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イメージング新聞広告シリーズ

「EOS」の進化は、躍進するアスリートとともに

(2025年2月26日読売新聞、日本経済新聞、日刊工業新聞掲載)

歴史的瞬間は、EOSとともに。

わずかな一瞬。ただ一度きり。世界で唯一。そんな奇跡とも言えるアスリートたちの進化。
そして、そんな極限の一瞬を捉え続けてきたEOSシリーズの進化。
2つの進化の歴史を目撃してきたプロフォトグラファーに”証言者”となっていただき、その進化の過程を振り返ります。

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水谷 章人 (Akito Mizutani)

「1」シリーズはいつの時代も最高の「証」

写真家の道を歩んできて60年! 掛け値なしでいうと、この歳になるまでプロを続けてこられたのは、カメラのオートフォーカス(AF)やデジタル化があったからこそ。感慨もひとしおです。
ふり返れば、1970年代前半まではフリーランスのスポーツフォトグラファーはほとんどいませんでした。現場は新聞社とスポーツの各種専門誌のフォトグラファーばかり。野球しかり、テニスしかり。日本のTV中継も野球、大相撲、プロレスなどが中心でした。
私は当時、スーパースターを狙うというより、たとえ無名でも、そのアスリートの人間ドラマを描きたいと強く意識していました。他のスポーツ写真との差別化を図り、「水谷の作品を見てくれ!」とアドレナリン全開でしたね(笑)。
そのころの愛機はキヤノンのF-1。同社が持てる力を結集して完成させた、最高級の35mmフィルム一眼レフカメラでした。メカニカルシャッターの耐久性も抜群で、氷点下のスキー撮影などでも、シャッターボタンもフィルム巻き上げもスムーズに作動し続けてくれました。とにかく、頑丈でした。
ですから、もし仮に撮影を失敗してもカメラやレンズのせいにしたくなかった。プロとしての心構えだろうな。それ以降は、その時々で最高のレンズとカメラを選ぶようになりました。「1」シリーズとの出会いは、運命だったのかもしれません。

共鳴し合ったスポーツの広がり、カメラの進化

1990年前半からAF搭載のキヤノンのEOS-1やEOS-1Nを使い始めました。とはいえ、最初はマニュアルフォーカス。アスリートをファインダーに捉えて構図を決めてフレーミング。同時にレンズのフォーカスリングを回してピントを合わせ、ここぞという一瞬にシャッターを切る! 三位一体の作業を瞬時に行なうのがプロとしての気概でした。
とはいいつつ、いつからかEOSのAFが先進的で実用になると感激して、徐々にAFを活用するようになりました。AF追従での高速連写も進化しましたが、こちらはパシャパシャと散発的に“一写入魂”で狙うのが水谷流。
カメラを構えたときの気持ちは昔から不変です。「人間ドラマを捉えること」が最優先。アスリートたちは天性の才能もあるだろうし、加えて並々ならぬ努力を積み重ねて大舞台に立っているわけです。筋肉の美しさや佇まいの品格、キレのある躍動感、華麗で迫力ある表情まで、こちらは「写欲」を刺激されまくります。
改めて思います。いつもかたわらに寄り添って撮影を支えてくれていたんですよね、キヤノンの「1」は。

水谷 章人
水谷 章人

1940年生まれ。長野県飯田市出身。
1965年、東京綜合写真専門学校卒業後、フリーランスの写真家として活動。山岳写真を経てスキー写真の分野に移行し、アルペンスキーの世界大会の取材と並行して創作活動を始める。その後、スポーツ全般の撮影を手がけ、各種スポーツの世界選手権を多数取材。また、若手スポーツ写真家の育成を目的とした「水谷塾」の塾長を約20年にわたり務める。主な写真集に『極限の形象』(スキージャーナル、1976年)、『白銀の閃光』(パワーライフ、1980年)、『THE SKI』(実業之日本社、1992年)、『THE ALPS』(山と溪谷社、2002年)、『信濃路』(日本写真企画、2016年)など。主な受賞歴に、第12回講談社出版文化賞写真賞受賞(1981年)、第3回藤本四八写真文化賞(2002年)、日本写真協会賞作家賞(2007年)、ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞、功労賞(2012年)。

