仕事と人
海外グループ会社への出向
キヤノン知財では、国際的なバランス感覚と高い視座を持った人財の育成に力を入れています。その一環としてキヤノンの海外拠点(米国、中国、英国、フランス、オランダ、シンガポール、オーストラリアなど )への出向があります。海外で揉まれた駐在経験者は、キヤノン知財のグローバルな組織力の強化に貢献しています。
平山 龍太(1998年入社)
- ニックネーム:Ryu
- 出向先:英国/キヤノンヨーロッパ(2015年3月より5年8カ月)
- 出向中の出来事:27カ国を巡りトラブル王と呼ばれる
木ノ元 真彦(2004年入社)
- ニックネーム:Max
- 出向先:米国/キヤノンUSA(2015年3月より4年)
- 出向中の出来事:赴任後まもなく0歳の息子が40度の熱を出し、病院を探し回る
齊藤 貴浩(2015年入社)
- ニックネーム:Taka
- 出向先:オーストラリア/キヤノンオーストラリア(2020年11月より2年2カ月)
- 出向中の出来事:タスマニアで野生のウォンバットに感動!
海外出向先での業務を教えてください。
平山:海外出向先に応じて業務内容はさまざまです。出向先が研究開発会社か地域統括販売会社かによっても異なりますし、出向先の地域によっても異なります。共通して言えることは、業務範囲が格段に広がること、そして、日本では接する機会が少ない現地の開発・事業部門や多数国の官公庁・他社企業と直に接し、現地の慣習の中で物事を進める、という海外ならではの経験ができることです。私自身は、地域統括販売会社で「初」の、現地人をトップとした知財組織を創る役割を担って英国に出向し、英国人上司と二人三脚で知財組織を発展させました。いまでは、キヤノン知財グループの中でなくてはならない存在になっています。
木ノ元:私は、キヤノンUSAにおいて、米国知財担当者とタッグを組んで発明発掘や出願権利化の支援を行いました。米国特許庁に何度も足を運び、数え切れないくらいの審査官面接を経験し、米国審査官の攻略法を身につけたという自負があります。また、日本ではソフトウェアを専門にしていましたが、出向先では、自分にとってなじみの少ない光学分野や化学分野などを含め、キヤノンが開発する全ての技術分野を担当することになり、自分の技術領域が大きく広がったことが貴重な財産になっています。
齊藤:私は、キヤノンオーストラリアにおいて、国際規格の標準化に関するプロジェクトの一員として現地エンジニアとチームを組んで活動しました。プロジェクトでは、予算を組んだり、実績を管理したり、現地のやり方で新規メンバーを採用したりと海外マネジメントの経験を積みました。
—出向先によってまったく異なる業務を経験するのですね。
海外駐在での驚き/試練について教えてください。
平山:私にとっての試練は、未経験業務×英語の組み合わせでした。たとえば、知財部門の予算確保交渉という未経験業務を、現地ルール下で英語で行ったのですが、体感としては、駐在直前に日本で行っていた特許訴訟の実務遂行&マネジメントよりも遥かに大変でした。また、カルチャーの違いにも衝撃を受けました。承認ステップが少なく、意思決定が恐ろしく速く、他人との意見の違いを恐れない、といった全く異なる環境に適応するのにも苦労しました。しかし、こうした苦労を乗り越えて現地の知財メンバーに認められるようになってから、楽しい生活を送れるようになり、苦労した甲斐はあったと感じています。
齊藤・木ノ元:我々もスピード感の違いに驚き、英語で苦労しました。
齊藤:スピード感の違いとしては、たとえば、現地エンジニアと会話をしていると、「昨日、良い実験結果が出たから、明日までにもう1件出願したいんだけど」といった感じで急に依頼をされることがありました。無理かもしれないと思いながらもなんとか処理をし、やってやれないことはないな、一段上のステージに上がれたかな、と感じたことを覚えています。また、これまでの自身の仕事のスピード感は日本におけるルールや承認ステップを前提にしていることに気がつき、目が覚める思いでした。
