テクノロジー

半導体テラヘルツ光源 半導体テラヘルツ光源

テラヘルツ波の可能性を拡げるブレイクスルー

半導体テラヘルツ光源

次世代のセンシング技術や「6G」無線通信への利用などが期待されながら、送受信には大型で高価な装置を必要とした「テラヘルツ波」。キヤノンは、待ち望まれていた小型で高出力の半導体光源の開発に成功。社会の未来を変えるテラヘルツ波の普及に向けた大きなブレイクスルーとして注目されています。

2023/12/19

「電波」「光」の特性をあわせもち、被ばくがないテラヘルツ波

私たちは、ありとあらゆる「光」の仲間に取り囲まれて生活しています。目に見える可視光、目に見えない紫外線やX線、あるいは通信に使われる電波など、光の仲間はすべて波の性質をもち、ひとまとめにして「電磁波」と呼ばれています。電磁波は、波長(波の山と山、あるいは谷と谷の間隔)・周波数※1によって大きな違いがあります。たとえば、可視光より波長が長い(=低周波数の)「電波」と呼ばれる電磁波は建物などの障害物にあたっても回り込みやすく遠くまで届くため、テレビ放送や携帯電話をはじめとする通信に利用され、可視光よりも波長が短い(=高周波数の)紫外線、X線、ガンマ線などの電磁波はエネルギーが大きい、直進性が高いといった性質を利用して医療機器などで広く使われています。

波長、周波数による電磁波の分布

波長、周波数による電磁波の分布

最近、「未踏の電磁波」として注目されているのが、電波と光の中間の波長・周波数をもつ「テラヘルツ波」です。周波数が1テラヘルツ(THz)付近※2で、電波のように布や紙、木材やセラミック、プラスチックなどをすり抜ける透過性をもちながら、金属には反射され、水には吸収されるという性質をもっています。一方で、光のような直進性をもち、人やものに照射して透過・反射したテラヘルツ波をカメラでとらえれば画像にすることもできます。さらに、物質ごとに吸収されるテラヘルツ波の周波数が違うので、どういう材料が含まれるかを知ることもできます。このような性質を利用して、自動車塗装の膜厚測定や医薬品の品質検査などの非破壊検査分野で実用化が進むほか、衣服は透過しながらも人体には被ばくがないという特徴を生かして人流の多い場所でのセキュリティチェックなどでの活躍に期待が寄せられています。

  • ※1 周波数と波長は、周波数×波長=光の速さ(=毎秒約30万km)という反比例の関係にあります。
  • ※2 テラヘルツ波は、周波数0.1THz~10THz(波長に換算すると3mm~0.03mm)の範囲の電磁波を指します。

テラヘルツ波とは?(01分03秒) ※音声なし

テラヘルツ波の特長

電波のような透過性

紙・プラスチック・セラミック・木材・繊維などを透過するため、非破壊で内部の情報が得られます。

光のような直進性

レーザー光線のように直進する性質をもつため、測定したい物に照射し、透過・反射してきたテラヘルツ波をカメラで捉えれば、画像化ができます。

物質が見分られる

物質によって吸収される波の周波数が違うため、どの周波数が吸収されたかを知れば含まれる材料を知ることができます。

安全

X線などの放射線と比べてエネルギーが極めて低く(X線の100万分の1程度)、人体への被ばくの心配がありません。

期待は高まる一方で送信出力が弱く、実用化は難航

テラヘルツ波は次世代無線通信の電波としても期待されています。現在、最新の規格5Gなど通信で使用される電波の範囲(=帯域)は600MHz(メガヘルツ)から60GHz(ギガヘルツ)の「ミリ波」や「マイクロ波」。テラヘルツ波はさらに周波数が高い(=一秒あたりの波が多い)ため、より大量のデータ量を高速に伝送できるポテンシャルがあり、300GHz前後のテラヘルツ波を使う「6G」が次世代規格として検討され始めています。

しかし、テラヘルツ波が「未踏の電磁波」といわれるには、大きな理由があります。テラヘルツ波の送信には、真空管や逓(てい)倍機を用いた大型の装置が必要で、価格も数千万円。気軽に使えるようにするために、装置の小型化、常温での利用に欠かせない半導体デバイスによる送信の開発が進められてきましたが、出力や指向性、放射の効率などのあらゆる点で技術的な課題が立ちはだかり、テラヘルツ波を使っての通信などは夢のまた夢という状況でした。

  • ※周波数を整数倍の周波数に上げる装置

体積約1/1000、出力約10倍のテラヘルツ光源を開発

テラヘルツ波の送信にはテラヘルツ波を発生させる発振器と波を放射させるアンテナが必要です。これまでは、さらに逓倍機や、出力を増幅するアンプ、放射方向をコントロールするラッパのような形のホーンアンテナやレンズが必要で、小型化の高い壁になっていました。