熱田 護(Mamoru Atsuta)

プロの道具として使い続けてきたキヤノンの1シリーズ

キヤノンのF-1からEOS-1、そして最新のEOS R1と、キヤノンの1シリーズでモータースポーツを撮り続けてきました。1989年に登場したEOS シリーズ最初のフラッグシップモデル EOS-1はオートフォーカス(AF)の測距点が中央の1点でしたが、それでも自動でピントが合うということでマニュアルフォーカス(MF)に比べればピントの合うカットが増えたのです。本格的にAFカメラを使うようになったのは測距点が5つになったEOS-1Nからでしたが、その後もEOSの1シリーズは測距点が増え、コマ速も上がり、性能が着実に向上してきました。

カメラの進化がモータースポーツ写真の新たな表現を生む

モータースポーツの撮影では、高速で走行するマシンを、わずか数メートルの近距離で撮影する必要があります。以前はシャッタースピードの限界もあり、AFがピントを合わせる速さにも限界があって、きっちり止めて撮影することはできなかった。でもカメラが進化してEOS R3やEOS R1では、1/64000秒という速いシャッタースピードでの撮影が可能になり、AFも驚くほど進化した。その世界を止めて表現できるようになったっていうのは、僕たちにとって1つ撮れる表現が増えたんです。こうしたスピード感や近距離での撮影はモータースポーツ写真ならではで、他のスポーツ写真にはない特徴だと思います。そのため、速く動くものを止める、流し撮りをするなど、モータースポーツのフォトグラファーはどうにかして自分の世界で表現しようと研鑽を積んで特殊なスキルを身に着けていく。それと同時にカメラへの要求度も上がっていく。それに応えてくれるのも「1」シリーズだと思います。

熱田 護

1963年生まれ。三重県鈴鹿市出身。
東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。86年ヴェガインターナショナルに入社。坪内隆直氏に師事し2輪世界GPを転戦。91年よりフリーランスとしてF1をはじめとするモータースポーツや市販車の撮影を行う。
F1取材回数は594戦(2024年末時点)
日本レース写真家協会(JRPA)会員
日本スポーツ写真家協会(ANSP)副会長
日本写真家協会(JPS)会員

築田 純(Jun Tsukida)

オートフォーカス(AF)性能の高さを実感

1994年にスキーフライング競技の世界大会を取材したのをきっかけにジャンプ競技に惹かれ、スキージャンプ競技を長年に渡り撮影してきました。
キヤノンのEOSのカメラを使うようになったのは1990年頃からで、それまでは他のカメラを使っていました。 マニュアルフォーカス(MF)での撮影にはそれなりに自負がありましたが、EOSを使い始めた周りのフォトグラファーたちのAFの評判が良かったことや、これからはAFの時代なので早く慣れなければという思いもあって、思い切ってシステムをまるごと切り替えたのです。完全電子マウントのEFマウントを採用してあることや、レンズ内に内蔵したモーターでAF駆動や絞り制御をおこなうなど、先進の機能を採用していたことも魅力でした。
1997年のノルディックの世界大会で、日本人選手がラージヒルで初の金メダルを取った瞬間を捉えたのはEOS-1Nでした。翌年の世界大会で、悪天候の中ラージヒル団体で日本チームが金メダルを取った感動的瞬間を捉えたのもEOS-1Nでした。
スキーに代表される冬季競技は屋外も多いため、カメラの寒さ対策が必要になります。特に苦労したのはフィルム交換です。氷点下10°を下回るような寒さの中では、フィルムをゆっくりと手で巻き戻さないと途中で切れてしまうことがあります。また、裏蓋を開けたときに圧板に雪が付くと撮影途中でフィルムが圧板に貼り付いてしまうこともあるため、素早く慎重におこなう必要がありました。超望遠レンズを装着したカメラを一脚に載せて撮っているので、フィルムを交換するのもなかなか大変な作業でした。

