PRESENTATION
テンビンコシ・ラチュワヨ
「Slaghuis Ⅱ」
私は写真家兼ビジュアルアーティストとして南アフリカのヨハネスブルグにあるローリーという街で活動しています。
私は大人になる過程で自分のことを言葉で表現するのにとても苦労しました。代わりに写真が自分を表現する道具になっていきました。最初は遊び感覚で、スマホで写真を撮って遊んでいました。イメージ画像を使ってコミュニケーションをとりたくて、画像を友人に見せて伝えたいことを説明したり、何が伝わってくるのかを訊いたり、そんなことをしていました。そのうちに、写真がコミュニケーションの道具になっていきました。写真の可能性を探ることにも興味を抱くようになりました。音や音楽を写真にすることはできないだろうか? 静物を写真にして命を吹き込むことはできないだろうか? そういう可能性にすごく魅力を感じて色々と試して探求しました。それが私と写真の原点です。
写真をずっと撮り続けていきたい、生涯撮り続けていきたいと私は思っています。その理由の一つは「探求」です。自分の人生に向き合い、人生を乗り越えていく手段であり、感情のはけ口でもある。そういう作用から今回の作品も生まれました。
私の実家は酒場です。店がオープンしたのは1996年、私が3歳のときでした。私は酒場で育ったも同然でした。「Slaghuis」は南アフリカの言葉で「屠殺場」を意味しますが、実家の酒場もそう呼ばれていました。暴行による殺人が起きたからです。プロジェクト全体のタイトルには「Slaghuis」を選びました。プロジェクトは現在も進行中で、複数の章で構成されています。今回の作品はその第2章にあたります。
酒場で見聞きした暴力から私の心はどんな傷を負ったのか、その答えを探求する意味合いが強いのが「Slaghuis Ⅱ」です。それは変化の探求であり、暴力の別の側面の探求でもあります。探求を続ける中でトラウマの元凶である酒場を撮影スタジオとして使うようになりました。酒場には酒場自身のストーリーを語ってもらい、私は自分のストーリーを酒場に語っています。
酒場は感情が錯綜する場所でもあります。あらゆる感情が存在を認められようとして互いに争い合っています。人は自分の身代わりとして感情を酒場に残していくのでしょう。写真によって感情をさらけ出すプロセスは、カタルシスを得るのにとても効果的です。写真という物理的な方法で感情を表出するそのプロセスには不思議な力があるようです。その一方で酒場に傷を与えた客たちを表現するという意図もあります。酒場から私は傷を受けた、だからこれらの写真に加工を施し、酒場から受けた傷に今も縛られている私自身を表現しています。
この作品には浄化作用があったようです。私の潜在意識は清められ、酒場が発端となった苦悩も消え去ったような気がします。
審査員コメントと質疑応答
清水 穣氏(選者)
とてもいいプレゼンだったと思いますが、少しスタイリッシュすぎる気がしました。自分と世界との関係、アパルトヘイトが廃止された後の動乱の時代の南アフリカで、その世界から負った傷を写真を通じて昇華させるというラディカルで素朴な、最も根源的なものに戻って世界と自分を考え直したいというある種の内省的な写真が並んでいるなと思いました。
写されているものの根源性、そしてスタイリッシュさ。写真に傷を付けるという表現も洗練されています。ただ、もう少し作品点数があれば「第2章」の全貌がわかったのに、と思いました。
手法として新しいものではありませんが、素朴さや古くささを、むしろ積極的に捉え返そうという意図で彼の作品を選びました。
横田 大輔氏
壁や床など、主題が人物の残した痕跡であることが魅力的だと感じました。破れの痕があるものにも惹かれます。展示作品はおそらく複写ですが、実際は現物、破れている状態のものを飾っているのか、それともこの複写の状態が理想的な形なのかを本人に訊いてみたかったです。何かが起こった「痕」というものに対する着眼点がこの作家にとって大事なことだと思っているので、「見せ方」について質問してみたいと思いました。
安村 崇氏
展示に少し物足りなさを感じました。どの写真も、体の部分、濡れた床、人影などどこか暴力につながっていくような不穏さに満ちている。でも、ただ危ないという感じではなくて、まだ知らない種類の危なさのようなものがあり、南アフリカの写真家ロジャー・バレン氏の仕事にも通じるものを感じました。