GALLERY

2020年度[第43回公募]グランプリ選出公開審査会報告

イメージ イメージ

PRESENTATION

樋口 誠也
「some things do not flow in the water」

今回の映像作品は、シンガポールに滞在して制作しました。映像は2つの画面で構成され、左は私自身がシンガポール国内で撮った写真と共にシャワーを浴びる映像です。シャワーを浴びることで写真のインクが剥がれ落ちていく様子が撮影されています。右側の映像は、インクの剥がれた写真を見ながら、空白になった部分に何が写っていたのかを思い出しつつ語る映像で、これら2画面を並べて1つの作品となっています。

作品の主題は「写真と記憶の関係」にあります。さらにいうと、写真に写っているものと、記憶として覚えているもの、どちらが過去の証拠となり得るのかという問いでもあります。写真と記憶の関係から、証拠と事実の関係について考察を行ったものです。証拠がなければ事実も消えてしまうのか、うその証拠があれば事実も書き換えられてしまうのか、このことに疑問を感じていました。
そこに、「シンガポールと日本の歴史」という切り口と、「水に流す」というキーワードを与えることで、写真メディアの考察以外の作品の見方を与え、開けた作品にすることを試みました。

「水に流す」という言葉は、「過去の嫌なことを忘れてなかったことにしよう」という意味で使われます。英語では“Forgive and forget”「許して忘れる」となります。しかし、シンガポールと日本の歴史には「許す、しかし忘れない」“Forgive, but never forget”という言葉が残されています。シンガポールの初代首相、リー・クアンユー氏の言葉です。大戦時、日本がシンガポールを統治していた時代があり、被害にあわれた方の石碑が建てられるときに氏が残した言葉といわれています。シンガポールには当時の資料を保存する資料館や記念公園、石碑が多くあり、私は両国の歴史を深く知ることができました。「許す、しかし忘れない」を写真と記憶に置き換えるならば、「写真はない、しかし覚えていることはある」と言うことができるだろうと思いました。

それらを踏まえて私はプリントされた写真のインクを洗い流し、そこに写っていたものを思い出すことを試みました。またそれは撮影者として写真イメージを日々作るなかで実際には写真のことをどれほど覚えているのかを確かめる試みでもありました。
私自身が写真と一緒に風呂場で文字通り「裸の付き合い」をして、水で流す。一見コミカルな印象を与えるものとなっていますが、これは、作品の背景にあるポリティカルなテーマが前面に出てしまって作品の見方が限定されることを避けるためで、あえて私自身がシャンプーハットをかぶって出演するというパフォーマンス的な要素を取り入れました。

私はこの作品で「証拠はなくても覚えている事実はある」ことを主張することを目指していましたが、実際にやってみると、そうとも言い切れず、写真がないと思い出せないこともたくさんあることに気づきました。「水に流せないこともある(しかし、水に流れてしまうこともある)」という矛盾のようなものを感じてしまいました。

しかし、私はこの矛盾や、辻褄の合わないことに面白さを感じています。管理や記録が重要視され、いわゆる正しさや整合性を求められることが多いなか、そういうものでは括れない矛盾や、理由は分からないけれど好きになってしまう、魅力を感じてしまうものはたくさんあると思います。理屈と直感の間にある「ゆらぎ」のようなものに、時に正直になることに、豊かさがあるのではないかと感じています。

イメージ
イメージ

審査員コメントと質疑応答

野村 浩氏(選者)

プレゼンテーション、とても素晴らしかったと思います。そして、作品を見たときに、これはすごいと思いました。僕の感覚にはない、写真の扱いが全然違うなと思いました。いくつか質問があります。まず、滞在制作をした理由です。目的をもってシンガポールに行ったのか、ぶらっと撮りに行ったのか。そして、この素晴らしいパフォーマンス、なぜシャンプーハット? なぜ自分の身体も洗っているのか? など、とても引き込まれたんですが、台本的なものを作ったのでしょうか。また、作品の中に出ている方法以外も試したのでしょうか。そして、今後どのようなことをしていこうと考えていますか。

(樋口 誠也)シンガポールに滞在した理由は、もともとこの作品ありきではなく、シンガポールのラサール芸術大学に2週間、アートキャンプに参加する機会があり、そこからリサーチやテストを始めてこの作品に至りました。
映像に台本はありません。写真をプリントして水でインクが落ちることは試し済みだったので、フレーミングだけを決めて写真を貼り付け、即興的に落としていきました。空白部分を思い出すにあたっても、映像は撮り直しができますが、嘘にならないように脚本なしの一発撮りで作っています。また、これ以外のバージョンはあまり試していません。
今後の活動ですが、撮影者が対象の何を見ているのか、撮影動機などについての研究もしているので、作品制作と同時に進めていけたらと考えています。

イメージ

オノデラユキ氏

作品を見て、記憶とイメージに関する哲学的な問いが入っていると感じました。気になったのは、背景に歴史があること、しかも負の歴史であり、シンガポールと日本では日本が加害者の立場です。シンガポールに向かう前に歴史を勉強されたのですか。作品に表れるかどうかは別として、知っているかどうかは大きなことだと思います。また、現地で展示されたとのことですが、現地ではどのような受け止め方をされたのでしょうか。

(樋口 誠也)制作を開始する前に約3か月、資料館などをめぐって歴史を勉強しました。現地の受け止め方ですが、お恥ずかしい話ですが展示が始まったとき体調が悪くなり、フィードバックをもらえないまま帰国してしまいました。その後友人から、興味深く足を止めて見ていたよ、と聞くことができました。

イメージ

PRESENTATION

  • 金田 剛

    「M」

  • 後藤 理一郎

    「普遍的世界感」

  • セルゲイ・バカノフ

    「The Summer Grass, or My mother's eyes through her last 15 years」

  • 立川 清志楼

    「写真が写真に近づくとき」

  • 樋口 誠也

    「some things do not flow in the water」

  • 宮本 博史

    「にちじょうとひょうげん—A2サイズで撮り溜めた、大阪府高槻市・寺田家の品々—」

  • 吉村 泰英

    「馬の蹄」

loading