サービスデポはなくてはならい存在、そばにいるだけで安心感がまったく違う

デジタルカメラを使うようになったのは1110万画素のEOS-1Dsの登場からで、スポーツ写真家の中では遅い方だったと思います。納得できる画質になったことが切り替えのポイントでした。ただ極低温下ではバッテリーの消耗が激しかったり、背面の液晶モニターが映らなくなったりすることもあったので、デジタルならではの寒さ対策が必要でした。上位の選手と日本人選手を撮るために、下位選手の撮影を諦めてバッテリーを温存するようなこともありました。
撮影には必ずメインとサブの2台のカメラを持って行きますが、1台が何らかのトラブルで使えない状況になると途端に不安になってきます。そんなとき、すぐに代替機を用意してもらえるサービスデポが近くにあるだけで安心感が違います。なくてはならない存在と言えるのかもしれません。

築田 純

1962年生まれ。埼玉県所沢市出身。
1984年東京綜合写真専門学校卒業。その後、写真家の水谷章人氏に師事し、1988年にフリーのスポーツ写真家として活動を始める。1997年からスポーツ写真家集団アフロスポーツに参加し、国内外のスポーツ競技を幅広く撮影。2013年に再びフリーで活動を始める。
1989年第5回東川賞新人作家賞受賞。
ANSP(日本スポーツ写真協会)副会長 AIPS(国際スポーツプレス協会)各会員。

YUTAKA

歩みを止めない進化がEOS「1」シリーズにはある

プロのスポーツフォトグラファーとして活動を始めたとき、フィルム一眼レフカメラではなく、すでにデジタル一眼レフカメラが主流になりつつありました。私はこれまで数種類の「1」シリーズを使ってきましたが、あえて印象深いモデルを挙げると、EOS-1 D Xとその次のEOS-1D X Mark IIでしょうか。
高画質を追求したEOS-1Dsシリーズと高速性能に秀でたEOS-1Dシリーズの2路線がEOS-1D Xで統合され、AFも画質も連写もすべてにおいて高性能化したと感じました。当時はプロになって12年くらい経っていて、サッカーや陸上競技、水泳などの世界大会で撮る機会も増えていた時期です。
EOS-1 D Xで「もう完成形かな」と思うくらいの性能でしたが、EOS-1D X Mark IIでオートフォーカスがさらにブラッシュアップされていて、サッカーやラグビーの撮影などで複数の選手が交錯するような瞬間も狙った一人にピントが合う確率が高くなっていました。まさに限界を超えていくEOSの進化に驚いたことを昨日の出来事のように覚えています。

「最高峰の一瞬」を撮るには己の成長も不可欠

プロになりたてのころは超有名選手や憧れのアスリートを目の前にして、それだけでテンションが上がり、ましてや決定的なゴールシーンやメダルを獲得するシーンを撮れたときは興奮が隠せず、浮き足立ってしまうようなところも少なからずありました。
直接のきっかけは覚えていませんが、場数を踏んで、いい意味で慣れもあったからか、やがて冷静にシャッターボタンを押せるようになりました。今でも、例えば世界200以上の国と地域から、それぞれの頂点のアスリートたちが集まるような大規模イベントの100m走の決勝など、スタート前のピンと張りつめた空気は、とてつもなく緊張します。
あたかも自分の心臓の鼓動が周囲に聞こえているのではと一瞬、頭をよぎるくらいなのですが、自分に言い聞かせるのは「心が熱く燃えたぎっていても、頭と身体は冷静に」撮り逃さないこと。自分たちプロのフォトグラファーは目撃者であり、証言者であり、発信者であると肝に銘じ、挑戦し続けるアスリートたちに日々レンズを向けています。
EOSの「1」シリーズにはこれまで大きな故障もなく、新しい機種が出てきたときも一度たりとも期待を裏切られた覚えがありません。EOSの「1」を手にするから、世界最高のアスリートたちの近くに陣取り、集中してレンズを向け続けられているといっても過言ではないのです。

