PRESENTATION
後藤 理一郎
「普遍的世界感」
私は、街中で誰もが目にする普遍的な景色を撮影の対象としてきました。つまらなさと面白みの間にあるような、なぜか二度見してしまうけれど、誰かと共有してこなかった、あるいは誰とも共有できないイメージとは何なのかを自分に問い続けながら、気づけば5年間、毎日撮影を続けてきました。
私たちの心の中には、何か「面白疲れ」があるのではないかと思っています。スマホを開けば人や風景が洪水のように目に飛び込んできて、どんなに面白い何かを提供されても、もはや何が起こっても感動しなくなっているような時代の気分を感じています。たとえ海外の壮大な光景を目で見ても、画像のほうが綺麗なのではないかと思ったり、SNSで面白いといわれている人が尖った発言をしても、1時間後にはすっかり忘れていたり、決定的瞬間といわれるものを見ても、「ああ、“そういうやつ”だよね」と思ってしまったり。
私はディレクターとしてテレビ番組の制作に携わっています。面白い人やニュース、商品などを年中探したり見たりしていると、ある時そのすべてがつまらなく思えて、面白がり方もありきたりで絶望を感じることがあります。そんななか、あたりまえの、つまらない風景を眺めていると、その景色に吸い込まれるような感覚に陥ります。面白さに麻痺した魂が、いきいきと蘇るような気分になり、その景色を忘れたくないという思いでシャッターを切っています。
カメラを向ける基準は、伝えるのが難しいのですが、たとえば自分なんかつまらない人間だとSNSで発信をためらっているような人でも、話を聞いてみると普遍的な強さを感じてしまうような人物との出会いに似ていると思います。物や風景との出会いを求めて散歩していると、忘れかけた冒険心が蘇ってきて、もはや生きていく上で欠かせない呼吸のようなものだと感じました。
審査員コメントと質疑応答
安村 崇氏(選者)
後藤さんの写真は、すごく面白い瞬間を撮るのではなく、ピークをはずした鈍さがすごく写真向きで、じっくりと見ているとわかってくるような、純度の高さを感じました。
展示プランが当初のブックから変わり、12面のモニターによる展示となりました。これは全部を見せたいからだろうと思いますが、それぞれの写真がフェイドイン、フェイドアウトすることが気になりました。徐々に暗くなったり明るくなったりする、その「徐々に」は要らないような気がするのですが、なぜ付けられたのですか?
(後藤 理一郎)散歩をしているような、いろいろなものが目に飛び込んでくる感覚で見せたいなと思い、見ている人の意識に丁寧に入ってくるような効果を狙って付けました。
瀧本 幹也氏
コロナのこともあり、目に見えないものへの恐怖は審査のときにも話題になりました。目には見えているんだけれども、そこにユーモアを感じるというか、その先に何かちょっと考えさせるストーリーがあるところを楽しめる作品だと思いました。
椹木 野衣氏
後藤さんの作品は、個別具体的な、その場でしか現れない場面を撮られていますが、それがなぜ普遍的と言えるのか。そして、タイトル「普遍的世界感」はなぜ「世界観」ではなく感覚の「感」にされたのかお聞かせください。
(後藤 理一郎)街を歩いていて目に飛び込んできたものを撮るのですが、それは面白い看板とかではない、もっと下のレベルのものを意識的に見ようとすることが私にとって「普遍的」になるのかなと思っています。また、空気や風景を「感じる」ことで世界を見るという意味で、タイトルは「世界感」としました。