PRESENTATION
セルゲイ・バカノフ
「The Summer Grass, or My mother's eyes through her last 15 years.」
このプロジェクトは、その名前が示すとおり、私の母の思い出を題材に取り上げたものです。
2018年、その数年前からアルツハイマー病に冒されていた母は、突然、この世を去りました。私が撮影してきた写真の中には、かつていろんな場所で両親を撮影した写真もあります。膨大な数の写真の中に、両親の写真も数多く混じっていたのです。
では、どのように写真を選んでいったのかをご説明しましょう。
たとえば、これらは2008年の夏に、ある村で撮影した写真です。この中から1枚を選びました。なぜこの1枚なのか。特に理由はありません。直感ですね。このように1枚1枚チェックして選ぶ作業を、撮影年ごとにすべての写真で行いました。
写真を選んでいくうちに、自分がデッドスペース(心理学でいうバイアスの盲点)にはまってしまっていることに、ふと気づきました。
プロジェクトに使える写真は確かに見つかったのですが、全部が全部、思い描いていたような写真だったわけではありません。見つかってよかったと思う反面、その出来にはがっかりしました。出来が良くなっていったのは、両親がどんどん老いていってからのことでした。時を遡ることはできません。もっと違う感じで撮ればよかったと後悔しましたが、今となっては、それはもう不可能です。そこで、母の顔だけを撮影年別に集めてみようと思い立ちました。古い写真から母の顔だけを切り取るのです。
約20年間で撮影した母の写真から、各年で2〜3枚を選びました。撮影日もほぼ一定の間隔となるように注意しました。元の写真は、どれもまったく異なるものばかりです。基本的には、カメラを見ている母の写真を選びました。作業中は撮影したときのことや、そのときの私と母の関係が思い起こされました。2人の仲はいつも良好だったわけではなく、心情的には複雑な思いでした。
次に、顔だけが残るように、周りの部分をトリミングしました。そして、どの写真も同じ感じに見えるように調整しました。モノクロにして、明るさやコントラストや明瞭度などをそろえたのです。
なぜこのプロジェクトを制作しようとしたのか。そしてなぜ、このような形に仕上がったのか。そう考えたとき、4つの理由に思い当たりました。どれが一番大きな要因だったのかは分かりません。おそらく、自分のデッドスペースと付き合いながら生きていくことが重要だと感じたのかもしれません。
審査員コメントと質疑応答
ポール・グラハム氏(選者)
(メッセージ)セルゲイさんと私には共通点があります。私たちは、母親の写真を撮影した写真家で、2人とも母親を亡くしています。私たちには写真しか残っていません。私はこの作品を見た瞬間から、もう一度母に会いたい、そばにいたい、もう一度アイコンタクトを取りたいという彼の繊細さや願いが感じられ、気に入りました。この作品を見た人は、誰でも彼の思いを感じることができ、感動します。そしてまた、ここに別の魔法があることも感じ取ってください。セルゲイさんの母親が愛情深く優しい目で彼を見つめています。この写真から、母親の愛が伝わってきます。これは信じられないことではないでしょうか。時が経ち、一緒にいない人からの愛、献身、信頼を、写真は表現してくれているのです。
素晴らしいポートレートは単に写真家が撮るだけではなく、相手が与えてくれるものです。母親は、セルゲイさんに、見る人たちに、心を開き信頼しています。セルゲイさんの写真を通して私たちはそれをはっきり見ることができます。これは、私たちへの素晴らしいレッスンです。写真の中で愛が時間を行ったり来たりしているのです。
安村 崇氏
昨年もグラハムさんはアルツハイマーと母親に関係のある作品を選ばれていましたが、同じような境遇にいる人が、これほどに違う作品を作るのかというのが僕には面白く感じました。昨年の作品は母との思い出をすごく細かなレイヤーで重ねるという表現をされていましたが、セルゲイさんの場合は、母の顔しか見ない、という表現です。トリミングとは時を超えて望遠レンズで際撮影するようなことだと思いますが、顔しか見ないというところに、すごく切実なものを感じました。
オノデラユキ氏
彼の視点は我々日本人とは違っていて、このプレゼンテーションは展示作品よりうまくいっていると思いました。
瀧本 幹也氏
最初に作品を見たときは、このアングルで定点のように撮影したのかと思っていたので、制作過程を見て意外な作り方だったと感じました。実際に撮っているときは最終的にまとめようとは思っていないわけで、「思い起こしている」作品なのだと思えて興味深かったです。