見る人が退屈になって、風が吹いただけで「おっ」となるくらい長くてもいいと思っているくらいです。
(賀来 庭辰)湖が凍ってから解けるまでを通して見てもらいたいという思いが強く、25分という長さはそのために適切であると思いました。ショットの一つずつの力強さを見せていくためにもこの長さである必要がありました。