スマートフォンで動画を撮影し、SNSで共有する――こうした光景が日常となった現在、動画を「もっと手軽に、より高画質で撮影したい」という新たなニーズが高まっています。こうした時代のニーズをいち早くとらえ、動画機能を強化した「PowerShot Vシリーズ」の開発を通じて新しい映像体験を切り拓いた開発者と企画者にそれぞれ聞きました。
― 動画機能を強化したカメラ企画のきっかけとは?
市村:
スマートフォンが動画撮影の主流となり、特に若い世代では日常を動画で共有する文化が浸透しています。私自身も特別な日に撮影していた動画がいつの間にか日常のコミュニケーションツールへと変化していました。「より高画質な動画を、もっと気軽に楽しんでほしい」という想いから、PowerShot Vシリーズ(以下、Vシリーズ)の企画が始まりました。Vシリーズは、世の中で高まっていた動画撮影のニーズに応える形で生まれた、動画機能を強化したカメラのシリーズです。すでに市場には動画専用カメラも存在していましたが、「街中で撮影すると目立ってしまう」「三脚の持ち運びが不便」という課題もありました。
2023年入社。宇都宮事業所での生産実習や都内での営業実習を経て、イメージング事業本部に配属。コンパクトデジタルカメラの企画や販売推進に携わる。
※所属は取材時のものです。
市村:
私たちのビジョンをチーム全員に明確に伝えるため、企画の初期段階から社内のデザイン部門と協力して本格的なコンセプトブックを作成しました。また、最前線で活躍する動画クリエイターへのインタビューを実施し、そのリアルな意見を設計や機能に反映しています。
こうした緻密な準備によってVシリーズの第一弾としてPowerShot V10(以下、V10)の企画を立ち上げ、開発が進められました。
企画にあたって作成したコンセプトブック
― 開発当初のチームの雰囲気はどうでしたか?
市村:
動画機能を強化した初めてのPowerShotシリーズということで非常に挑戦的なプロジェクトでしたが、機能やデザインが具体化するにつれてチーム全体がワクワクするような高揚感に包まれていきました。私たちは「初めてのカメラはキヤノンを使ってほしい」という願いを込め、「ファーストキヤノン」という言葉を大切にしています。V10もこの想いから開発がスタートしました。
吉田:
動画撮影において、映像の品質と同様に重要なのが「音」です。音質が不十分だと映像の魅力も半減してしまいます。外付けマイクで音質を向上させる方法もありますが、コンパクトさや手軽さは失われます。V10はオールインワンをめざし、内蔵マイクの性能にも徹底的にこだわりました。
2008年入社。コンパクトデジタルカメラのメカ設計に携わる。主に、CADを用いて3Dモデルや2D図面を作成しながら設計業務を行い、他部門と協力しながら製品開発を進めている。
※所属は取材時のものです。
― 音質向上への具体的な取り組みは?
吉田:
V10では縦型の新デザインを採用する際に部品のレイアウトをいちから見直したことによって、小型ながら従来のデザインでは難しかった高音質・大口径マイクの搭載スペースを確保できました。
V10に搭載した高音質・大口径マイク
本体の上部に、マイクに当たる風の雑音をふせぐためのアクセサリーをつける案もありましたが、コンパクトさを優先して、風ノイズ低減フィルタを入れることや、マイクを上向きで設置することで対応しました。これにより、被写体の音はもちろん、撮影者の声もきれいに録音することが可能になりました。
しかし、高性能マイクを搭載するとカメラ内部の動作音などのノイズまで拾ってしまう可能性もあります。チーム内でも「高性能すぎるマイクは逆に問題になる」という懸念がありました。そのため、V10にはノイズキャンセリング専用マイクを追加し、メカ設計チームと音声設計チームの開発者たちが一丸となって発生する駆動音と録音されるノイズの低減に限界まで注力。マイク同士のバランスを調整することによって、高音質を実現することができました。この音へのこだわりは、その後同じVシリーズとして開発されたPowerShot V1(以下、V1)にも引き継がれています。
吉田:
V10の開発において、特に力を入れたのが直感的なUI(ユーザーインターフェース)です。
― UI設計で工夫したポイントとは?
吉田:
私たちが最も重視したのは、誰でも直感的に操作できることです。特に頻繁に使用する録画のスタート/ストップボタンについては、位置や形状、操作時の使用感まで徹底的に検討し、3Dプリンターを活用して試作品の改良を重ね、理想的なデザインに到達しました。
市村:
スマートフォンのようにどちらの手でも快適に撮影できる左右対称の縦型デザインを採用しました。画面表示や操作手順も、従来のPowerShotシリーズから一部を見直し、できるだけシンプルにしています。例えば、明るさを調整するときのUIについて、「露出補正」といったカメラの専門用語は使わず、スマートフォンと同じ太陽のアイコンを表示するなど、カメラ初心者にも直感的で使いやすい工夫を盛り込みました。
露出補正機能には直感的に分かりやすい太陽のアイコンを採用
吉田:
カメラのレンズは目立ちすぎないように、「大きな瞳」というコンセプトでデザインチームと相談しました。日常に寄り添ってくれる相棒のように使ってもらえたら嬉しいと思います。
― Vシリーズにはその後フラッグシップモデルが登場したそうですね。
市村:
はい、2025年4月にVシリーズのフラッグシップモデルV1が登場しました。動画の撮影に特化したV10からコンセプトを拡大し、本格的な動画も静止画も1台でコンパクトに持ち運べるモデルになっています。
吉田:
音へのこだわりはV10からV1へ引き継がれた点のひとつで、他にも工夫した点が多くあります。
例えば熱対策はカメラの開発にあたって開発者の頭を悩ませる問題のひとつです。コンパクトデジタルカメラでは本体の大きさから放熱の効果に制約があり、長時間の動画撮影が難しい状況でした。V1ではキヤノンのコンパクトデジタルカメラとして初めて本体にファンを搭載するという選択をしました。その時に問題となるのは放熱とファンの音とのバランスです。小型機種でもファンの音がマイクに入りにくく、効率的に放熱できるしくみについて、熱設計担当者と何度も議論を重ねました。ファンの回転速度を自動で最適に制御することで、難しい設定をすることなく長時間の動画撮影が可能となり、ユーザーのニーズを満たすことができたと考えています。
カメラ内部で生じた熱を本体左側部分まで誘導し、外気を取り込んで冷却ファンを通じて放出
Vシリーズ開発のもう一つの特徴は、立場や年齢を超えて活発にフラットなコミュニケーションを行ったことです。
市村:
企画の初期段階から開発部門と連携し、若手であっても主体的に意見を出せる環境でした。チームに加わったとき、私は入社1年目でしたが、責任ある役割を任せてもらえたことで、私自身も成長を感じることができました。
吉田:
自分の当たり前は、他者の当たり前ではありません。若手もベテランも一人の設計者として対等に意見交換ができる風通しの良い環境を作ることができました。
若手の柔軟な発想とベテランの豊富な経験が融合したことで、Vシリーズは製品としての完成度を高めることができました。
企画部門と開発部門が一体となって生み出したシリーズは、キヤノンのチームワークの強さを改めて証明しています。
「今回の経験を生かして、今後もワクワクするようなものづくりを続けていきたい」