キヤノンの半導体テラヘルツ光源は、これらの課題を一気に解決するデバイスとして登場しました。あらゆるイメージングを追求する企業として、キヤノンはテラヘルツイメージングについても20年以上研究開発を続けてきました。特に、室温で動作する小型の半導体光源として有望視されながらも出力や効率に難題があったRTD(共鳴トンネルダイオード)に力を入れ、RTD発振器設計技術、テラヘルツアンテナ構造設計技術、化合物半導体デバイス技術を蓄積。ひとつのアンテナからの出力は小さくても、たくさん並べて同期させればこれまでにない小型のテラヘルツ光源になるのでは?と開発を進めました。そして2022年、半導体チップ上に集積させた36個のアクティブアンテナを互いに同期させて発振することに成功。他の半導体光源と比べて、出力は約10倍の11.8mW、これまでの装置では60度程度がやっとだった放射角はレンズなどを使うことなく13度という高指向性、電力効率1.4倍を実現しながらも従来装置と比べると体積はなんと1/1000というブレイクスルーを達成しました。

キヤノンが開発した半導体テラヘルツ光源

キヤノンが開発した半導体テラヘルツ光源

  • ※アンテナ素子と無線装置を一体化したアンテナ

従来の発生装置に比べ、体積は約1/1000に

従来の発生装置に比べ、体積は約1/1000に

高度なものづくり技術が実現したブレイクスルー

半導体基板上にさまざまな厚さの薄膜を多層化して形成するRTD。キヤノンは、よく使われるシリコンではなく、電子の移動が速い化合物半導体のInP(リン化インジウム)を基板に採用。半導体デバイス設計技術と薄膜を形成・制御する技術を駆使して試作を重ね、高出力に最適な薄厚構成を導き出しました。さらに、RTDとアンテナを基板上に一体で集積できる独自のアンテナ構造を発明し、テラヘルツ波の損失を低減。放射効率の向上を実現しました。

3.2mm角の半導体チップ上に6×6=36個のパッチ(平面)アンテナを集積。一つひとつのアンテナは、2個のRTDで形成され、送信モジュール、キャパシタ―、抵抗器なども実装されています。

3.2mm角の半導体チップ上に6×6=36個のパッチ(平面)アンテナを集積。一つひとつのアンテナは、2個のRTDで形成され、送信モジュール、キャパシタ―、抵抗器なども実装されています。

そして、テラヘルツイメージングができるレベルに出力を高めるためには、理論上少なくとも6×6=36個のアンテナを並べる必要があるため、キヤノンは36個ひとつひとつのアンテナのアレイ※1配置と位相※2同期に注力。2個や3個ならともかく36個のばらつきを抑えることは至難の業でしたが、キヤノンは、アンテナアレイ設計技術とCMOSセンサーの生産で培った半導体微細加工をはじめとするものづくり技術によって、1ピコ秒(1兆分の1秒)オーダーの精度での綿密な位相同期を実現しました。その結果として、レンズやホーンアンテナなしに放射角を13度に絞ることにも成功。10m離れていても鮮明な画像・映像が得られる半導体テラヘルツ光源を生み出しました。

  • ※1 アンテナ素子を複数並べて配置することをアレイといいます。
  • ※2 位相はある場所における波の振動の状態を表す量で、位相が同じところを同位相と呼びます。

同期

非同期

同じ周期の波を同位相で同期できれば出力を上げられますが、同期できないと干渉しあって逆に出力は小さくなってしまいます。

36個の同期によるテラヘルツ波発信のイメージ

36個の同期によるテラヘルツ波発信のイメージ
36個のアンテナを同期させ、従来の半導体光源に比べ、出力は約10倍、指向性は約20倍。
かさばるホーンアンテナやレンズも不要にしました。

また、一般的には、アンテナ数が多くなると起こる「寄生発振」による出力の低下についても、キヤノンは数々の半導体デバイス開発の経験から得た回路設計のノウハウによって、影響の大きい低周波の寄生発振を効率的にカットする独自の高周波フィルターを開発し、出力を最大化。電力効率の向上も達成しています。

未踏の世界の開拓へ大きな一歩

これまでとは異次元のテラヘルツ光源を可能にしたキヤノンのテラヘルツデバイス技術。キヤノンでは、この技術によって大きな変貌が予想される、持ち込み禁止物の所持検査をするボディスキャナーや非破壊検査への応用など、透視イメージングの進化に貢献する提案をおこなっています。その一環として、レンズと半導体センサーでテラヘルツ波をとらえる「テラヘルツカメラ」を試作し、可視光に比べて分解能の劣るテラヘルツ波でも実用性の高い画像・映像が得られることを検証する実証実験を実施。歩行中の人が隠しもつ銃やナイフを検知するデモンストレーションを可能にしています。

可視光による撮影。テラヘルツ波を使った撮影。実は、衣服の下は・・・

小型で出力が高いテラヘルツ光源の出現により、今後社会で幅広く次世代のセンシングや無線通信などの研究開発が加速する効果も期待されます。キヤノンは、テラヘルツ波の可能性がさらに拡げられるように、今回の450GHz光源にとどまらず、さまざまな周波数帯での送受信技術の開発を続けていきます。

キヤノンの半導体テラヘルツ光源を用いた撮影例(00分57秒) ※音声なし

「最先端を切り拓く技術」内の記事を見る