YUTAKA

1974年生まれ。東京都出身。
東京工学院専門学校卒業後、株式会社マイスポーツ出版でアシスタントを経て、1999年カナダに渡る。2000年に帰国後、サッカー、ラグビーを中心にフリーランス活動を展開。2002年よりスポーツ写真家集団アフロスポーツに所属。さまざまな競技の世界大会に何度も参加し、国内外を問わず精力的に撮影している。

Simon Bruty

イメージ通りに撮るために、被写体を知ることから始める

2016年のリオデジャネイロ、驚異的な成績を収めたアスリートがいました。2001年に男子競泳史上最年少の15歳9ヶ月で世界記録を更新してから2019年までの18年もの間、世界記録を保持し続け、2009年までに世界記録を7回更新。「水の怪物」と呼ばれた彼は、この年さらに6個のメダルを獲得しました。これにより23個の金を含む28個のメダルを獲得したのです。当時、私が使っていたカメラはキヤノンのEOS-1D X Mark IIでした。獲得した28個のメダルすべてを身に着けた彼を撮影するチャンスを得たとき、私はブラジルのリオの丘の頂上にあるコルコバードのキリスト像と同じポーズで彼を撮りたいと考えました。ポートレートを撮るのと競技を撮るのとでは設定が異なりますが、この撮影では照明・背景・アイデアなど、すべてをイメージ通りに撮影することができました。
私は競技のスタイルや立ち振る舞いなど、被写体となるアスリートについて詳しく知ることを重視しています。入手したさまざまな情報を駆使して撮影します。また、アスリートは必ずしも我慢強い人ばかりではありません。ですから撮影では、常にアスリートが快適で、できるだけリラックスした気分でいられるようにすることを意識します。どう撮りたいと思い描いているのか、それをどのように実現したいのかについてなど、可能な限り伝えるようにしています。

新しい表現は技術の進歩と経験によって生まれる

競技シーンを撮るときには、少しでも速いシャッタースピードにするために、絞り開放というのを基本にしています。スポーツ写真のシャッターチャンスは一度きりしかありません。一瞬の判断が重要で、素早い反応と予測が求められます。経験(知恵と言う人もいます)やアイデアがそのまま反映される職業だと言えるかもしれません。私は今でもときどき失敗することがありますが、周到に準備をすればミスを最小限に抑えることができると考えています。計画通りにすべてがうまくいって、素晴らしい一瞬を捉えることができたときは、言いようのない満足感が得られるのです。
アナログ時代にはキヤノンのF-1を使っていました。今のメイン機種はキヤノンのEOS R1ですが、この間の技術的な発展は驚くべきものがありました。技術の進歩によって、スポーツフォトグラファーを始めた当時には想像もできなかったような、さまざまな表現方法を手に入れることができるようになったのです。新しいカメラを使い始めるときには、覚えることがたくさんあってアイデアが刺激されますし、テスト撮影をくり返すことで、そこからも新たな表現が生まれます。サイレントモード搭載のカメラを手にできましたが、そのうち透明なカメラを使う機会だってあるんじゃないかと思ってしまいます。

Simon Bruty
Simon Bruty

イギリス出身でアメリカ・ワシントン D.C.在住のスポーツフォトグラファー。様々な大規模スポーツイベントを数多く取材し、アスリートのポートレート撮影も手掛ける。ワールド・プレス・ファンデーション、ピクチャーズ・オブ・ザ・イヤーなどから多くの賞を贈られる。2016年には数々のスポーツ写真の功績に対して、写真界のアカデミー賞とも呼ばれるルーシー賞を受賞した。イギリスの新聞「ロンドン・オブザーバー」は、彼の作品を「世界の最高のスポーツ写真 50選」に選出している。

青木 紘二(Koji Aoki)

