ゲーテ(1749-1832)は、植物のこと、動物と骨のこと、天気のこと、そして光と色のことなどの研究にとても熱心に取り組み、新しい考え方を発見しました。考えはざん新で、たとえば、植物の研究では、50年くらい後に発表されたダーウィンの「進化論」のような考え方が出てきます。
けれど当時、ゲーテは科学者として認められませんでした。その原因は、ゲーテが実験でわかるデータより、人間が受け取る「感覚」にこだわりすぎたからです。
光と色を研究して書いた『色彩論(しきさいろん)』で、ゲーテは、ニュートン(1643-1727)のように光線の道すじや角度のデータで色を理解することに反発をしています。人の目が色を見るときどんなふうに見えてどんなふうに感じるのか、人間の体験を中心に観察するのが大事だと考えたのです。
そのころはニュートンの光の研究から100年ほどがたち、ニュートンの考え方が認められて研究が進んでいました。「目が色を感じるのは目の細ぼうが赤・緑・青を感じるから」というトーマス・ヤング(1773-1829)の「光の三原色論」が登場したころです。ゲーテのニュートン批判にまちがいがあったこともあり、ゲーテの考えはまったく受け入れられませんでした。
いまゲーテの『色彩論(しきさいろん)』は、こころの動きを研究する「心理学」の考え方に近くて、「色彩(しきさい)心理学」「知覚心理学」という研究分野の先がけだと考えられるようになってきています。
ゲーテは、ニュートンのいう「光のスペクトル(7色の光の帯)」を見ようと、プリズムの実験をやってみました。そのときゲーテはプリズムに光を通すのではなく、自分の手にプリズムを持ってのぞいてしまいました。スペクトルが見えないので「ニュートンの考えはまちがい」と思ってしまったのです。