PRESENTATION
岡田 将
「無価値の価値」
みなさまにとって価値のあるものとは何でしょうか。僕にとってこの世に存在するものは等しく無価値だと考えています。それが今回の作品のメインテーマの1つです。
なぜ無価値だと考えるのか。10年ほど前、アメリカに行きました。西部コロラド川周辺で見た大峡谷、あまりにも大きいあの景色を見たとき、対岸まで実際には何百メートル、何キロも離れているのに、何十メートル、何メートルしか離れていないような感覚に陥りました。当時の僕は引きこもりがちだったので、あまりにも大きいものを見た衝撃でそのように錯覚してしまったのだと思います。対岸までを近く感じた感覚、ミニチュアの風景に見えた感覚はとても不思議で、いつか作品にできないかと思いながら帰国しました。
数年後、母が他界し、落ち込んでいた僕を親友が旅行に誘ってくれました。僕の行きたいところに行ってくれるというので、石の好きな僕は東北に石拾いに行くことにしました。海岸線で石を拾っていたところ、足元がキラキラしていると感じて、よく見ると砂が光っていました。砂をすくって見ると、1ミリ以下の小さい水晶のかけらでした。さらによく見ると、造形がきちんとしている。小さいのに、こんなにはっきりとしているんだ。そのときアメリカでの体験が蘇ってきました。あのときは大きすぎるものが小さく見えましたが、小さいものを高精細・高解像に大きく見せることができれば、「大きさ」という境界線は失われるのではないかと考えました。
私の作品は顕微鏡にカメラを取り付けて撮影しています。僕は知らなかったのですが、顕微鏡の世界では1ミリの砂粒は大きすぎて、手前にピントを合わせると後ろはすべてぼやけてしまいます。そのため手前から奥まで、ピントを少しずつ切り刻みながら、都度シャッターを切り、ピントが合っている部分をパソコン上で合成しています。
この撮影を続ける間に、大きさについての考えから価値についての考えにシフトしていきました。なぜなら、大きさというのは人間社会では価値に直結していると考えたからです。大きい金のほうが小さい金より価値がある。でもどちらも金であることには変わらない。そんなことを考えていると、この世のものに価値を付けているのはあくまで人間であって、本質的にはすべてゼロの状態なのではないかと思うようになりました。人間は人生や文化、歴史、いろいろな価値観をレイヤーのように何層にも積み重ねていると考えました。
「無価値」とは少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、僕にとってその考え方は人生を前向きに捉えるものでした。すべてのものが無価値だから平等である、そういう考え方だと自分では思っています。無価値、そこに価値を付けていく、それが人生なのではないでしょうか。
僕の作品を見て「この砂粒に価値があると考えているんだな」と考える人もいるでしょうが、僕は、無価値なものにみんなで価値を付けていく、それが人生の面白さであって、人間の自由なのではないかと考えています。
審査員コメントと質疑応答
サンドラ・フィリップス氏(選者)
プレゼンテーションを大変興味深く聞きました。この作品には本当に感動しました。ほとんど見えないような小さなものを非常に大きく拡大していますが、初めてブックで見たとき、ブックには砂粒そのものも入っていて、被写体の小さな砂粒を実感することができました。この「美しくすばらしい感覚」を作品に組み込んでいくことは、今後も行われていくのでしょうか。
(岡田)その感覚はこれからも組み込んでいきます。撮影する砂を選別しているときの感覚は作品にも直結していると思います。それを、ただひたすら記録するという行為を続けるという形で組み込んでいくと思います。
澤田 知子氏
どのように付加価値を付けるかが、自分の人生に影響していく、というお話かなと思いましたが、「無価値の価値」というタイトルは、もう少し他になかったのかなと思っています。写真を使ってもののサイズ感を変えていくことは面白いなと思いました。
杉浦 邦恵氏
単純にすごく美しいと思いました。すべてが無価値とおっしゃいましたが、逆に、すべてのものに価値があると言うこともできますね。すごく美しいのですが、私としては人間の小ささや、私たちの生きている世界のぐちゃぐちゃしたものがもう少し入っていたら感情的にも入り込めた気がします。