スポーツ写真を変えるポテンシャルを備えたEOS R1

EOS R1の進化は「革新」でした。プロのフォトグラファーとしてミラーレス一眼カメラの利点は分かっているつもりでしたが、想像を超えてきました。高速連続撮影のコマ速もオートフォーカス(AF)性能も電子ビューファインダーの鮮明さも、すべてが進化していました。
語弊を恐れずに言えば、スポーツ写真の撮り方、そしてスポーツ写真そのものが変わっていくほどのインパクトです。例えばファインダーを覗かずに撮るノーファインダー撮影や、フレーミングの外からいきなり選手が飛び込んできてシュートを決める瞬間などもAFが高い確率で狙ったアスリートを追いかけてくれる。実際のスポーツ撮影の現場でも「写真の力」を再認識させてくれる驚きの連続でした。
忘れてはならないのが交換レンズ。優れた描写力を備えた豊富なRFレンズ群です。スポーツ撮影では400ミリF2.8、いわゆるヨンニッパという望遠レンズが標準装備なのですが、作品の狙いなどによっては広角や標準レンズも活用するので、RFレンズのラインアップが整ったことも心強く感じます。

アスリートの飽くなき挑戦を「1」が見届け続ける

実は、アスリートたちの動きや技なども年々、多様化・高速化して進化を遂げてきています。陸上のトラック競技や競泳などはタイム、体操やフィギュアスケートなどは採点や難度にも現れます。例えば体操は昔ならCやD難度だったものが、今やHやJ難度まで至っています。バスケットやハンドボールはトリッキーなフェイントやパス回しも多々あって、正直、すべてのプレーを追い切ることはプロのフォトグラファーでもなかなか難しい。
こうした背景もあって、世界一を決めるようなビッグイベントでは、超人的なアスリートたちが集結しますから、こちらとしても大いに胸が高鳴りますし、会期中は寝る暇も惜しいくらい、意欲が満ちあふれます。さすがに今は、スタジアムが揺れるほどの興奮の渦の中でも焦るようなことはないですが、「撮れて当たり前の世界」なので、常に心地よい緊張感に包まれます。
そうした二度と訪れない一瞬を前にして、EOSの「1」とキヤノンのサービスデポの存在は集中力を高め、なおかつモチベーションの維持を支えてくれている。昨年もたくさんのスポーツの世界記録が樹立されています。今年も来年も、国内外で大きなスポーツの祭典が開催予定ですから、今からワクワク(笑)。もはやEOS R1は、頼れる相棒なんです!

青木 紘二
青木 紘二

富山県魚津市出身。
株式会社アフロの代表取締役でもあり、世界のスポーツイベントを長年撮影し続ける日本を代表するスポーツフォトグラファーの一人。高校1年時から映画関係の学習にのめり込み、1968年よりスイスに留学。
プライベートスクール“ラブリーフェローシップ”にて3年間哲学及び宗教を学び、その間にスキー技術を習得。1973年にスイス連邦公認上級国家スキー教師の資格を取得。スイス及び日本でプロのスキー教師を経験。1976年からプロフォトグラファーとしての仕事を始める。語学力を生かした海外撮影、コマーシャル分野の仕事を皮切りに、出版分野の撮影も始め、スキー誌、ゴルフ誌等で活躍。1990年頃から再びコマーシャル中心の活動に注力する。長い海外生活を生かし、常に国際的な目で新しい映像を追求している。世界報道写真展では主任審査員を歴任。

関連リンク:

一瞬に、懸ける。

(2025年2月27日 読売新聞掲載)

撮影協力

スポーツフォトグラファー

青木 紘二(Koji Aoki)

富山県魚津市出身。
株式会社アフロの代表取締役でもあり、世界のスポーツイベントを長年撮影し続ける日本を代表するスポーツフォトグラファーの一人。高校1年時から映画関係の学習にのめり込み、1968年よりスイスに留学。
プライベートスクール“ラブリーフェローシップ”にて3年間哲学及び宗教を学び、その間にスキー技術を習得。1973年にスイス連邦公認上級国家スキー教師の資格を取得。スイス及び日本でプロのスキー教師を経験。1976年からプロフォトグラファーとしての仕事を始める。語学力を生かした海外撮影、コマーシャル分野の仕事を皮切りに、出版分野の撮影も始め、スキー誌、ゴルフ誌等で活躍。1990年頃から再びコマーシャル中心の活動に注力する。長い海外生活を生かし、常に国際的な目で新しい映像を追求している。世界報道写真展では主任審査員を歴任。