木ノ元:英語の苦労としては、プライベート、特に病院関係、薬関係が最大の試練でした。命に関わってくるので、大まかでなく詳細に情報を伝えたいのですが、これがなかなかうまくいきません。職場の同僚であれば英語が多少伝わらなくても根気よく聞いてくれますが、職場外の人たちは相手にしてくれません。ビジネス英会話だけでは苦労すると痛感したため、日常英会話をレベルアップさせることにも時間を割きました。それが仕事にも生き、駐在後半は、少なくとも仕事関連に関しては、話したいことは何でも話して伝えられるという自信を持つことができましたし、日常英会話も困ることがほとんどなくなりました。
海外駐在を通じて成長したことはありますか。
齊藤:それまでよりもグローバルな視点で世の中を見られるようになったと思います。日々のニュースについて現地のエンジニア達と雑談を交わすと、同じニュースであっても見方や捉え方が私とはまるで違いますし、しっかりと自分の意見を持っています。自身と異なる考えに触れることができたのは私にとってプラスでした。特に、日本における「当たり前」が「当たり前ではない」という環境、それでも問題なく社会が回る環境、そういった環境に身を置く機会を得たことで、考え方の違いを実感することができました。帰国後も「常識」と勝手に思い込んでいるものにとらわれないように気をつけています。
平山:たしかに、異なる考えや価値観を理解することが海外駐在の第一歩で、これがとても重要だと思います。
木ノ元:駐在時代、「そのやり方は米国に合わないよ」という声をよく耳にしました。日本のスタッフは駐在先でも本社で決めたルールベースで仕事をしてしまいますが、海外のスタッフは現地のルールベースで仕事をしていますので、どうしても、日本のスタッフのやり方が非常識や非効率に映ってしまうようです。日本と海外の橋渡しが駐在員の大切な業務ですから、両者のベースとなっている考えをよく理解し、調整を日々行ってきました。そうした経験が、自分の立場、相手の立場を客観的に捉え、異なる意見を調整していく力の醸成につながったと思います。管理職となったいま、その力がとても生きています。
齊藤:それは私も実感しているところです。これにより、ダイバーシティ対応力も向上しました。
平山:私は、ダイバーシティ対応力に加えて、バランス感覚とBig picture把握力を身につけることができた、と思っています。海外駐在中には、実にさまざまな考え方や異なる価値観に出会うことができ、とても刺激的だった一方で、それらの違いから衝突が起こることもしばしばありました。衝突を解消して有意義な結論を導くためには、異なる価値観を自然体で許容できる心を持ち、物事をBig pictureで捉え、Win-Winのポイントを見つけることが肝要である、ということを身をもって学びました。Big pictureが口癖だった英国人上司を含む現地知財メンバーは私を成長させてくれた恩人であり、いまでもとても感謝しています。
プライベートはどのように過ごしていましたか。
木ノ元:期限の切られた出向でしたので、出かけないともったいないという気持ちになり、さまざまな景色のもとへと足を運びました。とても美しく、そしてまた雄大な自然に囲まれる中で、人間とはなんてはかなくちっぽけな存在なのだろう、寿命が短すぎるなと感じました。
齊藤:私も景色が素晴らしいところにはいくつか行きましたが、予定を入れていない休日の過ごし方も気に入っていました。現地人のように、のんびりとカフェでランチをしたり、大きな公園やビーチでチェアを広げてまったりと過ごしたりしていました。休日の時間の流れ方が日本とは違いました。
平山:英国といえばPubとBBQ。夜にも関わらず明るいPubや庭で飲むビールは格別でしたし、ラム肉焼き職人にもなりました。また、欧州27カ国を回り、数えきれないトラブルに見舞われてハートが強くなり、魅力的な食と自然に出会い欧州の素晴らしさを知りました。
最後に、海外駐在を一言で言うと?
平山・木ノ元・齊藤:世界が広がった!!
平山:やはりこの一言に尽きると思います。世界の広さと面白さ、難しさを肌で感じることで、見える景色が変わります。見える景色が変わることで行動が変わり、組織に大きな貢献をもたらします。キヤノン知財メンバーには、今後も海外出向を経験してもらい、魅力的な知財組織を創る人財に成長してもらいたいと思っています。