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2020年度[第43回公募]グランプリ選出公開審査会報告

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PRESENTATION

立川 清志楼
「写真が写真に近づくとき」

「写真が写真に近づくとき」とは、写真と動画の違い、境界について、写真を動画にしたり、動画を写真にしながら考える作品です。4本の映像作品と、ブックを作成しました。

映像作品の1つ目は「写真の動画化」(9分)です。キューバの映像作家の「写真が2枚あれば映像ができる」という発言を聞いて、私は「写真が1枚でもできるのではないか」と考えました。この作品は縦型の写真の下3分の1をトリミングし、それをゆっくりと3分間かけて上に移動させていくというもので、この場で録った音声も加えています。これを3パターン作り、9分間の映像となっています。

2つ目も「写真の動画化」(4分)です。フレームを固定し、ピント位置を移動して4コマ連続撮影した画像に、音響を1コマごとに追加し、1コマ1/10秒、4コマを1セットとして1分間ループ再生しています。写真を2枚使ったもの、4枚使ったもの×2パターン、5枚使ったもの、合計4パターンを作成し、4分間の作品となっています。

3つ目は「動画の写真化」(10分)です。これは動画から写真を抽出して再構成し再び動画にしたという作品です。1秒間に30フレームある動画からコマ写真を抽出し並べています。その再生方法は、まず静止画を5秒間、次に1コマ2/3秒で切り出した静止画を5コマ、再び5秒間の静止画、次に5コマというように組み合わせて再生しています。これを3パターン作成しました。1パターンあたり写真を226枚使用しています。動画と写真の繰り返しという作品になっています。

4つ目は「写真の動画化」(6分)です。3Dレンズをデジタルカメラに付けて視差のある写真を連続撮影しました。最初は縦に撮ってみたのですが、どうにも面白くないので、上下に分割して抽出し交互に再生してみたらどうかと思いました。上下それぞれ1/10秒ずつに切って交互に再生しています。またそれぞれのコマに音を付けてみました。再生してみると何か不思議な動きになり、これは被写体が静止しているものではなく、動いているが故にこのような動きになることがわかりました。

最後に、ブック(A4縦/38ページ)は、今回使った写真をまとめたものです。

日常というのは、当たり前ですが動いている、ということです。すると動画とは日常的なもので、それに比べて写真はすごく非日常であるといえます。止まっている世界がとても新鮮に感じました。肉眼では決して見ることのできない世界を写真は表現している、そのことに今回の作品を通じて気づきました。初めて写真を目にした人はその驚きを体感したのだろうと思いました。

「写真が写真に近づくとき」というタイトルは、そのときの驚きをもって常に作品に接しなければいけないと思った気持ちを表しました。このことをもっと意識的に考えて作品を作っていこうと思います。私の考えとは別に、見た方がいろいろな考えを持っていただければ光栄です。

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審査員コメントと質疑応答

オノデラユキ氏(選者)

プレゼンテーションでは細かい「作り方」の説明はなくてもよかったように思いました。写真作品としての強さが十分にあり、感性が優れていて、作品に深さもあります。だからこそ、プレゼンテーションではもっと作品を見られたら、という気がしました。
本来はコマでつながっている静止画像をグラデーションでつなげたのは見事だと思いました。動画や写真に対する裏切り行為というか、実際はそのようになっていない、そこをわざわざグラデーションにするところが、そのへんを見据えてコンセプチュアルに作っていると感じられるし、視覚的にも成功していると思いました。
動画と写真の関係で面白いと思ったのは、写真が発明されたとき、絵画が写真の影響を受けて変わっていったのですが、同じように動画が主流になってくると今度は写真が動画の影響を受けていく、そういうところに視点が向けられたことです。でも、そこだけに焦点をあてながら作り続けていくと、うまくなりすぎてワンパターンに陥ることもあるかもしれない。今後はどのような作品を考えているのかをお聞きしたいと思います。

(立川 清志楼)現在は毎月5本の映像作品を作り、上映会を行っていますが、今後は写真との関係を考えたものも作っていきたいと思います。すべてつながりのあるものにして展示することも考えています。

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安村 崇氏

手法は変化するのに、ずっと動物園にこだわられているのはなぜですか。また、今までの作品は映像のほうからやってくるものを待つ、というようなスタイルだったのに対し、今回は自分の手をがっつり映像の中に入れてきた感があります。この変化は作家にとって大きいと思うのですが、どのようにお考えですか。

(立川 清志楼)いろいろなものを撮って今は動物園に落ち着いているのですが、動物園は日常的でありながら非日常の空間であるところが興味深いのと、いつも何かしらのハプニングが起こるので、動画を撮る面白さがあります。動画撮影というのは釣りのような感じで、撮影機材を準備し何かが起きるのを待って時間が過ぎていき、その後、料理ではないですが作品化するという、それに動物園がとても合っているのだと思います。また、作品としてまとめたときにいろいろな場所で撮るとバラバラになるのかなとも思いました。うまく言えませんが、動物園という場所で撮ると作品に一貫性が出るというか、そういうこともあり動物園に対する興味がずっと続いています。
もう1点に関してですが、確かに今までは撮ったものに対する興味で作品にすることが多かったのですが、今回は写真新世紀を意識して、写真と動画の関係を今一度考えたとき、写真が動くから動画なのか、動画を切り出せば写真になるのかというシンプルな疑問が生まれ、身体で覚えたいという欲求もあったので、その気持ちが今までと違う形として表れているのかなと思います。

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PRESENTATION

  • 金田 剛

    「M」

  • 後藤 理一郎

    「普遍的世界感」

  • セルゲイ・バカノフ

    「The Summer Grass, or My mother's eyes through her last 15 years」

  • 立川 清志楼

    「写真が写真に近づくとき」

  • 樋口 誠也

    「some things do not flow in the water」

  • 宮本 博史

    「にちじょうとひょうげん—A2サイズで撮り溜めた、大阪府高槻市・寺田家の品々—」

  • 吉村 泰英

    「馬の蹄」

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