MESSAGE

長年お世話になっているキヤノンさんとのお仕事。撮影もとてもいいコンディションで臨むことができました。撮影場所もライティングも素晴らしい環境で、スタッフの方々には本当に感謝しております。撮影に入ると、萱選手のモチベーションを第一に考え、会話を心がけ、負担をかけないよう演技の構成も熟考しました。また、今回の撮影の大事な目的であるカメラの精度とレンズの性能を見せるために「肌の質感」やシャープネスをしっかり出せるようカメラのセッティングにもこだわり抜きました。萱選手にも、「演技中の表情が大事だから大会で出す顔をみせてほしい」とオーダー。萱選手はしっかりと私の気持ちに応えてくれ、素晴らしい一枚を撮りきることができました。肌の質感まで表現できるくらいに進化したEOS R1の素晴らしさを、広告を見た人に感じて貰えれば嬉しいです。

体操選手

萱 和磨(Kazuma Kaya)

小学2年時に、テレビで見た体操競技の冨田洋之選手の演技に魅了され、体操を始める。高校3年時の全国高校体操選抜大会個人総合で優勝を果たすなど、世代のトップランナーの1人として頭角を現す。順天堂大学進学後、2015年の世界選手権で初の日本代表入りを果たすと、団体金メダル獲得に貢献するとともに、個人でも種目別あん馬で銅メダルを獲得する活躍を見せる。2016年の国際大会では、惜しくも代表入りを逃し、サポートメンバーとして現地のスタンドから観戦。その悔しさを糧に、「誰にも負けない」と自負する練習量でさらなる飛躍を遂げる。2018年、2019年の世界的な大会でも日本代表メンバーとして活躍し、2020年国際大会で、団体総合では主将としてチームを牽引し、日本の銀メダル獲得に貢献するとともに、種目別あん馬でも銅メダルを獲得した。続く2024年では引き続き主将を務め、世紀の大逆転で金メダルに輝く。「失敗しない男」として、さらなる高みを目指す。

MESSAGE

初めて広告撮影に出演をさせていただきましたが、まず照明やセットが自分の想像以上で驚きました。ただ、どんな環境でもとにかく自分にできる最高の演技をしようと本番に臨みました。表情や躍動感など、競技とは違ったポイントを意識したりと、工夫しつつ楽しんで撮影することができて良かったです。新聞の広告1ページでも多くの方が携わっていること。また、スタッフの方全員がプロフェッショナルであることにとても感動しました。そして、写真に関しては想像を超えるほどのすごい仕上がりで、筋肉は力強く、足先は美しく表現された素晴らしい作品でした。この写真が大勢の人に見られると思うとワクワクしますし、キヤノンのカメラ技術を体操競技によって伝えることができたらとても嬉しく思います。

メイキング

撮影当日のセットの写真
手にチョークをつける萱選手の写真
鉄棒に触れる萱選手の写真
本番直前の萱選手とEOS R1で撮影する青木さんの写真
EOS R1で撮影する青木さんの写真
技を披露する萱選手とEOS R1で撮影する青木さんの写真
技を披露する萱選手の写真
撮影した写真を確認する萱選手の写真

萱選手は、「すごく楽しみです!」と笑顔で現場入り。本番に入る前に、技の調整を繰り返し撮影に臨んでくださいました。撮影がはじまると、コールマンなどの難しい演技に何度も挑戦。そのダイナミックで優美な演技にスタッフからも幾度となく拍手が沸き上がりました。また、ご自身の写真を確認しながらフォトグラファーの青木さんと会話を重ねる様子も。「本当に、かっこいいですね!」と少年のように目を輝かせる姿がとても印象的でした。撮影を通して、萱選手のひたむきに演技を何度も繰り返す姿。また、終始笑顔で取り組む前向きな姿勢にキヤノン社員一同、とても感動しました。

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